第4話 存在しないダンジョン
巨大な魔物が咆哮した。
耳を塞ぎたくなるほどの音だった。空気そのものが震え、足元の砂埃が舞い上がる。
俺は反射的に一歩下がった。
目の前にいるのは、これまで戦ってきたゴブリンとは明らかに違う。
全身を黒い甲殻に覆われた三メートル近い巨体。その頭には一本の角が生え、右手には青白い炎を纏った剣が握られている。
問題は、その強さが全く分からないことだった。
普段なら、モンスターを見ればなんとなく動きや危険度を予測できる。
だが、こいつは違った。
近くにいるだけで身体が勝手に警告を出している。
逃げろ。
戦うな。
今のお前では勝てない。
そんな声が聞こえてくるようだった。
「……だったら」
俺は剣を握り直した。
逃げる。
それが一番正しい。
こんなところで死んだら、美咲を一人にしてしまう。
分かっている。
分かっているのに、俺は魔物の手にある剣から目を離せなかった。
青白い炎。
刀身を覆う光。
あれが何なのかは分からない。
でも、俺の能力が反応している。
頭の奥で、さっきから警告のような文字が浮かんでは消えている。
『特殊武装を確認』
『解析中』
『武装情報の取得に失敗』
『複製条件――未達成』
「複製……」
俺は呟いた。
能力名は『武装精製・複製』。
これまで俺は、その名前をほとんど気にしていなかった。
剣やナイフを作れる。
それだけだと思っていた。
でも。
もし、この能力に本当に「複製」という意味があるのなら。
目の前の剣を複製できる可能性がある。
ただし。
その前に、こいつを倒さなければならない。
魔物が動いた。
「っ!」
速い。
巨体からは想像できない速度だった。
青白い剣が振り下ろされる。
俺は横へ飛んだ。
直後、地面が爆発した。
石畳が砕け、破片が頬を切る。
「うそだろ……!」
まともに受けたら、一撃で終わる。
俺は距離を取った。
剣を構える。
相手の動きを見る。
右足が前。
剣は右手。
なら、次は――。
魔物が再び踏み込んできた。
「そこ!」
俺は左へ移動する。
剣が頭上を通り過ぎた。
今だ。
俺は魔物の懐へ飛び込んだ。
狙うのは足。
巨体なら、動きを止めれば戦える。
剣を振る。
ガキンッ!
「なっ……」
弾かれた。
まるで鉄の壁を斬ったような感触だった。
魔物の甲殻には、傷一つない。
俺は慌てて後ろへ飛ぶ。
その直後、拳が目の前を通り過ぎた。
風圧だけで身体が吹き飛ばされる。
「ぐっ!」
壁に背中を打ち付けた。
息が詰まる。
痛い。
身体が動かない。
それでも、俺は立ち上がった。
「……まだだ」
剣を見る。
刀身にヒビが入っている。
あと少しで消える。
能力レベル1。
俺が作れる武器には限界がある。
普通の剣では、こいつに傷をつけることすらできない。
なら。
「武装精製!」
手の中の剣を消す。
すぐに新しい剣を作った。
そして、魔物が再び迫ってくる。
今度は正面からではなく、横へ走った。
逃げる。
斬る。
逃げる。
斬る。
何度も繰り返す。
甲殻を斬れないなら、別の場所を狙う。
目。
関節。
喉。
足首。
どこかに弱点があるはずだ。
魔物が剣を振る。
俺は避ける。
拳が来る。
しゃがむ。
蹴りが来る。
後ろへ飛ぶ。
少しずつ。
本当に少しずつだが、相手の動きが見えてきた。
「右から来る!」
魔物の剣が振り下ろされる。
俺は左へ避けた。
そして、そのまま腕の内側へ潜り込む。
「ここだ!」
剣を突き出した。
今度は違った。
手応えがあった。
「入った!」
黒い甲殻の隙間に剣が突き刺さる。
魔物が初めて苦しそうな声を上げた。
俺はすぐに距離を取った。
やっぱり、傷つけられる。
なら勝てる。
そう思った。
次の瞬間。
魔物の目が赤く光った。
「……え?」
空気が変わる。
青白い炎が、剣から一気に噴き出した。
「まずい!」
直感で叫んだ。
俺は走った。
炎が壁を舐める。
逃げる。
逃げる。
それでも炎は追ってくる。
「くそっ!」
逃げ場がない。
前は壁。
右も壁。
左から炎。
俺は咄嗟に床へ飛び込んだ。
轟音が響く。
熱風が背中を通り過ぎた。
数秒後。
俺は恐る恐る顔を上げた。
目の前の壁が真っ赤に焼けている。
「……あれを食らったら、終わってたな」
息を整える。
身体は限界だった。
剣を作るための魔力も、ほとんど残っていない。
ここまでか。
そんな考えが頭をよぎった。
そのとき。
魔物の足元に、小さな光が見えた。
俺がさっき突き刺した場所。
そこから黒い液体が流れ落ちている。
傷は残っている。
俺の攻撃は効いている。
だったら。
あと一回。
あと一回だけ、同じ場所を狙えばいい。
俺は立ち上がった。
「……やるしかない」
魔物がこちらを見る。
