第9話 知らないはずの名前
第二層での一件から三日が経った。
あの黒い鎧の魔物について、学校ではほとんど何も知らされなかった。
教師から聞かされたのは、「未確認の魔物が出現したため、第二層の一部を一時封鎖する」ということだけ。
あまりにも簡単な説明だった。
あれだけ危険な魔物が出たのに、そんなもので済むのか。
俺は納得できなかった。
特に気になっているのは、あの言葉だ。
『我が主の器よ』
あれは、明らかに俺へ向けられた言葉だった。
でも、考えても答えは出ない。
俺には魔物の主人なんていない。
そもそも、あの魔物が何者だったのかすら分かっていない。
「黒瀬君」
授業が終わったところで、天音に声をかけられた。
「今日、一緒に帰らない?」
「ああ」
「ちょっと寄りたいところがあるんだけど」
「どこ?」
「図書館」
学校から少し離れた場所に、シーカー専門の資料館がある。
一般の図書館と違い、ダンジョンや魔物、魔力に関する資料が多く置かれている。
「第二層の魔物について調べたいんだ」
天音がそう言った。
「この前のこと?」
「うん。あの魔物、普通じゃなかったから」
「やっぱりそう思うよな」
「黒瀬君も?」
「ああ」
俺たちは放課後、そのまま資料館へ向かった。
館内は静かだった。
一般向けの資料から専門的な研究書まで、様々な本が並んでいる。
俺は「特殊武装」の棚を探した。
能力レベル2になってから、武装について調べることが増えた。
フレアブレイド。
シャドウダガー。
あの黒い鎧の魔物が持っていた、名前の分からない剣。
共通しているのは、普通の武器とは違うことだ。
「……あった」
一冊の古い本を取り出す。
『特殊武装研究史』
ページをめくる。
特殊武装とは、魔力を利用して特殊な効果を発生させる武器。
炎を纏う。
雷を放つ。
身体能力を強化する。
そういった武器は、現在でも存在している。
だが。
「これ、変じゃないか?」
「何が?」
俺は一つの文章を指差した。
『特殊武装の多くは、ダンジョン発生後に人類が開発したものとされる』
「普通じゃない?」
「その下」
小さな文字。
『ただし、ダンジョン発生直後の記録には、既に特殊武装の存在を示す記述がある』
俺は眉をひそめた。
「ダンジョンができてから武器が生まれたんじゃないのか?」
「そういうことになってるよね」
「じゃあ、どうして最初から特殊武装が存在してるんだ?」
天音は答えられなかった。
俺はページをめくる。
その先には、古い写真が載っていた。
ダンジョン発生から数年後に撮影されたものらしい。
写真には、若いシーカーが一人写っている。
手には剣。
その刀身には、炎が宿っていた。
俺は写真を見た瞬間、妙な違和感を覚えた。
「……この剣」
「知ってるの?」
「いや」
知らない。
知らないはずなのに。
どこかで見たことがある。
刀身の形。
柄の装飾。
そして、剣の根元に刻まれた小さな紋章。
円の中に、三本の線。
胸の奥がざわついた。
「黒瀬君?」
「……何でもない」
俺は本を閉じた。
そのとき。
棚の奥から、一冊の古い資料が落ちた。
ドサッ。
「大丈夫?」
「ああ」
拾い上げる。
表紙には何も書かれていない。
中を開く。
最初のページに、手書きの文字があった。
『特殊武装適合者について』
俺の手が止まった。
「適合者……?」
あの魔物が言っていた言葉。
適合者。
俺はページを読み進める。
『特殊武装には、それぞれ適合率が存在する』
『通常、武器との適合率は使用者の魔力適性に比例する』
『例外として、魔力適性が低いにもかかわらず、特殊武装との適合率が異常に高い者が存在する』
心臓が一度、大きく跳ねた。
まるで自分のことを言われているようだった。
「……そんな馬鹿な」
さらに下へ。
『該当者は、魔力適性Eとして判定される傾向がある』
「……」
俺は何度も文章を読み返した。
魔力適性E。
特殊武装。
適合率。
偶然だ。
きっと、そうだ。
そう思おうとした。
だが。
次のページには、さらに奇妙な一文が書かれていた。
『武装精製系能力との併発例――確認されず』
「……」
俺の能力。
武装精製・複製。
指先が震えた。
「黒瀬君?」
「天音」
「うん?」
「この本、いつからここにあるか分かる?」
「え?」
「発行日」
天音が本の最後を確認する。
「……二十年前」
「ダンジョンが生まれた頃?」
「そうみたい」
俺は黙り込んだ。
二十年前。
ダンジョンが生まれた。
魔力が生まれた。
そして、その直後に。
