64.フィオーナ姫の旅立ち前夜 (1)
明日は明け方に出発なので、前夜のうちに父王に挨拶しに行こう、とフィオーナ姫が廊下を歩いていると、向こうから会いたくない人物がやってくるのが分かった。
城の石積みの壁に掲げられている灯火に照らされた人物は、ペントザリ公マウロ・スフォルツァンドとその夫人イーリスであった。
なぜこんなに嫌だと思うのか分からないが、会うと肩に力が入り、話をしていると、大きな口を開けた蛇に呑まれるような感覚に襲われる。
だがペントザリ公はその豪胆で快活、かつ、部下や周囲の貴族への気配りもできる人柄から人望が厚く、王の諮問機関である評議会の中でも第一人者と言われている。
その妻のイーリスはかつてはフィオーナ姫の母の侍女として仕えていたが、現在は自領の城で3人の娘と1人の息子と共に暮らしている。
その中でもフィオーナ姫と同じ年の娘について比較されるので、フィオーナ姫は彼女の話を聞くのがいつも不快だった。
どんなにダンスが上手か、どんなに刺繍のセンスがあるか、どんなに可愛らしく、人から愛されているか、と。
(鷹とフクロウの夫婦みたい)
その外見から、いつもフィオーナ姫は心の中で肉食の鳥に例えていた。
イーリスはヴァルナ公次男ルステムル殿の王都滞在を歓迎する宴席に合わせて、数日前から城へ来ていた。
「ごきげんよう、公爵、公爵夫人」
「あらまあ、フィオーナ姫様。ご機嫌うるわしゅう。ご無沙汰しております」
優雅な笑顔で、膝を曲げて礼を取るイーリスだが、姫から見ると気のせいか礼が浅いように思われ、姫はいつもながらいらいらする。
公爵も腰を曲げて礼を取るが、その笑みがふてぶてしく感じられる。
フィオーナ姫は2日前の諮問会議を思い出す。
父王が床についたと連絡を受け、急いでヴィオラ伯の城から帰ってきたその日の夕方の諮問会議だ。
王不在で行われ、たまたま王都に滞在しているメンバーのみ召集されて行われた諮問会議。
十数名の貴族と、三大峰と呼ばれる大学者・大剣士・大魔法使いの三人と、王の代理としてのフィオーナ姫とで行われた。
姫はまだ十四歳で幼いということもあり、次期女王という立場だが諮問会議に呼ばれたことはなかった。今回は王不在だったので初めて呼ばれたのだ。
大人の男たちが卓を囲む中で上座に座り、緊張で唇が震えた。自分が女王になればいつもこのような状態なのだと分かりながらも、自分にできるだろうかと逃げ出したくなる。
「さて、お集まりいただいたのは、陛下のご病気を治す方策について……」
ペントザリ公が皆のまとめ役として話しだす。
貴族の中で最高位である公爵は、この場で一人しかいなかった。
重鎮であったリール公爵は7年前の流行り病で亡くなり、跡を継いだ前妻の息子はまだ幼く、諮問会議のメンバーではない。
ちなみに後妻の若きリール公爵夫人は、公爵の死後に王の愛人となり、去年息子を産んでいる。
フィオーナ姫の母方の叔父であるガイヤルド公爵は、自領の境界をめぐる紛争の調停のためにここ数カ月、自領にとどまっていた。
ヴァルナ公爵は諮問会議のメンバーであり、毎回召集もかかるのだが、出席することは稀だ。ヴァルナ公国は元々別の国であり、領地は南方で王都からは遠く離れている。
「王にかかったのはヴァルナ地方特有の魔法のため、廃城となっている旧ヴァルナ城にその魔法を解くための魔法薬や、その作り方の資料があると思われる。ヴァルナ公に使いをやって、旧城を調査いただき、魔法薬を王都へ持って来ていただくのはいかがかな」
ペントザリ公の提案に多くの貴族が賛成する中、
「それは賛同しかねる」
と反対したのは大魔法使いのダルセニオンだった。
「十年前に前ヴァルナ公が黒魔術の復活を試みた。それが明らかになって、王軍と前ヴァルナ公の従弟である現ヴァルナ公が攻め込んで廃城になった城だ。立ち入り禁止になっている。
