第七話 不揃いな相棒
昼の食堂は雑多な音で満ちており、相変わらず落ち着かない。
トレイが触れ合う乾いた音。弾ける笑い声。揚げ物の匂いや薄い味噌汁の湯気が混ざり合い、むっとした空気が滞っている。
神谷は、喧騒から少しだけ距離が置ける端の席に腰を下ろすと、トレイの上に並んだ定食を淡々と口に運んだ。
いつもなら、向かい側には相棒がいた。
箸休めのような愚痴。心地よい沈黙。気を張らずにいられる数少ない一時だった。
だが、今回の相棒に限っては、そうもいかない。
新たに配属されたアイは、最新式の捜査支援用アンドロイドだ。
精巧に造り込まれた外見は二十代の聡明な女性にしか思えない。神谷にとって、彼女とバディを組んで四六時中行動を共にするというのは、色んな意味でやりづらかった。とはいえ、上層部から下された人事には抗いようもない。
アイは刑事課執務室で淡々とキーボードを叩き、寸分の狂いもなく書類を作成し続けている。あまりに正確で迅速な動作に、神谷は声をかけるタイミングを見失い、チャイムとともに席を立ち、逃げるように食堂へと向かったのだった。
ただ、一人で座る対面の空席を眺め、これでよかったのかと自問する。
抑も、彼女に食事という生理現象に基づいた概念はあるのだろうか。空腹も休息も必要としない機械を飯に誘うという行為自体、滑稽な気がしてならない。
「おっ。神谷じゃん」
思考に浸る中、聞き慣れた軽い声とともに、同僚の相沢夏樹が何の遠慮もなく向かいの席に腰を下ろしてきた。
うるさいのがやってきた。
神谷は、顔も上げずに味噌汁に口をつけ、息を吐いてから啜った。
「おまえ、とうとうAiが相棒になったらしいな」
「ああ」
返事とも呼べない一言で会話を打ち切る。だが、奴は空気を読める男ではない。相沢は気にした様子もなく、ニヤついたまま身を乗り出してきた。
「いやいや、すげえじゃん。最先端だろ。俺なんか未だに人間だぞ、相棒」
「人間の方がやりやすいだろ」
淡々と返すと、相沢は肩を揺らして笑う。
「使いようだよ。あれ、マジで優秀だから。別班の奴も言ってたぞ。現場の映像と状況ログ突っ込んだだけで、動線と矛盾点を一発で洗い出したんだって」
神谷は箸を止めない。白飯を一口、味も確かめずに飲み込む。
相沢は、そんな様子を面白がるように口角を上げたまま、なおも身を乗り出した。
「あいつのは解析特化型のハイブリッドだって。映像認識と行動予測を同時に回して、過去データと照合しながら確率を絞る。人間みたいに思い込みで外さないし、精度も高い」
軽く笑いながらも、相沢はまっすぐに神谷を捉えていた。
ただただ面白がっているだけではない。きちんと任務で扱えるか否かを測っていると言える。
「でさ、今朝ちらっと見たけど……」
相沢はニヤつきながら、箸の先で空中を軽く指しながら続けた。
「神谷の相棒、普通に美人じゃん。視線の動きとか、プルプルの唇とか、受け答えの間とか、色っぽくていいよねぇ」
あれを、普通で片付けるには、無理があるけどな。
神谷は喉の奥から出かかった本音を飲み干した。
逆に無言の肯定と受け取ったのか、相沢が勝手に話を広げていく。
「基本、Aiって端末型だろ。モニター型やタブレット型。音声で指示出しや分析させて、解析結果を喋ってくるタイプ。相棒として認められているとはいえ、単独で端末持って行動しているもんだよな。傍から見れば独り言している怪しい奴だろ」
相沢はけらけらと笑い、味噌汁を一口だけ啜る。
「ロボット型も普及してきたけど、爆弾処理とか災害時で使うやつばかりだろ。遠隔で弄るやつ。会話できるけど、受け答えは定型文ばっかでさ。『了解しました』の繰り返し。あれも相棒というよりかは機械だろ」
軽く顎で外を指すような仕草をして、鼻で笑う。
「それに比べて人型は相手に見合った受け答えをしつつ、的確な解析結果をも演算する、完璧な相棒だよ。問題はコストも手間も段違いで、警察でも僅か数体しかないらしい。まあ、人間も給料っつうコストがかかるし、来年度からは人の採用数を減らすって噂らしいぜ」
