第2話 ミスリルの在り処
東京、禍方区、禍柳には、明治より変わらない華族の暮らしを守る禍獄家の本拠地、禍獄屋敷がある。
洋館と日本家屋の和洋折衷で、その日本家屋に、禍獄家当主、禍獄炎武郎の間があった。
響く張り手の音。
禍獄ヴァイオラ紫は、頬を引っぱたかれて壁に叩きつけられた。
手で触り、自身が鼻血を出す程叩かれたことがわかり、兄を睨む紫。
「お兄様……!暴力で言いなりになると思っていて?」
「黙れ紫!女がお前を守れるものかッ!!ミスリルとて力の荒業なのだ!死んだ女など捨てよ、俺のミスリルを返せ、紫よッ!!」
兄、禍獄フィンセント京は高圧的な態度を崩さない。
「ミスリルは、返せません。」
「何をぉッ!?」
紫は凛とした態度で引き下がらない。
「今、ミスリルは相楽良夢の命です!わたしは恩人の命を奪いはしないわ!」
京は再び張り手をせんと、手を振りかぶった。
「生意気をぉッ!!」
その張り手を掴んで止めたのは、父、禍獄炎武郎である。
「そこまでにしておけ、京よ。馬鹿者が。妹可愛さに怒り狂って、紫を守りたいあまりに、お前が紫を殺めてしまうわッ!!」
「ぐ……!!しかし!父上!!」
炎武郎は紫の手を取り、立ち上がらせて、ハンカチを与えた。
「ここはわしに任せて、下がりなさい、紫や。京とてお前の危険な状況を伝えたいあまり、興奮しておるのだぞ。」
「お父様……」
「己のミスリルの特性は学んだな?ミスリルでしっかり己を治癒してから、風呂に行きなさい。くれぐれも、風呂場でもミスリルを手放すな。お前は、黒き花嫁なのだから。」
紫は父に頭を下げた。
「感謝します、お父様。……おやすみなさい。」
紫が去ると、京は不服げに壁を殴った。京のあまりのパワーに、クレーターの如く壁に跡がつく。
炎武郎は座して、淡々と告げた。
「そう荒れるなよ。うちの長男坊は、禍獄屋敷を破壊する気か?」
「何故紫を庇われるのか!アイツの命の問題に、アイツは情けから人助けにミスリルを使ってしまっているッ!!見知らぬ死んだ女の命よりも、我が妹の命を案じる兄心の、何が間違いなものかッ!!」
京の言い分ももっともであった。
紫の特別な霊子力は禍獄の血筋故。女に劣るとはいえ、京にも禍獄の血筋による、充分な霊子力が備わっていた。
紫を守る為のミスリルが、見知らぬ娘の心臓状態なのだ。
魔王打倒作戦自体が破綻し、今は、治療特化で戦い向きではない紫のミスリルしか、紫を守る術がない。
炎武郎は、くつくつ、と、含み笑いをした。
「焦るでないわ、未熟者めが。本当にその娘が一度魔王を撃退したならば、我らでその気概を試してやればよかろうて。なに、既に策はある。」
京は父の出した書類に食いついた。
「この生徒は二年生でな。タイからの留学生、アスニ・サムチャイ君という。素行不良の生徒と付き合いがあるものの、勉学は勤勉ぞ。訳あってエリートクラスに入れぬが、賢くてな。日常に使う愛称はプー。カニという意味で、日本人生徒からはアスカニやらプーチャイやらと、親しまれておる。」
京は疑問がった。
「アスニ・サムチャイ殿……留学生ながらに勤勉なことは感心だが、この男と、この場に何の関係が?」
「実はこの少年、ある危険な体質でな。政府からは、常にゴムスーツの着用、ゴム手袋の着用を義務づけられておる。彼は自然と帯電してしまう……言ってしまえば、行き過ぎた静電気体質よ。」
「……つまり。」