俺も剣を構える。
残り時間は分からない。
体力も限界。
魔力もほとんどない。
それでも。
俺は走った。
魔物も走る。
距離が縮まる。
剣が振り下ろされる。
俺は踏み込んだ。
刃が肩を掠める。
血が飛ぶ。
痛い。
それでも止まらない。
魔物の腕が迫る。
俺は身体を捻った。
そのまま懐へ入る。
「これで……!」
剣を突き出した。
さっきと同じ場所。
甲殻の隙間へ、刃が深く入り込む。
魔物の動きが止まった。
俺も止まった。
数秒。
何も起こらない。
そして。
魔物の身体に亀裂が走った。
黒い甲殻が崩れていく。
巨体が膝をついた。
最後に一度だけ、俺を睨む。
赤い目の光が消えた。
その身体が無数の光となって砕け散った。
「……勝った?」
俺はその場に座り込んだ。
手が震えている。
怖かった。
本当に死ぬと思った。
それでも。
俺は生きている。
「……よかった」
胸を撫で下ろす。
その瞬間だった。
頭の中に、聞いたことのない音が響いた。
『討伐条件を達成しました』
「……え?」
『経験値を取得』
『レベルアップします』
目の前に、青白い文字が浮かび上がる。
『黒瀬悠真』
『レベル1 → レベル2』
「レベル……アップ?」
思わず声が出た。
学校では聞いたことがない。
そもそも、シーカーのレベルというものは確認されていない。
魔力適性。
固有能力。
技能。
それらは数値化されている。
だが、人間そのものがレベルアップするなど聞いたことがなかった。
なのに。
目の前には、確かに表示されている。
『固有能力:武装精製・複製』
『能力レベル:2』
『新たな能力を獲得しました』
俺は息を呑んだ。
そして、次に表示された文字を見て目を疑った。
『能力:特殊武装複製』
『解析した武装を一時的に複製できます』
「……複製?」
俺は魔物が消えた場所を見る。
そこには、一本の剣が落ちていた。
青白い炎を纏った、あの剣。
俺は恐る恐る手を伸ばした。
触れた瞬間。
『特殊武装を確認』
『武装名:フレアブレイド』
『属性:炎』
『特殊効果:魔力を炎へ変換』
『複製可能』
俺の心臓が大きく跳ねた。
「これを……作れる?」
右手を前に出す。
頭の中で、さっきの剣を思い浮かべる。
「武装精製・複製」
光が集まる。
普通の剣ではない。
青白い炎が渦を巻き、一本の剣が形作られていく。
俺はそれを握った。
熱くない。
むしろ、不思議なくらい手に馴染む。
「……すごい」
俺は剣を振った。
青白い炎が軌跡を描く。
さっきまでの俺には、絶対に作れなかった武器。
それが今、俺の手の中にある。
だが。
その直後。
『警告』
『特殊武装の維持には高い魔力を必要とします』
『現在の魔力では、維持可能時間は――』
表示された数字を見て、俺は固まった。
『約三十秒』
「……短っ」
思わず呟く。
せっかく強い武器を手に入れたのに、三十秒しか使えない。
俺は思わず笑ってしまった。
「まあ……俺らしいか」
それでも。
最初の剣とは全然違う。
これなら戦える。
そう思った瞬間。
ダンジョンの奥から、再び地響きが聞こえた。
俺は笑顔を消した。
「……まだ何かいるのか?」
暗闇の先。
さっきの魔物がいた場所のさらに奥に、一つの階段が現れていた。
その先から、冷たい風が吹いてくる。
普通のダンジョンに、こんな階段はない。
俺はスマートフォンを取り出した。
圏外。
当然だ。
それでも学校の管理システムには、このダンジョンの構造が登録されている。
第一層。
第二層。
第三層。
ここは初心者向けダンジョン。
本来なら、地下三階までしか存在しない。
なのに。
目の前には、地下へ続く階段がある。
「……行くなってことだよな」
頭では分かっている。
ここまででも十分危険だった。
今すぐ戻って、先生に報告するべきだ。
だけど。
俺は階段を見つめた。
この先に何がある?
どうして俺の能力は、あの剣に反応した?
どうして、存在しないはずの場所が現れた?
そして。
なぜ俺が、この場所に入れた?
疑問が次々と浮かぶ。
俺はしばらく迷った。
そして。
「……少しだけ」
階段を一段下りた。
その瞬間。
背後で扉が閉じた。
「……え?」
振り返る。
さっきまであった入口が消えている。
完全な暗闇。
俺は剣を握った。
青白い炎が周囲を照らす。
階段の先に、巨大な文字が浮かび上がった。
『第零階層』
その下に、さらに一文。
『適合者のみ、入場を許可する』
「適合者……」
俺は息を呑んだ。
そして、このとき初めて気づいた。
俺が手にしているフレアブレイドの刀身に、見覚えのない紋章が浮かんでいる。
その紋章は。
俺の固有能力が発現したとき、水晶の中に一瞬だけ浮かんだものと同じだった。




