24.旅立ち前日の朝のこと(2)
旅に出る前に、屋根裏部屋の魔法関係の本に目を通しておこうと思った。
アッチェルの店の構造はというと、大通りに面した店によくあるように、間口が狭く、奥に細長い。
一階の店の奥の部屋は台所兼風呂場になっていて、その奥の勝手口からは共同の中庭に出ることができ、そこに共同の井戸があり、洗濯物干しスペースにもなっている。
二階は食卓やベッドがあり、生活スペースである。
そして三階が屋根裏部屋であり、普段は取り外してある梯子をかけて上がる。
東西へ流れる切妻屋根の下の、ほこりっぽい屋根裏部屋には、店に置ききれない商品と、書棚が置いてある。
ここへ来ると、いつでも父の気配がする。
大通りに向かった南側の壁に設けられた窓。そこから柔らかく射し込む日光の筋や、金の砂のように舞っているほこりの中で、置物のように座り込んで本に向かっていた父の姿が記憶にある。
アッチェルは木の梁に頭をぶつけないように気をつけながら、屋根裏部屋の北へ向かった。
古びた資料、文献は分野別になっていて、魔法関係の本は一番奥、北側の壁の書棚にある。
片隅に追いやられているわけではない。人目を避けて、窓が遠い暗がりの中、別の本の奥に隠されているのだ。
父アッチェラードは魔術の歴史や文化、魔法関係の道具について、情報を集め、知識を蓄えていた。それが、行方不明になる少し前からは、黒魔術にも手を伸ばしていたと、父のらくだ仲間から聞いた。
他の知識については、なんでも教えてくれた父が、魔術に関しては「そのうち」と言って教えてくれなかった。
その自分が、魔法使いに請われて黒魔女の館へ向けて旅に出るのだから、何の因果だろうか。
「えーっと、黒魔女の館、黒魔女の館……」
屋根裏部屋へ入ることは言葉で禁止されていたわけではなかったが、入ってはいけない場所、という認識があった。父がいなくなってからは、商品の在庫整理のために何度も出入りするようになり、その感覚は薄れたが、父の魔法関係の蔵書に触れるのは、その必要が無かったということもあるが、初めてで、悪いことをしているような感覚もある。
黒魔女の館についてはアッチェルも全く知らないわけではない。10年ほど前に当時のヴァルナ公爵が反乱を起こしたが鎮圧され、その居城が廃城となり、黒魔女の館と呼ばれていることは知っている。
現在のヴァルナ公爵は当時の公爵と遠い血縁関係だった気がする。息子や兄弟ではなく、従兄弟かはとこか……。
魔法の歴史関係の本があったので手にしてみる。
ぱらぱらとめくると、黒魔術が大気を汚染するという理由で禁止されているとあった。
大気を汚染するとは、いったいどういうことなのか分からない。空気中に黒魔術が伝染病のように蔓延するということなのだろうか。
とりあえずまた、ぱらぱらとめくると、過去の大戦時に黒魔術が復活しそうになった、とあった。大戦というのもアッチェルはあまり知らないが、30年ほど前にこの大陸全土を巻き込んだ戦争があり、その中でアッチェル出身の砂漠地方がコーダ王国に併合されたり、いろいろと領土の取った取られたがあったらしい。
大戦後は黒魔術も再度厳しく取り締まられて、焚書も何度か行われたと書いてある。
アッチェルがまたページをめくると、ある挿し絵で手が止まった。新月の民と呼ばれる民族が輪になって月夜に野原で踊っている絵だ。赤い髪と小柄な体。彼らは先祖に魔物の血を引くと言われている。ヴァルナ地方の中には彼らの住む村が点在するという。王都で彼らを見かけることはほとんどない。旅先では彼らも多く見かけることになるのだろうか。
アッチェルはなぜか胸がざわつくのを感じ、本を閉じた。なんだろう。この気持ち。
一呼吸置いたが分からなかったので、気を取り直して別の本に手を伸ばした。
父アッチェラードは、焚書を免れた古書を集めることにコレクターとしての血が騒いだのだろうか。黒魔術に関係すると思われる本もあった。しかし、ヴァルナ地方の古い方言で書かれている上に文字の字体も馴染みない感じで、明日出発という忙しさの中では腰を落ち着けて読むことはできそうにない。挿し絵だけぱらぱらとめくって見る。
すると中に、赤い馬に乗った尖がり帽子の男の絵があった。
その絵に、思い出すことがあった。昔アッチェルがまだ学校に通っていた頃、ヴァルナ地方から王都に移住した子がいて、ちょっとした習慣や言い回しの違いに驚かされることもしばしばあった。
学校というのは、教会で神父やシスターが文字や歴史を子供たちに教えてくれる場所である。ちなみに教会では精霊を信仰している。火や水やいろいろな精霊がある中で、それらの精霊をたばねた存在が神だと習ったが、アッチェルはそのあたりはあまり詳しくなく、信仰心もない。
その学校の友達と、秋の収穫祭の夜にかぼちゃをランタンにした物を持って仮装をして出かけたことがあるが、ヴァルナ地方から来たその子はその夜を非常に怖がって、みんなが誘っても外に出て来ようとしなかった。何が怖いのだろう? と、文化の違いも知らないので、無邪気にその子がただ臆病なのだと決めつけたものだ。友達と小道を川沿いに歩きながら見上げた満月が、その夜はやけに冷たく感じられたものだ。
その子のうちに行ったこともある。遊んでいると、奥の方でわーんと小さな子が泣く声がして、「どうして言うことが聞けないの! あんまり悪い子だと、赤い馬に乗ったおじさんが来るよ!」と言って脅していたのだ。
不思議そうな顔をしたアッチェルを見て、その子は
「うちの妹。うるさくってごめんね」
と言って肩をすくめたのだった。
アッチェルはその子のおじさんがそんなに怖い人なのかということが気になって、以後その子のうちに遊びに行くときは気をつけたものだ。
その“赤い馬に乗ったおじさん”の正体が、やっとわかった。この挿し絵の人物だ。読みづらい文字をなんとか追って読むと、魔法使いテージスと書かれている。
学校のみんなは今ごろどうしているのだろうか。お城に勤めたり、親方について見習いをしていたりだと思うが、それぞれの仕事をしているとなかなか会うこともないものだ。もともと王都に引っ越してきたアッチェルは親しい友達はおらず、なんとなく一緒にいるだけだった。今思えば、ヴァルナ地方出身の子と特に親しくなって家へ行ったのも、よそ者同士でうまが合ったからなのかもしれない。
他の本も探してぱらぱらとめくってみる。社会的な本もあって、近年の魔法使いの減少を憂いていた。平和な世においてはスポーツとしての剣術は奨励されるが、修行に危険が伴う上に才能による習熟の差もあり過ぎる魔術はあまり流行らない。
アッチェルはそうやって、自分の横に本を積み上げながら、拾い読みをしていった。