現ヴァルナ公に独自に旧城に立ち入って調査する名目を与えてしまっては、再び黒魔術を復活させる機会を与えることになりかねない。現ヴァルナ公にそんな権限を与えるべきではない。旧城を調査するのは王都側の魔法使いでなければならない」
「それはあなたが行かれるということでよろしいかな?」
「ああ、私が行く」
その即答に議場はざわめいた。
ペントザリ公は冗談のつもりだった。
「それはそれは……。大魔法使い殿が自ら行かれるとは頼もしい」
「陛下がふせっているということはこの国の一大事ということだ。部下に任せておくことはできない」
そう言ってダルセニオンは厳しい顔で室内を眺め渡した。
(ダルセニオン、見た目が子供じゃなければもっと威厳あるのにね)
フィオーナ姫がそう思っていると、そんな他人事のような心を見抜いているのか否か、ダルセニオンの目がフィオーナ姫を向いた。
「フィオーナ姫もそれでよろしいですよね」
「え! ええ。ダルセニオンが行ってくれるのであれば安心です。よろしくお願いしますね」
議場の目がフィオーナ姫に向き、姫はまたどきどきした。
「で、でも、もちろん一人ではないですよね?」
「いや、ただの調査なので身軽な方がいい。魔法に詳しくないものを連れて行っても仕方がない」
「で、でも」
すると、ペントザリ公がすました顔で口を開いた。
「昔のお伽話ではよく、国が一大事になったときに王子が旅に出て竜を倒して凱旋したりしますよね。いや、ふと連想しただけです。こういった場合、王子が魔法使いや剣士を連れて旅に出るという話がよくあるな、と。この国には王子様はおらず王女様なので、そんな期待はしませんが」
フィオーナ姫はその言葉に侮辱を感じてカッと顔が赤くなった。
「わ、私が行きます!」
また議場がざわついた。
「わ、私が行って、父のための薬を取ってきます。だって私は王女なのですから!」
議場は一瞬静まり返った。
「フィオーナ姫様、何も私はそんなつもりで言ったのではありませんよ。王女様自ら行くことはありません」
「いえ、私が行きます!」
その言葉を聞いていたダルセニオンはしばらく考えているようだったが、
「フィオーナ姫様も行かれるのであれば、護衛が必要だ。だが、人数が増えて大げさになるのは避けたい。大勢で行けば、ヴァルナ公側に対していらぬ刺激を与えてしまう。大剣士が自ら来るのでどうか」
「私は構わないよ」とリゾルーテン。
「では私も行こう。旧ヴァルナ城に入れるまたとない機会だ。調査に参加するよ」とエスプリ。
あれよあれよという間に、フィオーナ姫と三大峰が行くということで話が進んでしまった。
それを、これは意外や面白い、といった様子でペントザリ公は眺めている。
「では、姫様にお任せしてしまって良いのですか?」
「ええ。私が必ずや父を治してみせます。皆さんはどうかその間、父と王都をよろしくお願いいたします」
「はっ」
貴族たちは皆その言葉に賛同したが、心中は「これが本当に最善の策だったのだろうか?」と疑問に思っている。
フィオーナ姫はダルセニオンに反対されるかと思っていたが、逆に賛成してくれたことで嬉しく、顔が輝いていた。
いつも王女らしくしなさい、と怒られてばかりいる。これが正解だったんだ!
誉めてほしいと思ってダルセニオンを見ているのだが、彼は難しい顔をしてうつむいているだけだ。
(そうね。浮かれている場合じゃないわね……)
フィオーナ姫も我に返る。
「人心の混乱を避けるためにも、このことは口外無用に。王はただの風邪ということで通すことにしましょう」
エスプリが皆に口止めを呼び掛けている。
口に出しては言わないが、王国自らが禁止した黒魔術を解くために、その黒魔術の力を借りに行くというのは王国の威信に関わる、という思いもある。
向こうでリゾルーテンがダルセニオンと、船か陸路か、という相談をしている。
(私が旅に出ることになっちゃった……。大丈夫かな。でも、たんかを切った以上はがんばらなくちゃ!)




