第六話 相棒の正体
井上の聴取を終えた神谷は資料を抱えて歩いていた。
廊下は静寂を抱え込んだまま、等間隔に並んでいる蛍光灯の無機質な光が床を淡く照らしている。神谷自身の足音が嫌に響き、他の気配はほとんど感じられない。
「お疲れさまでした」
そんな中、唐突に声をかけられ、神谷はハッと顔を上げた。
現場にいた制服警察官が立っていた。
彼はわざとらしく手を挙げて、白い歯を見せつける。
どこか張り付いたような笑みで気味悪いなと思ったが、あれから何も告げずに井上を搬送させた手前、何かしら言われるのは致し方ないと思った。
しかし、彼の口から出たのは叱責でも皮肉でもなく、ただ淡々と事実を述べるだけのものであった。
「話は聞きました。アイの判断を無視して、被疑者の治療を優先したらしいですね」
「……悪いか」
「被疑者の確保よりも治療優先。『捜査行動基準法』としてはあまりよろしくない判断かと」
「おまえもアイと同じ意見か」
神谷は眉を寄せた。
彼は大袈裟に両手を横に振って、肩を竦めてみせる。
「さすがに軽傷とはいえ、頭の怪我って怖いですからね。普通なら病院に連れていきますよ」
同意見と言いたいところだが、男の言い方は被疑者の身を案じているというよりも「ここで死なれたら面倒だ」と計算しているような響きがあった。
胸の奥にざらついた違和感が残る。正しいことを言っているはずなのに、どこか温度が欠けている。
以前にも覚えたことのある同じ類の不快感に、神谷は無意識に視線を逸らした。
「おまえ、彼女と知り合いなのか」
「知り合いっていうより……」
男は歩み寄り、声を落とす。
「主任は何も知らないようですね」
「何の話だ」
「捜査行動基準法」
彼は帽子を外し、指先で縁をなぞるように弄びながら、口元だけで小さく笑った。
「あれが発足された理由、知っていますよね」
神谷は答えなかった。
忘れるほど歳月が経ったわけでもない。
忘れるはずもない。
ただ、思い出したくなかっただけだ。
汚職、暴力、誤認逮捕――。警察の不祥事が立て続けに報じられていた時期だった。
その中で、決定打になった、あの事件。
神谷はまっすぐ男を捉えた。
彼は首を傾けて目だけを細める。
笑っているのに底が見えない。そんな仕草が妙に神経を逆撫でした。
「不祥事続きで市民の警察不信は限界まで膨らんでいきました。そんな中、『連続強盗事件』を見事解決したことで、どうにか世間の目が戻ったと言えます」
制服警察官は喉の奥でくつくつと笑い、口元だけを歪めた。
「だからこそ、人間を信用できなくなり、主観を排除して再現性で縛るための法律ができました」
神谷の中で嫌な予感がざわりと蠢いた。
脳裏には、条文の断片が順序もなく浮かんでは消え、輪郭を持ちかけた瞬間、拒むように思考が鈍っていく。
それでも、男は間を置かず、逃げ場を塞ぐように淡々と言葉を重ねた。
「捜査行動基準法第九条。『捜査員は、補助的知能体による分析結果を積極的に活用しなければならない。』」
制服警察官がにやりと笑う。
「アイは補助的知能体。Aiです」
廊下の空気が、ほんの僅かに冷えた気がした。
「……は?」
間の抜けた声が出た。
神谷は眉間に皺を寄せたまま、思わず一歩引いた。
「いやいや、待て。どう見ても人間だろ」
神谷の頭に浮かぶのは、これまで見てきた補助的知能体の姿だった。
タブレット越しに解析結果を出すだけのもの。あるいは無機質な外装のまま会話機能を備えた機体。人の輪郭をなぞったモデルがあるという話は聞いたことがあったが、あそこまで人間らしく自然に振る舞う存在は知らない。
ましてや、それを相棒として現場に立たせるなど、現実味がなかった。
制服警察官は神谷の反応を見て、得心がいったように頷き、面白がるように口元を歪めた。
「見た目はそうでしょうね」
あっさりと返される。
「ですが、中身は違いますよ。Aiというよりアンドロイドと言うのでしょうか。判断補助に特化した人間型モデルでしてね。感情の揺れも、主観も、極力排除されています。主任みたいなのと組ませるために作られたようなもんです」
「は?」
思わず声を落として聞き返す神谷に、男は瞬きひとつせず、反応を観察するように見下ろしてきた。
寧ろ、神谷が目を逸らしたくなったが、ここで視線を外せば、自分の内側まで彼の観察眼に明け渡してしまうような気がして、喉元まで出かかった不快感を飲み込み、正面から睨み返した。
男は口角をやや上げて、品定めを終えた標本を見るような眼差しで、ゆっくりと瞼を伏せた。
「感情で動く人間と、感情を排した補助的知能体。ちょうどいいバランスでしょ?」
冗談のように聞こえるのに、冗談では済まされない。
神谷の頭に、これまでの光景が次々と浮かぶ。
無駄のない動き。迷いのない判断。人を処理する対象として見ているような冷たい視線。あの違和感の正体を知ってしまった瞬間、背筋が凍った。
男は満足げに頷くと、帽子を被り直す。
「そうそう。彼女こそ『連続強盗事件』を解決に導いた、警察組織の英雄です。主任を相棒にした理由も何となく頷きますね」
そう言い残して、すれ違いざまに去っていった。
足音が遠ざかる。再び、廊下に静寂が戻る。神谷はその場に立ち尽くしたまま、しばらく動けなかった。
やがて、ゆっくりと顔を上げた。
「……マジかよ」
頭を掻きながら、重たい足取りで歩き出す。
『主任を相棒にした理由も何となく頷きますね』
その言葉が、胸の奥に小さな棘のように引っかかったまま、離れない。
白い蛍光灯の下、神谷の影だけがやけに長く伸びていた。




