50.再び大魔法使いダルセニオンの部屋にて
場面をダルセニオンの部屋に戻すと、フェルはそろそろダルセニオンの部屋から出ようと思っていた。
アッチェルを旅に行かせないようにするにはどうすればよいのか分からない。
自分が一緒に旅に行って守りたいのに、それもできない。
それをどうしたらいいか、じっとソファーに座って考えていても、答えはでなかった。
じっと考えるのはフェルの性分には合わない。
フェルは長い足に力を入れて、ぽんと立ちあがると、浮かない顔で
「おれ帰るわ」そうつぶやいた。
左腰の剣の位置を直しながら立ち去りかけると、ダルセニオンは何か大切なことを言おうとするかのように、挑むような目つきで口の端をきゅっと引いた。
「? どうかしたか?」
「フェル、」
その時だった。誰かが部屋の前まで走って来て、戸をノックしたのは。
二人とも戸の方を見る。もう一度ノックする音が聞こえる。
「ダルセニオン」
彼を小声で呼んだのは鈴のように可愛らしい声だった。その声を聞いて、フェルは姫だと分かった。
「ダルセニオン、いるんでしょう?」
戸のすぐ向こうで囁く声に、ダルセニオンはなぜか黙っている。
早く返事をしないか、今返事をするか、とフェルはじれったく思うが、なぜかダルセニオンは黙ったままだ。
「私が悪かったわ。反省してます。これからは、王位継承者として自覚を持って、ちゃんと真面目に魔法の授業を受けますから」
早口だが神妙な声で、姫が戸の向こうで宣言しているが、ダルセニオンは返事をしない。
フェルは単純な性格なので、返事をしないダルセニオンに対してイライラとする。
「ダルセニオン、いるんでしょう……?」
するとその向こうから、
「フィオーナ姫様! 走ってはなりませんとあれほど言いましたのに!」
という侍女の声が聞こえて来た。
すると、姫もフェルと同じく内心イライラしていたようで、
「ダルセニオン! いるのは分かってるんだから! 無視するなんて最低! 覚えておきなさいよ!」
さっきの神妙な様子とはうって変って、そんな捨てゼリフをはいて走り去る足音が聞こえた。
「姫様、お待ちください!」
その後ろを、レディーは走ってはいけないと言う以上は自分も走れない侍女が足早に追いかける衣ずれの音が聞こえる。
「姫、激しいな」
フェルが驚いて言う。
フェルもどちらかと言えば姫と親しい方だと思うが、なかなかあんな怒った声は聞いたことがない。そもそもフェルは姫を怒らせるようなことが無いということなのだが。
走って来て走り去ったのは、謝っているところや、怒っているところを侍女に見られたくなかったに違いない。
ダルセニオンは全く動じた様子もない。
「ダルセニオン、姫とけんかでもしたのか?」
「けんかではない。姫が真面目に魔法の授業を受けなかったから悪いのだ」
「何かあったのか?」
「私は姫には立派な女王になってもらいたい。誰からも尊敬され、非の打ちどころのない女王になってもらいたい。それは現王の願いでもある。なのに姫は、なりたくて姫に生まれたんじゃないと言う」
「まあ、姫もまだ14歳の女の子だし、勉強ばかりじゃなくて友達と遊んだり、歌ったりダンスしたりしたいだろうけどなあ……」
「姫が自分で自分の王位継承権を否定するような発言をしてはまずいのだ。それは絶対にだめだ。姫は自覚が足りない」
ダルセニオンは厳しいようにも思えるが、それを聞いたフェルにも思い当たる節はあった。
この冬に、姫に「弟」が産まれたからである。
王妃は7年前の流行り病で亡くなっているため、その弟の母は正式な王妃ではなく、王の愛人であり、子供も庶子であり王位継承権は無い。
だが、その王の愛人とは、王自身の従妹なのである。
身分も公爵夫人である。リール公爵の未亡人で、夫婦の間に子が無いままに夫のリール公爵は亡くなっていて、リール公爵夫人を今でも名乗っている。
新しく産まれた子を王位継承者にするために、リール公爵夫人を王妃にせよと王に進言するリール公爵夫人の身内の貴族たちと、その一派に反発して、外国の王女との結婚を王に勧める者と、姫の王位継承をこのまま進めようとする者たちと、この王国内も立場が分かれている。
そんな中で姫が「だって私、姫に産まれたくて産まれたんじゃないのに!」なんて言ったとなれば、状況は不利になるのは目に見えている。
フェルはそういった政治的な状況には興味は無いし、むずむずするような嫌悪感すら感じる。
「まあ、でも、姫も可哀想だよ。まだ14歳なのに。ダルセニオンくらいはちょっと息抜きさせてあげてもいいんじゃないか?」
そう言うと、ダルセニオンは無言でフェルを睨んだ。
「姫を候補から外そうとたくらむ輩が姫をわざと甘やかすのだ。私が厳しくしないでどうする」
「……。もうそれはまかせるけどさ。それはともかくとして、なんで返事しなかったんだ?」
そこでダルセニオンがフェルに向き直って口を引き結んだ。
そうだった。姫が来る前に、ダルセニオンはフェルに何か言いかけていたのだった。それを言うために、姫に邪魔されたくなかったのかと思った。
何を言われるのか、とフェルも真面目な顔でダルセニオンに向き直ると、ダルセニオンが口を開いた。
「ありがとう。さようなら」
準備されていたセリフを言うかのように、一語一語噛みしめるようにゆっくりと言った。
フェルは、後に言葉が続くかと少し待ったが、次第に「へ?」という顔になった。
ダルセニオンはその顔を見て、きまり悪いのを隠すように怒った声で、
「明日から旅に出るからだ……」と言う。
「いや、ちょっ、それは知ってるけどさ」
「……」
「なんだよそれ」
「それだけはお前に言っておくべきだと思った」
そして恥ずかしそうに再びダルセニオンは言った。
「ありがとう。さようなら。言うことはそれだけだ」
そして、フェルに背を向けてしまった。
「……なんだよ、それ。いちいちそんな、わざわざ。じゃあな、じゃあ、また二週間後に!」
明るくフェルが言って去ろうとしたが、ダルセニオンは背を向けたままだった。
フェルは、不可解だという気持ちがこみ上げて来て、怒りに変わった。
「……なんだよ、そんな、まるで、帰って来ないみたいな言い方するなよ! なんなんだよ。」
そこで、そういえばアッチェルの話をしていたときに、アッチェルを旅に連れていくことに対してダルセニオンが真面目に「すまないことをした」と言っていたことを思い出した。
「なんだよ、この旅、そんな危険なのかよ」
そう言うが、もうダルセニオンは頑なに背中を向けたままだ。
「なんだよ!お前といい、アッチェルといい、みんな俺の知らないとこで何か考えて、俺には何も教えてくれないんだな! 俺にはお前らが何考えてるのか分からないよ。俺がバカなのか? あーあ、まったく、俺って報われないよなあ。俺の方ばっかり心を開いてほらほらって見せてんのに。」
ダルセニオンは背中を向けたまま、返事もしない。
「じゃあな!」
フェルは腰の剣をがちゃがちゃ言わせて、乱暴に戸を閉めて出て行った。
一人、しーんとした部屋に残ったダルセニオンは、この別れの場面に憔悴していた。
今のがつまり、私が聞いた、奴の最後の言葉になるかもしれないわけだ。
フェルは私に良くしてくれていたものだ……。
ありがとう。さようなら。言うことはそれだけだ。




