25.旅立ち前日の朝のこと(3)
日が高くなり、鎧戸が閉めてある窓から射し込んでいた光も強くなり、横縞の影をくっきりと床に映すようになった。
アッチェルはほこりで表紙がざらざらする本を閉じると、また脇へ積み上げた。
拾い読みをしたが、少し読み過ぎた。目を閉じても、目の裏に「魔法」「魔術」という単語が流れているように思える。
この屋根裏部屋の暖まった空気の中にも魔法が溶け込んでいそうである。
床に座っている位置から左を向くと、窓の鎧戸の隙間から横縞になって光が射し込んできて、細かいほこりが漂っているので光線が見えた。
アッチェルは光線を凝視した。きらめくほこりの中に、別の物を発見しようとして目を凝らした。
だが、何もなかった。
魔法や精霊は見えなかった。
視覚や聴覚以外の魔法感受性があれば、感じ取ることができるのだろうか。アッチェルにはそのコツが分からない。昨日の話では、骨董商人であるので素質自体がまるで無いようでもある。
分からないのは残念だが、少し安心もする。私は自分が今いる世界で十分だ。
アッチェルはそう心の中で呟いた後、今度は「思いを風に乗せる方法」と父の手で書かれた資料集を取り出して表紙をめくった。父が人から借りた書物を書写してあった。
それを目で追いながら……、やっぱりもう一度、気になって窓の方を見た。
鎧戸の隙間から幾筋も光があふれている。
そんな窓は、後光が射す、威厳ある人物の顔に、例えれば似ている。本の挿し絵に描かれている、神や預言者の後光射す顔。
だが、この窓は顔だとすれば、無表情な、無慈悲な顔だった。じっと動かない、顔でない顔。
何かの到来を告げに来たのですか……?
……顔は動かない。
何か来るのですか? それは魔法ですか?
ここにも魔法はありますか?
もし魔法の風が吹いたら、もし吹いたら……。
私の悲しい記憶は全部持って行ってくれますか、全部洗い流してくれますか?
持って行ってください。私の体に染みついている悲しみも、全部持って行ってください。
……でも、父さんと母さんと過ごした思い出の記憶だけは残してください。
私以上に覚えている人なんていないから。楽しい思い出が事実だったという証拠だけは残してください。
もしも……いるのなら……できますか?
そのとき突然、表の方で声がした。
「おーーーい! アッチェルーーー! アッチェラードーーー!!」
アッチェルは空想的な気分から突然現実に引き戻された。
「おーーーい! アッチェルーーー! いるかーーー!?」
大通りで叫んでいるのだ。恥ずかしい。往来で人の名前を大声で呼ぶなんて。
早くやめさせないと。
アッチェルは急いで立ち上がったので、頭を梁にぶつけてしまった。
「いっったぁーーー……」
手で頭を押さえる。
「おーーーい! アッチェルーーー! いたら返事してくれーー!」
いま返事するから黙って待っててくださいよっ!
情けなく泣きたい気分で南の壁まで行って金具を外すと、今まで見ていた窓を開いた。開けてしまえばただの窓だ。
「はーい!」
外にいるのは誰だか分かっている。こんな恥ずかしいことをするのは一人しか知らない。




