4話
辺境へ来て、二ヶ月。
エレノアの薬師としての評判は、近くの村にまで広がっていた。
「エレノア先生!」
最近では、そう呼ばれることも増えた。
「先生はやめてください」
「でも先生だろ!」
少年たちが笑う。
エレノアは少し困ったように目を細めた。
王都では考えられない光景だった。
昼過ぎ。
薬草を乾燥させていると、外が妙に騒がしくなった。
「……?」
窓を開ける。
村人たちが入口の方を見てざわついていた。
「なんだぁ?」
「騎士様じゃねぇか?」
土埃を上げながら、一台の馬車が村へ入ってくる。
王都の紋章。
エレノアは静かに目を伏せた。
「お嬢ちゃん、大丈夫か?」
村長が心配そうに見る。
「……はい」
馬車が止まる。
降りてきたのは、見覚えのある男だった。
「久しぶりだな」
王宮騎士のクラウス。
以前、アルベルトの護衛をしていた騎士だ。
「お久しぶりです」
エレノアは頭を下げる。
クラウスは周囲を見回した。
小さな家。
干された薬草。
集まる村人たち。
「本当に薬師をしていたのか」
「ええ」
「……そうか」
クラウスは少しだけ言葉に詰まる。
以前の彼なら、
追放された令嬢をもっと冷たい目で見ていただろう。
だが今は違った。
「中で話せますか?」
「どうぞ」
家へ入る。
クラウスは椅子へ座ると、小さく息を吐いた。
「結論から言う」
「はい」
「毒事件の再調査が始まった」
エレノアは静かに瞬きをした。
「再調査、ですか」
「ああ」
クラウスは難しい顔をする。
「お前の部屋から見つかった毒草だが、不自然な点がいくつかあった」
「……そうですか」
「それに、ミレイア様の証言も曖昧なんだ」
あの日。
混乱の中でミレイアは確かにエレノアを指差した。
だが今は、声が出ない。
筆談もまだ難しいらしい。
「殿下も……少し考え直している」
その言葉に、エレノアは少しだけ視線を落とした。
「そうですか」
「驚かないんだな」
「もう終わったことだと思っていましたので」
クラウスは黙る。
普通なら怒るはずだった。
冤罪。
婚約破棄。
追放。
人生を壊されたようなものだ。
だがエレノアは、驚くほど静かだった。
「……恨んでいないのか?」
「恨む?」
エレノアは少し考える。
「どうでしょう」
窓の外を見る。
畑で子供たちが走り回っていた。
村人たちの笑い声も聞こえる。
「ここは静かですので」
「…………」
「今の暮らし、嫌いではありません」
クラウスは何も言えなかった。
王都にいた頃のエレノアは、
いつも息苦しそうだった。
それを少し思い出す。
「……殿下は謝罪したいらしい」
「謝罪?」
「ああ」
エレノアは小さく目を伏せた。
しばらく沈黙。
そして。
「お断りします」
静かな声だった。
クラウスが驚く。
「いいのか?」
「はい」
「冤罪が晴れるかもしれないんだぞ?」
「それでもです」
エレノアは小さく微笑んだ。
「ようやく、静かに暮らせていますから」
その言葉に、クラウスは何も返せなかった。
夕方。
クラウスが帰る頃には、村人たちがすっかり囲んでいた。
「王都のお偉いさんか!」
「エレノア先生、悪いことしたように見えねぇぞ!」
「そうだそうだ!」
クラウスは苦笑する。
「随分慕われているんだな」
「皆さん、優しいので」
エレノアは困ったように笑った。
その顔を見て。
クラウスは少しだけ違和感を覚える。
王都では、一度も見たことのない表情だった。
本当に。
こちらの方が幸せそうだった。
「……また来る」
「はい」
馬車が去っていく。
村は再び静けさを取り戻した。
夜。
エレノアは一人、薬草を乾燥棚へ並べていた。
辺境の夜風が窓から入ってくる。
静かだった。
エレノアは小さく息を吐く。
「……本当に」
ここは暮らしやすい。
王都よりずっと。




