2話
王都を出る馬車の中で、エレノアはずっと窓の外を見ていた。
石畳の街並みが遠ざかっていく。
賑やかな店。
大きな屋敷。
人々の声。
見慣れた景色だった。
けれど不思議と、未練はあまりなかった。
「お嬢様……」
向かいに座る侍女のメアリが、不安そうに声をかける。
「本当に、お一人で行かれるのですか?」
「ええ」
「ですが辺境ですよ? もっと王都に近い土地を——」
「大丈夫です」
エレノアは小さく笑った。
「静かな場所の方が、わたくしには合っていますから」
メアリは泣きそうな顔をする。
屋敷で最後まで見送りに来たのは、彼女だけだった。
父は仕事を理由に現れず。
母も部屋から出てこなかった。
責められなかっただけ、まだ良かったのかもしれない。
「……お嬢様は、悔しくないのですか?」
「悔しい?」
「だって、あんなの……」
冤罪です。
その言葉を、メアリは最後まで言えなかった。
エレノアは少しだけ目を伏せる。
「仕方ありません」
「でも!」
「メアリ」
エレノアは静かな声で言った。
「もう終わったことです」
それ以上、メアリは何も言えなくなった。
辺境へ着いたのは三日後だった。
小さな村だった。
石造りの建物も少なく、畑と森に囲まれている。
王都とはまるで別世界だった。
「ここが……」
エレノアは馬車を降りる。
乾いた風が頬を撫でた。
静かだった。
誰も噂話をしていない。
誰も自分を見て笑わない。
それだけで少し肩の力が抜ける。
「お、お前さんが新しい薬師か?」
声をかけてきたのは、白髪混じりの老人だった。
村長らしい。
「はい。エレノアと申します」
「貴族様って聞いてたんだが……」
「元、です」
「そ、そうか」
村長は少し困った顔をした。
辺境では薬師が不足している。
だが王都から追放された貴族令嬢など、不安にもなるだろう。
「薬草の知識ならあります」
「本当か?」
「簡単な調合程度でしたら」
エレノアは持っていた革袋を開いた。
乾燥薬草。
粉末。
小瓶。
それを見た村長が目を丸くする。
「……本物か」
「一応」
「ありがてぇ……」
周囲の村人たちもざわついていた。
辺境では薬は貴重だ。
熱病一つで命を落とすことも珍しくない。
「空き家ならある」
村長は慌てて言う。
「古いが、好きに使ってくれ」
「ありがとうございます」
「こちらこそ助かるよ」
エレノアは深く頭を下げた。
案内された家は、小さかった。
壁も古い。
床も軋む。
だが王都の屋敷より、ずっと息がしやすかった。
「……悪くありませんね」
荷物を置き、窓を開ける。
森の匂いが入ってきた。
静かな場所だった。
翌日。
エレノアは朝から森へ入っていた。
「これは解熱草」
「こちらは止血に使えますね」
薬草を摘みながら、小さく呟く。
辺境の森は種類が豊富だった。
王都より状態もいい。
「姉ちゃん、何してんの?」
後ろから声がした。
振り返る。
十歳くらいの少年が立っていた。
「薬草を採っています」
「雑草じゃなくて?」
「違います」
エレノアは少しだけ笑う。
「薬です」
「へぇー!」
少年は目を輝かせた。
「薬師ってすげぇんだな!」
王都では聞かなかった言葉だった。
エレノアは少しだけ驚く。
「手を出してください」
「え?」
少年の手には擦り傷があった。
転んだのだろう。
エレノアは小瓶から軟膏を塗る。
「うわ、痛くねぇ!」
「炎症を抑える薬です」
「ありがと!」
少年は満面の笑みを浮かべた。
その笑顔を見て。
エレノアは少しだけ目を細める。
悪くない。
本当にそう思った。
その日の夕方。
エレノアの家へ、村長が慌てて飛び込んできた。
「エレノアさん! ちょっと来てくれ!」
「どうしました?」
「酒場の旦那が倒れた!」
急いで向かう。
酒場では大柄な男が苦しそうに腹を押さえていた。
「キノコ食ったら急に……!」
「変なもん食いやがったんだ!」
周囲が慌てている。
エレノアはしゃがみ込み、男の顔色を見る。
「……毒キノコですね」
「助かるのか!?」
「大丈夫です」
エレノアは落ち着いて答えた。
「量は多くありません」
村人たちがほっと息を吐く。
エレノアは薬草を取り出した。
「水をお願いします」
「お、おう!」
慌てて村人が動き出す。
薬を作りながら、エレノアは少しだけ思った。
必要とされるのは、悪くない。
王都では、そんなこと一度もなかったから。
男は無事だった。
村人たちは大喜びする。
「すげぇな姉ちゃん!」
「本当に薬師様だ!」
「王都の連中より頼りになるじゃねぇか!」
笑い声が広がる。
エレノアは少し困ったように微笑んだ。
「大したことではありません」
その夜。
一人になった部屋は静かだった。
窓の外では虫が鳴いている。
エレノアは薬草を整理しながら、小さく息を吐いた。
「……ここなら」
静かに暮らせるかもしれない。
初めてそう思えた。




