Chapter 0.7 — Beyond the Unknown
魔術器官の移植研究が中止されてから、しばらく経った。
世間では、その話題も少しずつ忘れられていった。
けれど、蓮司と玲奈にとっては違った。
あの日、ダンジョンで見つけた資料。
人間の魔術を別の人間へ移すという研究。
二人は、あの出来事を簡単に忘れることができなかった。
「……なあ」
夕食を終えた蓮司が、机の上に置かれた新聞を見る。
そこには、研究中止についての記事が載っていた。
「まだ気にしてるの?」
玲奈が尋ねる。
「そりゃな」
蓮司は新聞を畳んだ。
「俺たちが知らないところで、あんな研究がされてたんだぞ」
「私も気になってる」
玲奈は少し黙った。
「でも、今の私たちには何も分からない」
「そうだな」
「それでも、ダンジョンへ行くつもり?」
「もちろん」
蓮司は迷うことなく答えた。
玲奈はその答えを聞いて、少しだけ目を伏せる。
「……どうして?」
「どうしてって?」
「怖くないの?」
蓮司は少し考えた。
「怖いよ」
意外にも、すぐに答えが返ってきた。
「死ぬかもしれないって考えたら、普通に怖い」
「なら、どうして行くの?」
蓮司は窓の外を見る。
「……見たいから」
「何を?」
「知らないものを」
蓮司は笑った。
「昔からそうだっただろ?」
子どもの頃に初めてダンジョンの映像を見たとき。
画面に映っていたのは、誰も見たことのない景色だった。
見たことのない魔物。
見たことのない場所。
そして、その先に何があるのか誰にも分からない世界。
あの日からずっと、蓮司は思っていた。
――自分の目で見てみたい。
「誰かが撮った映像を見るだけじゃ、やっぱり違うんだよ」
蓮司は言った。
「自分でそこまで行って、自分の目で見て、自分の足で歩いてみたい」
玲奈は黙って聞いている。
「だから俺は冒険者になった」
蓮司は少し照れたように笑う。
「強くなりたいっていうのもあるけど、それは一番じゃない」
「……そう」
玲奈は小さく頷いた。
「あなたらしいわ」
「玲奈は?」
「私?」
「うん。玲奈はどうして冒険者になったんだ?」
玲奈はすぐには答えなかった。
「私は……知りたいから」
「ダンジョンのこと?」
「ええ」
玲奈は窓の外を見る。
「二十年前、突然ダンジョンが現れた」
それまで存在しなかったものが、世界中に現れた。
そこから魔力が発見され、魔術が生まれた。
魔物が現れ、魔力石が採取されるようになった。
人々の生活まで変わった。
「でも、誰もダンジョンが何なのか知らない」
玲奈は静かに言う。
「どうして存在するのか。誰が作ったのか。どうして魔力があるのか」
「……確かにな」
「研究室で資料を読んでいるだけでは、分からないこともある」
だから、玲奈はダンジョンへ行く。
自分の目で見て、自分で確かめるために。
「私は、答えが欲しいの」
「答え?」
「ダンジョンとは何なのか。その答え」
蓮司はしばらく黙った。
そして、ふっと笑う。
「じゃあ、やっぱり俺たちは相性いいな」
「どうして?」
「俺は未知を見たい」
「私は未知を知りたい」
「同じじゃん」
「……少し違うと思うけど」
「細かいことはいいだろ」
玲奈は呆れたように笑った。
「そういうところは昔から変わらないわね」
*
数日後。
二人は再び、あのダンジョンの入口に立っていた。
「準備は?」
「完璧」
蓮司は剣を握る。
玲奈も杖を確認する。
「無理はしない」
「分かってる」
「危険だと思ったら戻る」
「それも分かってる」
「絶対よ」
「……玲奈って心配性だよな」
「あなたが無茶するからでしょ」
「否定できない」
二人は笑った。
そして、ダンジョンへ足を踏み入れる。
*
一階層。
二階層。
三階層。
以前よりも、二人の動きは明らかに良くなっていた。
蓮司が魔物を引きつける。
玲奈が魔術で援護する。
互いに声を掛けなくても、次に何をするのか分かる。
「右!」
玲奈の声と同時に、蓮司が横へ跳ぶ。
魔物の爪が空を切る。
「――集え、我が魔力。形を成し、彼方を穿つ光となれ」
「《光弾》!」
光が魔物を貫く。
蓮司が距離を詰め、剣を振り下ろした。
魔物が消滅する。
「よし」
「今のは綺麗だったわ」
「だろ?」
「でも、次はもっと速くできる」
「厳しいなあ」
二人は笑いながら先へ進んだ。
*
十階層。
二人は足を止めた。
その先には、以前見つけた研究施設へ続く道がある。
蓮司がそちらを見る。
「……気になるな」
「ええ」
「もう一度、調べる?」
玲奈は少し考えた。
「今はやめましょう」
「いいのか?」
「私たちには、まだ分からないことが多すぎる」
玲奈は階段の先を見る。
「まずは、この先を知りたい」
蓮司は笑った。
「そうだな」
二人は研究施設とは反対方向へ進んだ。
十一階層。
十二階層。
十三階層。
地図にない場所へ進む。
やがて、通路の先に広大な空間が現れた。
「……」
玲奈が言葉を失う。
そこには巨大な地下湖が広がっていた。
天井には淡く光る鉱石が無数に浮かび、水面にその光が映っている。
まるで、地下に星空が広がっているようだった。
蓮司はしばらく動かなかった。
「……すごい」
ようやく出てきた言葉は、それだけだった。
「これ、誰かに見せたいな」
玲奈が言う。
「そうだな」
蓮司は笑う。
「でも、その前に覚えておこう」
「覚える?」
「うん」
蓮司は湖を見つめる。
「俺たちが最初に見た景色として」
玲奈も湖を見る。
「……そうね」
二人はしばらく、その場に立っていた。
やがて玲奈が口を開く。
「蓮司」
「ん?」
「まだ先があるわ」
湖の向こう。
巨大な通路が、さらに奥へと続いている。
蓮司は笑った。
「じゃあ、行こう」
「ええ」
二人は歩き出した。
危険があることは分かっている。
自分たちの知らない場所に、何が待っているのかも分からない。
それでも、足を止める理由にはならなかった。
蓮司は、まだ見ぬ景色を見るために。
玲奈は、まだ知らない答えを知るために。
二人は進む。
誰も知らない場所へ。
――未知の彼方へ。




