28.旅立ち前日の昼のこと(3)
「アッチェルが旅に出るなんて、ほんと、驚いたよ」
「え、あ、そうですか」
なんだか声が上ずる。やっぱり緊張はしている。
「だってアッチェル、外に出なさそうだし」
「あ、まあそうですけど。でも、店やってたらなかなか外は出ませんよ」
あ、しまった。また丁寧な言葉で話している。なぜか顔が火照る。
「まあそうなんだけど、それにしてもなんでまた旅に行くの」
「旅に同行しろという命令がありまして」
「誰の」
「あの……、大魔法使いのダルセニオンさんって知ってますか?」
そう言うと、フェルの目が丸くなった。
そりゃあもちろん、知っているだろう。フェルは王の親衛隊に入っていて、城に勤めているのだから。変な質問をしてしまった。
「って、まさか、南へ行くの?」
「あ、はい。そうなんです」
と言ってしまった後で、
「あ、いえいえ、姫のお伴で、姫というのは、あの、フィオーナ姫様で、ドルチア嬢のお城へ、ドルチア嬢というのはヴィオラ伯のお嬢さんで、姫のお友達で、そのお城へ、あの、一緒に、お伴で、鑑定を、」
慌てて偽の理由を口にするが、支離滅裂になってしまう。
ああ、しまったなあ。行き先は口外無用だったのに。しかし、なぜ南へ行くと思ったのだろう。
「いや俺知ってるから」
そう言って真顔で片手を挙げて、説明を遮られた。
何を知っているんだろう。でも、やぶへびになりそうで、聞けない。
フェルは難しい顔で、声を低めた。
「なんでアッチェルが行くの」
「……それは、ダルセニオンさんに聞いてください」
「アッチェルは聞かなかったの?」
「聞きましたけど……、旅のことは言うなと言われているので……」
「俺知っているから。詳しくは言えないけど」
そう言うと、フェルが顔を寄せて来た。
「あれだ。黒魔女の……」
「そ、そうです」
近いよ! 顔が近いよ!
動揺して答えてしまった。
「なんでアッチェルなの」
なんだかフェルの口調が怖い。
「あの、魔法がかかりにくいからだそうです。こ、骨董商人が一番かかりにくいそうなんですけど、その中で私が一番かかりにくいそうで……」
「そんな理由で!? アッチェルもそれでOKしたの?」
「OKしたのと言われても、だ、だって、断れないですよ」
いや、断れないだろうとは思ったが、結局、あまり抵抗せずにあっさりと承諾してしまった。
旅に出ることを承諾したとき、フェルが驚くだろうと思ったら、衝動的に旅に出たくなったことを思い出した。なんとなく後ろめたくて、その理由は本人には言えない。
フェルは確かに驚いてくれたようだった。それに関しては満足しないでもない。でも、驚くというより、なんだか怒っている。
そして、自分はなんだか変だ。胸がばくばくしている。
「断れないなんてことはない! そんな横暴なこと許せないから。何なら俺が代わりに断る!」
そんな、フェルまで巻き込んで、トラブルになってしまっては困る。
「いえいえ、そんな、やめてください。いいですよ。もう行くことに決めたんです。何かのお役に立てればいいと思うし。父が旅が好きだったので、私も一度旅に出てみたいと思っていたし」
「アッチェル、行き先が悪いよ。分かってるの? 魔物が出るんだよ!?」
魔物には遭ったことが無いから、あまりぴんと来ない。
やはりものすごく危険なのだろうか。ほんとのことを言うと、ヴァルナ地方がどんなところなのか、よく知らない。
「でも今更で、迷惑かけるし」
「今更とかの問題じゃなくて!」
フェルは怒っているようだ。アッチェルも頭に血が上って、わけが分からず、涙が出そうだ。本当に、わけが分からない。なんでこんなことになっているのか。
「あの、もう、行くことに決めたんで」
そう、切り捨てるように言った。
すると、フェルががたっと立ち上がった。
「あのさあ、俺に相談してくれよ。俺が城に勤めてるって知ってるだろ。何かの役に立てるかもしれないだろ? なんでそんな大事なこと、よく知らないのに一人でOKできるんだよ!」
そんなことを言われても、昨日の今日で、しかもあの状況で、いつどうやってフェルに相談できたのだろう。
「すみません……、そんな怒らないでください」
よく分からないときにとりあえず謝って治めようとするのは悪い癖だろうか。
フェルが怒っているので、顔も見れずにうつむく。この状況がすごく嫌だ。こんな状況を自分が望んだんだろうか。とても悲しくなってしまった。
「俺が怒るのは当たり前だろ? なんだよ他人行儀に丁寧な言葉なんか使って。友達だと思ってたのは俺の方だけかよ。お前が心配だから怒ってるんだよ! そんな危険なところに行かせたくないんだよ!」
そう言われて、アッチェルは驚いて顔を上げた。自分のことを心配して怒ってくれているとは思わなかった。
フェルが驚いてくれたら嬉しいと思った。ただそれだけで嬉しいと思った。自分の決まり切った退屈な生活を乱したことに対する仕返しのような気分だった。
フェルが来てから、なんだか風景の色が変わった。フェルが来るのが待ち遠しくなった。フェルのことをよく考えるようになった。自分が自分でいられなくなるようで、大きな力に流されてしまったようで、怖かった。
フェルが店に来てくれて、話をすると、時間が経つのも忘れるほど楽しかった。でも、フェルが帰るととたんにものすごく寂しくなった。
そんなふうに気持ちが乱されるのが嫌で、しかもこんな気持ちになっているのが自分の方だけかと思うと、それも嫌だった。
そんな自分の気持ちも知らずに、あっけらかんと屈託なく笑う顔を見ていると、憎らしくさえあった。
だから、驚かせてやりたいと思った。
それが、まさか心配してくれるとは思わなかった。
私なんかに。私なんてどうなったっていいのに。
このまま同じような退屈な毎日を一生続けるつもりだったし、フェルが驚いてくれるなら、一度くらい旅に出てもいいかなと思っただけなのに。
アッチェルが返事もできないでフェルを見ていると、
「友達なんだから当たり前だろ! そんな驚いた顔するな!」
そう言って、カウンターを蹴ると、走って出て行ってしまった。
アッチェルはあっけにとられる。アッチェルは決してそんな突発的な行動は取らない。ちょっと、この人、恥ずかしいよ……。
他のお客さんたちにも最後の方の会話は丸聞こえで、あっけにとられたようにフェルを見送ったり、アッチェルの様子をこっそり見たりしている。
アッチェルは恥ずかしくてうつむく。
なんだよフェルは、本当に、一体、なんなんだよ。恥ずかし過ぎる。
……。
しまった。なぜフェルが旅について知っているのか聞き忘れた。




