26.旅立ち前日の昼のこと(1)
「おお! アッチェル、いた!」
2階と思いきや、予想外に3階の屋根裏の窓が開いたので、驚いて見上げた後、一歩後ろに下がった人物は、やはりフェルだった。
他に数人、一緒になって上を見上げている人や、大声を出すフェルの姿を不審そうに見ながら通行する人もいる。
だが、アッチェルはフェルから目が離せない。
フェルの姿がなぜか懐かしい気がするのは、昨日からいろいろなことがあり過ぎたからなのか。屋根裏部屋の魔法関係の本の空想的な雰囲気に呑まれ過ぎていたからなのか。
大声で叫ぶのをやめさせようと思って慌てて窓を開けたのに、こうして顔を合わせると、その懐かしい顔を見て、現実の世界に帰って来てほっとしたような、磁石に引きつけられたようにずっと見ていたいような、変な気持ちがする。
フェルのマントのくすんだ緑青色も綺麗で目に沁み入るようだ。
だが、アッチェルが窓を開けて顔を出したままなので、フェルが再び叫ぶ。
「アッチェルーー、これ、何だよーー!」
そう言って、路上で木の板を掲げて見せた。旅に出る旨を書いた看板だ。
フェルが再び叫んだので、はっ、叫ぶのをやめさせないと、と思い出したアッチェルは、
「今、行きます!」と言って、窓から頭を引っ込めた。
急いで階段を降りて、また階段を降りて、店内を走って扉まで行ってかんぬきを外した。
なぜか分からないが、我ながら何かけなげだ、と思う。
がらがらと引き戸を開けると、目の前にフェルが立っている。
「ああ、すみません」
息切れしながら、とりあえず謝る。
フェルが看板を手に言う。
「これ、明日から旅に出るからしばらくお休みしますって」
「ああ、急に決まったんです」
「急って、前会ったときは何も言ってなかったのに」
「ああ、昨日、決まったんです」
それを聞いてフェルが目を見開いてずいっと寄る。
「昨日!?」
アッチェルが反射的に身を引いて目をそらすと、周りにいる他の客たちに気付いた。
フェルに遠慮して一歩下がっている人々は、よく見れば常連の客たちだ。
「みなさん……」
アッチェルが見回して声をかけると、
「私が今朝来たときに看板を見つけてね。アッチェルが旅に出る前に買い物が無いか、めぼしい人に知らせたんだよ」
そう言ったのは、いつも花瓶を買ってくれる生け花の先生だ。
「ありがとうございます。すみません。本当に急な話で……」
アッチェルは彼らに謝って、引き戸をさらに大きく開けると、
「どうぞ、買い物をしていらしてください」
と店内へ促し、一人一人に対してすみませんとありがとうございますを繰り返した。
その中で、フェルは一人、憮然とした表情で、アッチェルの他の客への対応が終わるのを待っていた。
全員が店内を回り始めた後で、アッチェルは気まずそうにフェルを見た。
フェルの表情を見て、話が長くなりそうだな、と思う。
「フェ……、フェル。お客さん、みんな帰ってからでもいいですか? 話長くなりそうだし」
フェルはアッチェルにくだけた言葉遣いを求めるので、そうしようと心がけているが、ついつい丁寧な言葉になってしまう。フェル、と呼び捨てにするのにもまだ慣れない。
「分かった」
フェルはそう言うと、他の客と一緒に店内の物を見始めた。
やれやれ。何と言って説明したらいいんだろう。叔父さんにしたのと同じ説明で納得してくれるかなあ。




