39.大魔法使いダルセニオンの部屋にて(6)
ダルセニオンは親指と人差し指でちぎった柔らかいパンのかけらを、ゆっくり檻の上から手を入れて中に入れている。
鼠は慣れているので、ダルセニオンの手を怖がらず、檻の底へパンを置く前に自分から細いピンクの手で飛びついている。白鼠とブルーグレーの鼠だ。
「どうせ殺すのだったら、もらっていいか。魔法の実験台にする」
鼠捕りにかかった子鼠を下働きのメイドが殺そうとしているところへ、まだ大魔法使いになったばかりのダルセニオンが居合わせて、そう言ったのだった。
そしてダルセニオンの部屋に檻が置かれた。
メイドたちはダルセニオンがあの鼠を使ってどんな実験をするのか好奇心がうずいて、ダルセニオンの部屋をこっそり覗いたりしたものだった。しかし、かの子鼠は幸福そうに鳴いているだけだった。メイドたちの期待はいつも外れた。
ある日覗くと、今度は一匹増えていた。そして王城の台所の鼠捕りが一つ跳ね上がって、餌が無く、鼠本体がいない状態だった。
「……」
新しい大魔法使い様は小動物がお好きらしい。
フェルが、諸国漫遊の旅をする父についてコーダ王国にやって来た頃、メイドたちからそのエピソードを聞いた。
メイドたちは陰では面白がって大魔法使いの話をするが、実際に本人を目の前にすると固まってしまって、口を聞いたりはしない。陰では何でもなく、むしろ格好のネタとばかりに噂の種にするのだが、本人を目の前にすると息苦しさを感じて軽口も叩けずに黙ってしまうのだ。
それは真っ黒の服、真っ黒の髪、真っ黒の目が醸し出すなんとも言えない威圧感も原因の一つだが、他の理由は後述するとしよう。
それはともかくとして、フェルは怖いもの知らずというか、無謀というか、単刀直入にダルセニオンに尋ねたのだった。
「あの鼠、実験台にしましたか?」
ちなみに当時のフェルは10代前半で、当時のダルセニオンはまだ20代の容姿をしている。
するとダルセニオンはフェルの目をじっと見返して、
「私の部屋に来るがいい」
メイドたちは立ち入りが禁止されていたし、部屋に人を入れるのを嫌うと聞いていたので、フェルはとてもわくわくした。
メイドたちの中には、行って大丈夫? と逆に心配する者までいた。
フェルが実際にその円形の塔の中にある部屋に足を踏み入れると、部屋の真ん中に檻があり、白鼠とブルーグレーの鼠がいた。
「白いのは“雪”だ」
「シュネア……?」
「雪という意味のコーダ古語だ。青い方は“水”だ。水という意味だ」
「へえ、毛の色に合わせた名前をつけたんですね」
「いや、違う。名前をつけたらその色になったんだ」
「え?」
「言葉には魔法がこもるからな。特に精霊の話すコーダ古語なら精霊が協力しやすい。こんな言葉の分からない鼠に対しても、特にこちらが呪文をかけていなくとも、毎日名前を呼んでいるうちに魔法がかかったように徐々に毛色が変わっていったのだ」
「へえ~! すごいですね!」
素直にフェルが感心してきらきらとした目でダルセニオンを見ると、ダルセニオンは何故か、逃げるように距離をとって、せかせかと早口で言った。
「生き物を檻に閉じ込めて良いわけが無いのだ。だが殺されそうになっているのを見過ごせなかった。だがかわいそうだといって、助けていてはきりがない。本当は助けるべきじゃなかったのかもしれない。助けたのは私がそれを知ったからだ。私が嫌な気分になりたくなかったからだ。それを実験台にするからと言い訳にして、ここに閉じ込めているのだ。どうすればいいのか分からない」
突然たくさん話し出すダルセニオンにフェルが目を丸くしていると、
「この鼠は野鼠じゃない。野原に放せば生きていけない。かといって、町に放せば人間の迷惑になり殺される。だからといって閉じ込めておいて良いわけがない。人間が捉えた以上は殺すべきなのだろう。この城の中にも、捉えられては殺される鼠がたくさんいる。その鼠とこの鼠は何が違うのか。私はたまたま目にしたこの鼠たちだけを保護している」
この魔法使いは何を一生懸命喋っているのだろう? フェルにとってはとても意外だ。
「この鼠たちも、こんなところへ閉じ込めた私のことを憎んでいるに違いない」
ダルセニオンがそう言うので、フェルはやっと口を開いた。
「この鼠はあなたのこと好きなんですよ。じゃなかったら、あなたのつけた名前のようになろうとするはずがありませんよ」
フェルがそう言うと、ダルセニオンの顔が赤くなった。なんと赤面したのだ。
「そ……そんなはずがあるか。ま……魔法の法則はそんな……」
そう言いながらダルセニオンは檻の中の二匹の鼠に目をやって、
「そ……そうなのか?」
とつぶやいていた。
フェルはこのときに、絶対にこの人と友達になろう、と決心したのだった。




