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正しさの証明  作者: 虚名
第一章 正しさの輪郭
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第三話 正しい判断

 刹那、入口の方で足音がした。

 アイが店内に入ってきていた。無機質にヒールを鳴らしながら躊躇なくカウンター内へ踏み込んでくる。

「おい。おまえ、何してたんだよ」

 呆れたように声をかける神谷に、アイは足を止めずに淡々と答えた。

「被害者に事情聴取していました」

「被害者?」

「はい。救急搬送される前に事情を聞く必要がありましたから」

 平坦な声が店内に通る。神谷は思わず顔を顰めた。

「おまえ、怪我人に何をさせてんだ」

「搬送後は医療処置が優先されます。命に別状はありませんでしたので、先に事情聴取した方が効率がいいと判断しました」

「だからって、優先順位ってもんがあんだろ」

 神谷は言葉を失った。

 理屈は通っている。搬送を優先すれば、被害状況が後回しになってしまうおそれがあるし、事情聴取するなら一秒でも早い方がいい。抑も刑事は法で悪を懲らしめることができる立場だ。その点を捉えるならアイの判断は正しいと言える。

 反面、時には事件解決以上に、被害者の状態を優先する必要だってある。無理に聞き出せば、記憶ごと閉ざしてしまう可能性があるからだ。

 あいつなら、きっと相手の肩に手を置いて「平気か。無理するな」と声をかけていただろう。

 たった一言で、場の空気が変わることを神谷は知っている。

 目前の相棒には、それがない。

 正しさだけで組み上げられた判断。無駄がなく隙もない。ただ、彼女の判断を否定するほどの決定的な誤りもない。

 神谷は小さく息を吐いた。

「それで、被害者に何か聞けたのか」

 神谷の心中なんてお構いなしに、アイは淡々と告げた。

「犯人はサングラス、マスク、帽子を着用していたことから年齢、顔貌は不明。入店直後に刃物を突きつけ、『金を出せ』と要求。声からして若い男だと証言しています」

 ヒールの音が血の匂いの残る床に乾いて響く。

「当時、従業員は被害者と久保田さんの二名。久保田さんが裏手にいたため、被害者は単独で対応。レジスター内の紙幣を強盗に渡しています」

 アイは開いたままのキャッシュドロアに目を落とした。

 空になった紙幣スペース。乱れていない硬貨。なるほど。被害者自ら強盗に現金を渡したから硬貨は強取されなかったと、神谷は推測した。

 アイは手前のレジスターを凝視しながら、説明を続けていく。

「その後、犯人は刃物の柄で被害者の右側頭部を殴打し、逃走。被害者は転倒し、尻餅をついた状態で倒れた」

 アイは指先で自身の右側頭部、こめかみの少し上を軽く叩いた。

「殴打箇所はここです。出血は見られますが、量と分布からして致命的な損傷ではありません。受け答えも明瞭でしたので現時点では軽症と見ていいでしょう」

 アイはゆっくりとカウンターに歩み寄る。レジスターの高さを見比べるように視線を動かし、血痕の位置をなぞるように目で追っていた。

「被害者の身長は私とほぼ同じ。約一六〇センチ。犯人は証言上、約一七〇センチ……」

 そして、ヒールの音が止まる。

「妙です」

 久保田が顔を上げる。制服警察官も意味を測りかねたように眉を寄せていた。

 神谷は何も言わずにアイの視線の先を追った。

 レジスター。カウンターの縁。血痕――。

「ああ。ないな」

 思わず声が漏れた。

 制服警察官と久保田が揃って神谷を見る。

 神谷はやれやれとかぶりを振るとカウンターを出て、客側へ回り込む。レジスター正面の位置に立ち視線を上げた。

 アイが向かい合わせに立っている。彼女もまた神谷の意図を汲んで、キャッシュドロアに手を伸ばす。

 神谷は一歩踏み込み、カウンターとの間合いを測るために足を止めた。

 視線を落とし、レジスターの高さとアイの頭の位置を見比べた。右腕を上げる。振り下ろす軌道をゆっくりとなぞる。

 やはり、届かない。

 神谷は小さく息を吐き、腕を下ろした。

「犯人の身長は約一七〇センチ。俺は一七四センチだが、俺でもレジが邪魔で店員の頭部を殴打できない」

 神谷の位置からアイの頭に触れようと思えば届くが、出血するほどの一撃を与えようと腕を振り下ろせば、手前のレジスターに前腕がぶつかる。

「となれば、被害者がカウンターで現金を渡した瞬間に殴られた……」

 アイが現金を渡す素振りをして、カウンター上に顔を出す。

「それなら被害者の右側頭部を殴打できる。恐らく犯人は左利き。と、予測したいところだが……」

 神谷は視線でカウンター上をなぞる。

「カウンター上には血痕がない」

 店内に言葉を継がない空白が落ちた。

 レジの開いたキャッシュドロアが、取り残されたまま口を開けている。蛍光灯の白い光が乾きかけた血の縁を鈍く照らしていた。

 制服警察官が息を詰める。

 緊張のせいか、それとも別の理由か、久保田の肩がほんの僅かに上下した。

 アイが視線を落としたまま、淡々と補足する。

「つまり、被害者はカウンター越しではなく、カウンター内で殴打されたことになります」

 乾いた空気の中で、彼女の言葉だけが鮮明に残った。

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