Chapter 0.5 — The Words of Magic
二人が一緒に暮らし始めてから、しばらく経った。
最初の頃は、何をするにも少しだけ気を遣っていた。
朝起きる時間も、食事の時間も違う。
片方が寝ていれば、もう片方は静かにする。
そんな小さな気遣いを繰り返しているうちに、少しずつ二人の生活は形になっていった。
「蓮司、起きて」
「……あと五分」
「昨日もそう言ってた」
「昨日は本当に五分だった」
「三十分寝てたわよ」
「……そんなに?」
「時計見て」
蓮司は眠そうに時計を見る。
「本当だ」
「早くして。朝ご飯冷めるわよ」
「分かった」
そう言いながら、蓮司は布団から出る。
そんなやり取りが、いつの間にか二人の日常になっていた。
*
ある日の放課後。
二人は訓練場で向かい合っていた。
「今日は魔術の練習ね」
玲奈が杖を構える。
蓮司は剣を手にしたまま首を傾げた。
「俺も?」
「あなたも。魔術が使えた方が便利でしょ」
「剣があれば十分だと思うけどな」
「そう言うと思った」
玲奈は小さくため息をついた。
「魔術は、魔力を持っているだけじゃ使えないの」
「適性が必要ってこと?」
「それもある。でも、一番大事なのは魔力の扱い方」
玲奈は杖の先を訓練用の標的へ向ける。
「それから――詠唱」
「詠唱?」
「ええ」
玲奈は一度息を整えた。
「――集え、我が魔力。形を成し、彼方を穿つ光となれ」
杖の先に淡い光が集まっていく。
「《光弾》」
光が一直線に飛び、標的に命中した。
「おお……」
蓮司が目を輝かせる。
「今のが魔術か」
「初級だけどね」
「最初の長い言葉が詠唱?」
「そう。言葉に魔力を込めて、発動する魔術の形を整えるの」
「じゃあ、言葉を間違えたら?」
「失敗することもある」
「噛んだら?」
玲奈は少し考えた。
「……集中していれば大丈夫」
「絶対?」
「絶対ではないわね」
「怖いな」
「だから練習するの」
蓮司は腕を組んだ。
「じゃあ俺もやってみるか」
「いいけど、剣を置いて」
「そこから?」
「そこから」
蓮司は渋々、剣を壁に立てかけた。
「――集え、我が魔力。形を成し――」
「もっと魔力を集中させて」
「分かってる」
「力みすぎ」
「分かってるって」
「今度は詠唱が速すぎる」
「難しいな、これ!」
玲奈は思わず笑った。
「だから言ったでしょ」
蓮司は諦めたように剣を拾う。
「やっぱりこっちだな」
「その方があなたには合ってるかもね」
「魔術が得意じゃなくても冒険者にはなれる?」
「もちろん」
玲奈は頷いた。
「剣でも、魔術でも、自分に合った戦い方を見つければいいの」
「なら問題ないな」
蓮司は剣を握り直した。
「俺はこれで行く」
「ええ」
二人は再び訓練を始めた。
*
訓練が終わる頃には、外はすっかり暗くなっていた。
帰り道、蓮司は自動販売機の前で足を止める。
「玲奈、何飲む?」
「お茶」
「了解」
蓮司は二本の飲み物を買い、一方を玲奈に渡した。
「はい」
「ありがとう」
「今日、結構疲れただろ」
「あなたほどじゃないわ」
「俺は魔術の練習で疲れた」
「ほとんど失敗してたけど」
「そこは言わなくていいだろ」
玲奈が笑う。
蓮司も笑った。
少し前までなら、こんなふうに一緒に帰ることもなかった。
それが今では当たり前になっている。
「……なんか不思議だな」
「何が?」
「昔は学校で少し話すくらいだったのに」
蓮司は前を向いたまま言った。
「今じゃ一緒に暮らしてる」
「確かに」
「人生って分からないな」
玲奈は少し考えてから答えた。
「でも、悪くないと思う」
蓮司が隣を見る。
玲奈は前を向いていた。
「……俺も」
それ以上、二人は何も言わなかった。
けれど、帰り道はいつもより少しだけ短く感じた。
*
その日の夜。
夕食を終えた二人は、居間のテレビを何気なく眺めていた。
すると、画面がニュース番組から記者会見の映像へ切り替わった。
『続いて、冒険者育成に関する新たな発表です』
壇上には、一人の男性が立っている。
年齢は四十代ほど。
落ち着いた表情で、集まった記者たちを見渡していた。
画面の下に名前が表示される。
【神代学園設立準備委員会 理事長 神代宗一郎】
「神代宗一郎……?」
蓮司が名前を読む。
玲奈はテレビへ視線を向けた。
『本日は、冒険者育成を目的とした新たな教育機関の設立について、発表させていただきます』
会場にカメラのシャッター音が響く。
神代は資料を手にしたまま、ゆっくりと話し始めた。
「ダンジョンが発見されてから、二十年が経ちました」
会場が静かになる。
「この二十年間で、私たちは多くのことを知りました。魔力について。魔力石について。そして、ダンジョンという未知の存在について」
一度言葉を切る。
「しかし――まだ、分からないことの方が多い」
玲奈の表情が少し変わった。
神代は続ける。
「だからこそ、これからの時代には、知識と技術を持った冒険者が必要です」
画面には、学園の完成予想図が映し出された。
大きな校舎。
訓練場。
そして、ダンジョン探索を想定した施設。
「我々は、冒険者を単なる戦闘員として育てるつもりはありません」
「……戦闘員じゃない?」
蓮司が呟く。
「魔術、剣術、探索技術。そしてダンジョンに関する学問。そのすべてを学べる場所を作ります」
玲奈はじっと画面を見ていた。
「面白そうね」
「だろ?」
蓮司が笑う。
「俺、こういうの好きだな」
「まだ学校ができるって決まっただけでしょ」
「それでもさ」
蓮司は完成予想図を見ながら言った。
「いろんな人が集まるんだろ?」
「そうね」
「だったら、面白い冒険者も出てきそうだ」
玲奈は小さく笑った。
「あなたは本当に、知らないものが好きね」
「昔から言ってるだろ」
蓮司はテレビを見たまま答える。
「まだ誰も見たことのない場所を見てみたいんだ」
玲奈はその言葉を聞いて、少しだけ目を細めた。
「……なら、頑張らないとね」
「おう」
二人は再びテレビへ視線を戻した。
画面の中では、神代が記者からの質問に答えている。
『学園の開校時期は?』
「現時点では、数年以内を予定しています」
『国との連携については?』
「もちろん、必要な協力は得ていくつもりです」
次々と質問が飛ぶ。
神代はその一つ一つに、落ち着いた口調で答えていた。
その姿を見ながら、玲奈はふと呟いた。
「……本当に、これから変わっていくのかもしれないわね」
「世界が?」
「ええ」
蓮司は少し考える。
そして、いつものように笑った。
「だったら、変わる前にいっぱい見ておこうぜ」
「何を?」
「この世界の、まだ知らないところを」
玲奈は呆れたように息を吐いた。
「……あなたらしいわ」
テレビでは、まだ会見が続いていた。
二人はそれを眺めながら、明日の訓練について話し始める。
いつもと変わらない夜。
けれど、少しずつ。
二人のいる世界は、新しい方向へ動き始めていた。




