61.呼び出し(5)
「……アッチェルはレーカさんのこと、本当にいい子だって誉めてたけど、アッチェルだっていいところあるよ」
「私は全然いいところないよ。フェルはいいところたくさんあるよね」
「どんなところ?」
「え、明るくて、屈託なくて、裏表がなくまっすぐで、お日様みたいに眩しい感じ」
お日様、と自分が言った言葉に、アッチェルは初めてフェルを見たときのことを思い出した。
逆光の中でたたずんでいた、背の高いシルエット。鼻筋の通った横顔。彼が去った後も何度もふいに目の裏に浮かんで来た姿。
「俺、本当に裏表ないと思う? アッチェルこそ、裏表なくて、まっすぐで、落ち着いていて穏やかで、優しくて、月とか風みたいに綺麗で澄んでいる感じだ」
フェルは初めてアッチェルを見たときのことを思い出した。店の一番奥の柔らかく陰になった中に、風の精霊たちの絵に守られるように座って、遠い眼差しをしているアッチェル。黒く神秘的な瞳に引き込まれるように感じた。
だがアッチェルは笑って否定する。
「私が裏表ないと思うの? まっすぐで落ち着いていて穏やかだと思う? 表に出てないだけで、中身はもっとどろどろしてるよ。いっぱい嫌なこと考えてるよ。フェルのことだって、驚かせてやりたいとか、意地悪なこと考えてるよ。きっと中身を知ったらびっくりするよ。男の恰好をしているから、男みたいにさっぱりした性格だと思ってるかもしれないけど、本当はもっとうじうじしていて、女の嫌なところいっぱい持ってるよ」
「……じゃあ、俺の知らない裏の部分も知りたい。どろどろしたとこも知りたい」
「知ったら嫌いになるよ」
嫌いになってほしくない気持ちと、嫌いになってもらった方がいい、という気持ちが同居している。
「俺だって、裏表あるよ。アッチェルが知らない、うじうじしたとことか、ひねくれたとことか、姑息なとことか。……後、アッチェルは自分が男の恰好してるからって油断してると思うけど、男の嫌なところもいっぱい持ってるよ」
「何それ。男の嫌なところって、すぐかっとなったり大きな声を挙げるとことか?」
「それもそう」
「乱暴なことしたりとか、細かい気配りができないとことか?」
「それもそう。……あと、他にもあるけど、知りたい?」」
アッチェルはふいに、もう日が落ちてオレンジの残照も消えかかっていることに気がついた。少しフェルの顔が近づいたように思った。知りたい、と答えたら、罠にかかるような気がした。何か勘付いた様子も見せてはいけないと思った
「ううん、いいや。もう遅いから帰らないと」そう言ってぱっと立ち上がった。
そんなまさか。たちの悪い冗談に決まってる。
「そっか。そうだよな」フェルはほっとしたような残念なような様子だった。アッチェルは、開きかけた扉を閉めた気がして、じわりと汗がにじんで来た。
「知ったら嫌いになるから、知らない方がいいよ」
フェルはベンチに座ったまま、アッチェルの顔を見ないでそう言う。
アッチェルは、さっき自分の勘違いでなければキスされそうになった気がする、と思う。なぜなんだろう。冗談ではないのだとしたら、何なんだろう。好きでない相手でも、相手が女ならそういう気になってしまうということなんだろうか。
フェルもまだ十七歳の若い男なんだから、見境がなく、好きでもない子にキスしたくなったとしても仕方ない。私ももっと気をつけよう、とアッチェルは思った。
「きっと知っても嫌いにはならないよ」アッチェルはそう言ったが、ベンチに座ろうとはしなかった。
フェルに、自分の心に反した過ちを犯させないためにも、適切な距離を保つように心がけよう、と思った。
そこで何の前触れもなく
「え? あれ、なんだ!?」
フェルの普通でない口調に、アッチェルもフェルの凝視している方向を見た。
だが、そこには何も見えず、円形広場を取り囲むように植えられている植込みの繁みが薄暗くあるばかりだ。
「何がいるの?」
「ほら、あれ、なんだあの、緑の鶏は。すごい真緑の……」
アッチェルは目を凝らすが、何も見えない。
「いなくなった……。なんだったんだ、あれ。こっちを見てたぞ」
アッチェルは不吉なことを思い出した。
緑の鶏は黒魔術のシンボルの一つだ。赤い馬、青い海蛇、黄色の蝙蝠、緑の鶏。
緑の鶏は風の使いだ。
だが、禁書である黒魔術に関する本を父が所有していたなんて知られてはいけない。
アッチェルは黙っていた。
「誰かがいたずらで緑に塗ったのかなあ。ひどいことするなあ」
フェルはそう言ったが、アッチェルは、自分がその緑の鶏の姿を見つけられなかったことが気にかかった。
その頃、茂みの向こうの木の陰で、緑の鶏を抱いてなでている人物がいた。
「危ない危ない。うっかり見られちゃった。のぞき見なんてするもんじゃないね。おお、よしよし」
全身緑、とさかは濃い緑、くちばしはエメラルドグリーンで、瞳はガラス玉のような緑の鶏は、気持ち良さそうにのどをその人物のひざに伸ばすと、そのまま風に溶けるように緑の煙になり、その人物の周りを囲むように立ち昇った後、消えた。
その人物は背中まである、ボリュームを持ってうねる赤みがかった金髪を、無造作に首のところで束ねていた。
腰には細い剣を差し、手袋をして長いブーツをはいている。
「さて、と」
立ち上がると、つば付きの緑のとんがり帽子をかぶった。木に繋いであった馬に乗る。
「明日か」
そう言いながら、向こうに見える城の塔の上の風見鶏に目をやる。相変わらず、南を向いている。
「南、ね」
分かっている、という皮肉な口調でつぶやく。そして街の方へ丘を降りて行った。宿に泊まるのだろう。