味噌汁の椀を持ち上げる神谷の指先が止まった。
相沢は気付いていないのか、調子を崩さず軽口を叩く。
「で、アイちゃんだっけ。絶対、お偉いさんの好みで造られたってな。可愛いし、スタイルもいいし、ちゃんと人肌っぽくて……あ、触ったことある?」
前言撤回。ただ面白がって訊いているだけだ。
それに、言われてみればどこかで見たことのある顔をしている。モデルだったか、それとも女優か。具体的な名前は思い出せないが、今はくだらない冗談に付き合う余力も毛頭ない。神谷は小さく溜息を吐くと、残った味噌汁を一気に煽って乱暴にテーブルへ置いた。
「あのなぁ。仕事しに来てんだよ」
「分かってるって」
軽口を叩きながら、相沢は箸で空中を指した。
「で、真面目な話、使えるのか?」
「使えなければ、導入されないだろ」
神谷は白飯を口に運び、咀嚼すると、眉を寄せたまま飲み込んだ。
「先日遭った自作自演のコンビニ強盗。怪しいとは思っていたが、俺一人では解決できていなかった」
「ほう。と言うと?」
「防カメが切られていたが、アイは過去の映像から犯人の動向を知り、自作自演の確証を得た。人間だと犯行現場が映っていない映像を見ようだなんて思わない。そこが俺らの悪いところだよな」
視線が落ちたまま、神谷の中で光景がすり替わっていく。食堂のざわめきが遠のき、代わりにあの現場の静けさがよみがえった。
「……正確で狂いもない」
ぽつりと漏れる独り言。神谷は言葉を飲み込むように椀を置いた。
「少なくとも、ああいう心配はないだろうな」
神谷の視線の先に潜む重い沈黙を察したのか、相沢は食べ終えた箸を置くと自嘲気味に息を吐いた。
「そうだな。法律施行から違法捜査は大分減っていったし、お偉いさんは一刻も早く捜査用Aiを普及したがってるからな」
「ミスもしない。飯も食わない。感情で事件を潰さない。そのうち、現場も取調べもあいつらだけで回るようになれば、俺みたいなレッテルの貼られた刑事は真っ先にいらなくなるだろうな」
「神谷……」
相沢が口を開けようとした途端、天井のスピーカーが唐突に鳴り響いた。
『A市一丁目、アパートにて男性が血を流して倒れているとの通報。各員、配置につけ』
食堂のざわめきが一瞬で形を変えた。
さっきまでの笑い声が途切れ、椅子が引かれる音とトレーのぶつかる音が連続して響く。誰もが同じ方向へ動き出し、食堂の空気が一気に引き締まる。
神谷も無言で立ち上がった。トレイを戻すことすら後回しに、二人は食堂を出る。
そのまま刑事課へ戻ると、すでに、数人が無線を手にして配置を確認していた。
資料を引っ張り出す音。指示が飛ぶ声。その中で、一際静かな存在があった。
アイだった。神谷が入ってきたのを認めると、彼女は相変わらず冷めた視線を向けてきた。
「現場、A市一丁目××アパート。被害者は成人男性。先程、死亡が確認されました」
淡々と告げるアイに、神谷は一瞬だけ眉を寄せた。
「場所は把握してんのか」
「はい。出動準備も完了しています」
一切の無駄がない。二人のやり取りを見ていた黒崎が腕を組んだまま口を開く。
「神谷、アイ。現場はおまえらに任せる」
「了解しました」
珍しく声が揃った。
神谷は上着を羽織りながら、小さく息を吐いた。
同じ言葉を口にしている。立ち上がるタイミングも、視線の向け先も、寸分違わず揃っていた。並行すると歩幅も速度もぴたりと一致する。なのに、どこかが噛み合っていない。揃いすぎていること自体が却って違和感を残している。
外に出ると、冷たい外気が一気に頬を打った。今までまとわりついていた熱気が嘘みたいに剥がれ落ちる。遠くでサイレンが立ち上がり、無線の声が断片的に飛び交っていた。
神谷はポケットに手を突っ込み、短く息を吐く。視線を横に遣ると、アイはすでに数歩先を歩いていた。
アイの歩調は変わらない。無駄のない足取り。振り返りもしない。置いていかれているわけではない。合わせようと思えばいくらでも合わせられる距離である。
神谷は一瞬だけ視線を落としてすぐに前へ戻すと、僅かに遅れたまま、その背中を追った。