「ミスタリレ社の次なミスリルの完成品など、如何に我が禍獄家が特別待遇だろうが、作るだけで大仕事の貴重品ぞ。輸入されるまでに幾日かかるかわからぬものよ。だが、ミスリルの欠片ならば幾らか残っておるわ。アスニ・サムチャイ君ならば、それで充分。霊子力が僅かでも、皮膚を守るだけならば欠片で補えよう。己の身さえ守れれば、この少年こそが脅威!充分な働きが出来よう!京よ。お前は彼を説得し、紫の庇う娘を狙わせるだけで良い。わかるな?」
京は炎武郎に感心した。
「帯電男アスニ・サムチャイ殿こそが次の策か……ッ!!父上ッ!!死んだはずの娘の生死は問わぬであろうなッ!!」
炎武郎は声高らかに笑い出した。
「ハッハッハッハッハッハ!問わぬ、問わぬ!これを乗り越えるならば見上げた玉よ。その時は潔く認め、褒めてやればよい。だが、サムチャイ君に負けて死んだならば、そこまでの娘ということ。魔王になどかなうまじ、敗者に紫は守れやせぬ!その時は京、お前がミスリルを取り戻して、紫を守る任に戻ればよいだけのことぞッ!!」
京は父に一礼した。
「ただちに手配致す!持つべきものは偉大な父だな。しかし、なんと言って無関係なサムチャイ殿を説得すべきか……」
炎武郎は扇を開いてあおぐ。
「京よ。かつて生徒会選挙でお前は人心を掴む術を学んでおろうが?ただ、事実をうつくしく語るだけだ。禍獄とて悪ではない。兄心を美談に変えて、心より協力を求めよ。サムチャイ君は優しい子だ……下手な嘘より、真実のお前の心が、彼の善性に通じるというものよ。」
紫は、双翼のミスリル、ジブリールで、我が身を治療したあと、身体にミスリルを装着したまま、入浴した。
翼は、折りたたんで小さく待機状態にし、湯船に浸かる。
(お兄様は、確かにわたしを案じてやり過ぎた……だけど。)
紫は良夢が魔王を怯ませた、あの時を思い出した。
「良夢は、お兄様の言うような子じゃあない……規格外の女の子だわ。」
翌朝、相楽良夢は山崎君を追いかけた。
「押忍、山崎くーん!相楽良夢、ゾンビの経緯で生還しました!!一緒に登校しましょう!!」
山崎君達はびっくりし、やがて喜んだ。
「心配かけやがって相楽!!」
「山崎の奴、心配し過ぎて虚空を見てたよな!」
「だって俺のツッコミで相楽が手術沙汰で!!当たり前だろぉ!?」
良夢は真っ先に聞いた。
「昨日わたし死んでて!どうなりましたか、バスケ部の大会は!?」
山崎君達は苦笑いだ。
「負けた負けた。大会行けただけで奇跡だって、今までの相楽のピンチヒッターのおかげ。死んでたんだから、まずは大人しく休めよー。」
良夢は笑顔でノートの束を山崎君に預けた。
「じゃあ、はい!山崎君、宿題半分、お願いしますね!!」
「え……なんで?なにこの束?」
「昨日提出期限だったけど途中まで死んでたし……とにかく頼んだッ!!筋肉だけでは、勉強は進まないのですッ!!」
山崎君は溜め込まれた宿題を見ながら冷や汗をかいた。
「うひぇ〜。またえらく溜め込んだな、相楽。まぁ、倒れてたのは俺のせいだし。引き受けるけどさぁ。」
第三者が割り込んだ。
「相変わらずと言いたいところだけど。山崎さんは頑張れても、良夢姉ちゃんは残り半分もやれる訳?脳筋なのに、更に頭打った訳でしょ。」
良夢は小さい少年に喜んだ。
「雪國君!!久しぶりだね!クラスには慣れたんですか?」
飛び級の天才少年、春原雪國は、良夢達とは違うエリートクラスだ。
