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正しさの証明  作者: 虚名
第二章 正しさの在処
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第十二話 不可解な標的

 神谷とアイは再度、惨劇の舞台となったアパートへ向かっていた。

 車両の窓から流れる景色は冷徹な署内とは対照的に穏やかな西日に照らされている。街路樹の影が長く伸びて住宅街の舗道に等間隔の縞模様を描いている。庭先に洗濯物を取り込む人影や犬と散歩している人の立ち止まる様子が窓越しに流れていく。

 ラジオからは、昼下がりのニュースが淡々と流れていた。

『昨日未明、市内のアパートで男性が自宅で殺害されているのが発見された事件で、警察は強盗目的の犯行の可能性が高いとみて捜査を進めています。現場からは一部の金品が――』

 神谷は忌々しげにオーディオのスイッチを切った。

 この街の片隅で一人の男が命を落とし、一人の少女が地獄の縁に立たされているというおぞましい真実など露知らず、行き交う人々は穏やかな日常という仮面を被って歩みを進める。何も知らない彼らが紡ぐ静寂はあまりにも薄っぺらく虚ろに見えた。

 バックミラーに映る顔は眉間に深く皺が刻まれて、目は充血している。

 一方、助手席に座るアイの横顔は彫刻のように端正で微動だにしていない。彼女の存在そのものが車内の温度を下げている錯覚すら陥る。

 無意識にポケットを探る。だが、禁煙であることや、精密機械の視線を感じ取り、ハンドルを握り直すことにした。

「神谷主任。取調室内での佐伯凛の聴取データを解析しました」

 タブレットを操作するアイの声が乾いた風のように流れ込む。神谷が運転しながら横目に一瞥すると、彼女は頷き、話を続けた。

「彼女の心拍変動および瞬目回数の推移から、学校生活について聴取した際のストレス値は、父親の死を聴取した場合より十八パーセント上回っています。これは父親の死という事実よりも、日常の欠如を隠蔽することの方が心理的負担が大きいことを示唆しています」

「ああ。あの子にとって学校は行きたくても行けなかった場所なんだ。それを話すのがどれだけつらいか、おまえには理解できないだろうがよ」

 神谷はハンドルを握る手に力を込めた。

 署を出る際にアイに投げつけた「最低だな」という言葉が口内になおも苦く残っているのも気に食わない。

「捜査行動基準法第八条『捜査においては、効率性及び再現性を優先するものとする』。故に、感情を排した上で事実のみを抽出することが私の存在意義です」

 アイは視線を上げず、タブレットから目を離さなかった。

 少女の自尊心を削り取ったことは単なる効率的なプロセスのひとつに過ぎない。徹底した無機質さが、神谷には恐ろしくもあり、なぜか救いようのない孤独を感じさせた。

 車両が住宅街の細い路地に入り、例のアパートの前でブレーキをかけた。神谷は重い溜息とともにドアを開ける。ほぼ同時に助手席のドアが開閉した。

 規制線の黄色いテープが風に煽られて低く乾いた音を立てていた。野次馬はすでに去り、静寂という名の不吉な余韻だけが漂っている。

 錆びた鉄の臭いが脳裏に過り、玄関ドアの前で足を止める。神谷は一度深く息を吸い込むと手袋をはめて、あらかじめ持参した鍵で解錠して扉を開ける。再び足を踏み入れた室内は以前よりも更に冷え切っていた。

 西日が埃の舞う空気を黄金色に染めているが、床にこびりついた赤黒い染みだけは陽光を拒絶するかのように淀んでいる。

 アイは玄関に立つなり、室内をゆっくりと見渡して首を傾げた。

「違和感があります」

「有能なAiが、今更になって違和感か」

 無駄だと思いながらも皮肉を返す。

 自尊心を揺さぶり、彼女の無機質な仮面に少しでも揺らぎが生じないかという淡い期待。無論、アイは神谷の心中なんぞ介する余地もないと言わんばかりに表情一つ変えず、分析を続けた。

「アパートの周辺地図を確認してください。徒歩圏内には資産価値の高い戸建て住宅が並ぶ高級住宅街が存在します。侵入窃盗、あるいは強盗を目的とするならば、防犯設備の有無を差し引いても、この物件を標的に選ぶのは非論理的と言えます」

 神谷は窓の外を見た。確かにアパートから数分歩けば、高い塀に囲まれた瀟洒しょうしゃな邸宅が立ち並んでいる。

「確かにな。わざわざこんなボロアパートの一室に狙いを定めるリスクとリターンが合わないな」

「ここには奪う価値のある何かが存在する。そう確信していた者による犯行の可能性が極めて高いです。現場を再検証します。鑑識が見落とした、あるいは重要視しなかった、価値のあるものを特定する必要があります」

 アイは手袋をはめ直すと、乱雑に物色された跡のあるタンスへと歩み寄った。

 神谷もまた彼女の隣で引き出しの中身を一つずつ確認していった。

「強取されたのは、金額不明の財布や現金だが……」

 衣類が乱雑に放り出されたタンス。安物のシャツや靴下の中に混じり、神谷は違和感のある重みを感じた。

「アイ。これを見ろ」

 一番下の引き出しの奥に押し込められていた、古びた布に包まれた物体。神谷が取り出して包みを解くと、鈍い銀色の輝きが露わになった。

「有名な腕時計だな」

 神谷が呟くと、アイが即座にタブレットで分析を開始した。

 数分後、無機質な瞳を細める。

「正規品ですが保存状態は劣悪で、オーバーホールが必要な状態です。時価に換算すれば十万円相当の価値があります」

「十万か。こんなところに住む男が持つには、少し不釣り合いな代物だよな。被害者はそれなりに資金を持っていたというのか」

「被害者の属性とは乖離しています」

 酷い言い分だと神谷は思う。だが、佐伯の恰好はお世辞にも清潔感があるとは言えなかった。

 着古されて襟元が伸びきったTシャツに手入れの行き届いていない無精髭。アパートの湿気と埃にまみれた生活臭がそのまま形になった風体だった。少なくとも高級時計を愛でるような優雅な社長とは呼べない。

「神谷主任。タンスの裏の構造を確認してください。微細な擦過痕があります」

 アイに指摘され、神谷はタンスを少し動かした。引き出しをすべて抜き取り、奥を覗き込む。

「二重底だな」

 神谷が底板の隙間に指をかけると、力任せに引き剥がす。隠されていた隙間から、数冊の手帳と銀行封筒が滑り落ちた。封筒の中身を確認した途端、神谷の眉間に深い皺が寄る。

「札束だ。百万はあるぞ」

 アイは手帳のページを捲り上げ、タブレットに内蔵されている警察のデータベースと照合を開始した。

 数分の静寂の後、彼女の唇から、佐伯の真の顔が語られた。

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