特殊武装適合者についての研究が存在していた。
まるで。
最初から特殊武装の存在を知っていたように。
「……気味悪いな」
「うん」
俺は本を閉じた。
その瞬間だった。
資料館の照明が、一瞬だけ消えた。
真っ暗になる。
「停電?」
「たぶん」
数秒後、照明が戻った。
しかし。
俺の目の前にあった本が消えていた。
「……え?」
「黒瀬君?」
「本がない」
机の上には何もない。
床にも落ちていない。
確かに、さっきまで俺の手にあった。
「司書さんに聞いてみよう」
俺たちは受付へ向かった。
しかし。
「その本ですか?」
司書は首を傾げた。
「うちには、そのような資料はありません」
「でも、さっき確かに……」
「検索してみますね」
端末を操作する。
「……ありません」
「そんな……」
俺は言葉を失った。
まるで最初から存在していなかったみたいだった。
その夜。
家に帰ると、美咲がテレビを見ていた。
「おかえり、お兄ちゃん」
「ただいま」
「今日遅かったね」
「ちょっと調べものしてた」
「ダンジョン?」
「ああ」
美咲はテレビを見る。
ニュースでは、先日の第二層の封鎖について報道されていた。
『先日、宮城県内のダンジョン第二層において、未確認の魔物が発見された件について――』
俺はテレビを見る。
画面には、封鎖されたダンジョンの映像。
『政府は現在、原因を調査しています』
そこで映像が切り替わった。
一瞬だけ。
ダンジョンの壁に刻まれた紋章が映った。
円。
三本の線。
俺は立ち止まった。
「……これ」
「どうしたの?」
「いや」
俺はテレビへ近づく。
しかし、すぐに別の映像へ切り替わった。
ニュースキャスターが話を続けている。
『なお、今回の調査には過去にSランクシーカーとして活動していた専門家も参加する予定で――』
「Sランク?」
美咲が振り返る。
「お兄ちゃんの両親もSランクだったんだよね?」
「ああ」
「じゃあ、すごかったんだね」
「……そうだな」
俺は両親のことをあまり知らない。
父さんも母さんも、俺が小さい頃にいなくなった。
写真はある。
賞状もある。
昔の新聞記事もある。
でも。
肝心なところだけ、何も残っていない。
なぜ二人が死んだのか。
どんなダンジョンに入ったのか。
最後に何をしていたのか。
誰も教えてくれない。
「……そういえば」
美咲が言った。
「この前、お兄ちゃんの部屋を掃除してたら、変な箱があったよ」
「箱?」
「うん。お父さんの部屋にあったやつ」
「どこ?」
「クローゼットの奥」
俺はすぐに自分の部屋へ向かった。
クローゼットを開ける。
奥に、古い木箱があった。
記憶にない。
蓋を開ける。
中には、一枚の写真と古い金属製のプレートが入っていた。
写真には両親が写っている。
若い頃の二人。
その背後には、見覚えのある場所。
「……これ」
俺は息を呑んだ。
ダンジョン。
だが、今のダンジョンとは違う。
壁に。
あの紋章が刻まれている。
円の中に、三本の線。
そして。
父親の手には一本の剣が握られていた。
炎を纏っている。
俺が知っている。
フレアブレイドと、よく似た剣。
「お兄ちゃん?」
「……何でもない」
俺は写真を裏返した。
そこには、母親の字で一言だけ書かれていた。
『この子には、まだ何も伝えないで』
「……この子?」
誰のことだ。
俺か。
それとも。
別の誰かか。
その瞬間。
俺の右手が熱くなった。
「っ……!」
手の甲に、青白い光が浮かぶ。
そして。
頭の中に文字が流れた。
『登録武装――更新』
『新規情報を確認』
『原型武装との接触を検出』
「原型……?」
次の瞬間。
写真に写っていた父親の剣が、頭の中で鮮明になった。
まるで。
実際に触れたことがあるかのように。
『武装情報――87%』
俺は息を止めた。
まだ触れていない。
写真で見ただけだ。
それなのに。
『複製可能』
右手の中に、炎が集まり始めた。
「待て!」
俺は慌てて能力を止めた。
炎が消える。
部屋には静寂だけが残った。
俺は写真を見つめる。
父さん。
母さん。
そして、二人の背後にあるダンジョン。
どうして両親は、こんな場所にいた?
どうして母さんは、「この子には何も伝えないで」と書いた?
そして。
なぜ俺の能力は、写真に写っただけの剣を複製できる?
答えは出ない。
ただ一つだけ。
俺はまだ知らなかった。
その写真が撮影された場所が、現在のダンジョンには存在しないことを。
そして写真の日付が。
ダンジョン発生の三年前だったことを。




