52.割れた花瓶と再生のイメージ
アッチェルがお花の先生の家の戸をノックしたときには、この長い一日もそろそろ日が低くなってきていた。
開かれた戸の向こうでは外遊びから帰って来た子供がおやつを食べているようで、笑い声や香ばしいパンとジャムの甘い香りがした。
「アッチェルじゃないか、どうしたんだい?」
文字通り家庭を背負うような格好で戸から出てきた大きな体の常連客は、店でしか見たことのない、あの若くて頼りなげな店主が自分の家の戸の前に立っている姿を見て驚いた。
まるで絵に描かれていた人が抜け出して来たかのような印象である。
ここ数日でいろいろなことがあり、いろいろな人と出会ったアッチェルは、こうしてフットワーク軽くお花の先生の家までためらわずまっすぐ尋ねてきた。
そのことに、今までの自分との変化を自覚する心の余裕もなく、緊張とふわふわ感とが一緒になった気持ちのままで相手に切りだした。
「この花瓶を、割ってしまったんです。……申し訳ありません」
「ああ、この花瓶を」
お花の先生もその花瓶のことを覚えていた。
「目に見えない傷が入っていたのかもしれません。磨いているときにうっかり床に落としてしまい、簡単に割れてしまいました」
申し訳なさそうに恐縮しているアッチェルを前に、お花の先生という職業に似合わず熊のような見た目の彼は「ふうむ」とうなった後、
「よし。気に入った。買い取らせてくれ」と言った。
アッチェルは驚いて、そんな、とんでもない、と固辞したのだが、
「いや、私がこの花瓶が気になっていたのも、そもそもその見えない傷のせいだったんじゃないかと思うんだよ。アッチェルもこの花瓶、どこかひっかかると思っていたんだろう?」
そう言われると、確かにこの花瓶はあまり好きじゃない、と思っていた覚えがある。
「私は、この花瓶のかけらに土を盛って、そこから本物の花を咲かせようと思うんだよ。
この花瓶は綺麗な小花が描かれているけれど、外側に本物そっくりの花の絵が描いてあっても、本物の花を活けたら比べられて、絵は生気を失くしてしまう。
だから花を活けられない。
だからこの花瓶は、いつまでも虚ろでいなければならない。
そんな自身を疎んじて、自ら割れた。
割れてしまって、もはや花瓶ではなくなってしまった。
しかし、そこから本物の花が生えてきた。
どうだい? こんなストーリーは」
アッチェルはそれを聞いて、鳥肌が立つほど感動してしまった。
アッチェルは家へ帰る道すがらも、その話を反芻していた。
その作品を、見たい、と思った。
頭の中で思い浮かべるそれは、花瓶の表面の上品にすました小花には目もくれずに、割れた花瓶の欠片から立ちあがって来た、獰猛なほど大輪の八重咲きの牡丹や、枝の絡み合った鮮やかな黄色のミモザである。
その美しさを想像して溜息をつきながら、アッチェルは、自分の心の傷が、いつか自分を砕く日があってもいいと感じた。
虚ろなままの自分の中身を疎んじて、いつか殻を破って割れてしまえば。
自分の内側が外界にさらされて、そこから元気に草花が生えて来てくれるのであれば。
この外見を取り繕う役目しかない小花の絵は必要なくなるのだ。
それは、再生、ということなのだろうか。
生まれ変わりたい。どうすればいいか分からないけれど。だから旅に出ようと思ったのかもしれない。