「まぁね。一応心配して会いに来たんだけど、身体はもう大丈夫そう。でも、頭打ったなら、心配だからなぁ。残りの宿題は片付けてあげる。悪化したら良夢姉ちゃん、植物人間でしょ?賑やかさが売りだから、そんなのは避けたいしね。」
相楽良夢は雪國の輝きに目を覆った。
「ふぉぉーッ!!眩い!眩いよ雪國君ッ!!後光がさしておるわッ!!なんまんだぶ、なんまんだぶ……」
「なはは。俺は来年には大学だからさ。役に立てるうちは、拝み倒してよ。」
山崎達はエリートクラスの雪國に怯みつつ、感心した。
「春原雪國。最年少でエリートクラスの上ベースボールの韋駄天。あんな奴まで仲間なのか、相楽のヤツは。」
「相楽はさぁ。不思議なヤツだよ。いつの間にか仲良くなっててさぁ。人当たりも良いしなァ。」
「山崎ぐらいだよ、相楽の勢いにビビらねぇの。コミュ強過ぎて引くぞ俺は。」
相楽良夢の兄たる、孤高のヤンキー相楽架無は、妹の復帰を遠目に見届けて、フッと笑う。
「正直ゾンビだからな。どうなる事かと思ったが、大丈夫そうじゃねぇの。」
架無と並んで登校していたアスニ・サムチャイは、ゴムスーツに頭まで覆われて、専門書を読みながらもしっかり架無の話に返事をした。
「ゾンビってどうゆう事なん?妹ちゃん、やっぱ一度、死んだん?」
「まぁな……ぶっちゃけ、遺体の時も見たしな。にしてもアスカニ、お前の頭ん中はどーなってんだよ。今度は何の専門書だぁ?」
サムチャイは本の表紙を見せた。
「ムッシュ・ド・パリ、死刑執行人シャルル・アンリ・サンソンやで。Amazonでこうたねんな。」
架無はため息だ。
「昨日まではエジプトの死者の書だろ?グレたわりに勤勉だねぇ。」
サムチャイは、悔しげなため息をついた。
「科学の国。学力の国。先進国。そんなん真に受けて留学したら、これやもんな。そら、グレるで。暗記制度で中身の無い学習に、平均値を上げるだけの教育制度。大学行ったって、二つくらいしか専攻できひんのやろ?エリートクラスが羨ましいわ。ワイみたいな静電気男は、大人しく専門書を読むくらいでしか、学力を上げられへんさかいになぁ。架無だってそうやろ。」
架無は背中を叩いてやる。バチン、と静電気が走った。
「いてっ、元気だせよアスカニ……っつっても、まぁマジな話だからな。叩いただけでゴム越しに静電気、政府が立ち入り禁止エリアまで作っちまって、まぁ。勉強したい奴に図書室まで禁じて、愚痴りたくもなるわな。」
サムチャイはボヤいた。
「平均値上げたって、頭空っぽのまま卒業するんか……何がしたいねんな日本?」
架無もまた、中学生まではガリ勉だった。高校に落胆したのは、架無も同じだ。
「頭が空っぽの金持ちを作るのさ。実質上、学業の研究者は安月給だからな。ま、反骨精神の集まりなら、楽しめばいいのさ。アスカニもな。集会はどうだった。」
「架無も一理あるわ。まあ、爽快やけど、バイクに触れへんかんなぁ。ワイが静電気なんぞ出したら爆発事故んなるで、ほんまに。」
「……髪は?大変なんだろ、シャワーがよ。」
サムチャイは照れ笑いした。
「痛いしブリーチ剤は破裂したけんど、ええ感じに色は抜けたで。ま、お披露目出来へんけど、気分的には良かったわ。」
架無はニヤついて、友の晴れた面を喜んだ。
「タイ人は顔がいいらしいからな。きっと金髪が映えるんだろうよ。」
「妙な期待せんたってー。でも、まぁ、ワイのオトンは性転換してオカンになったけど、確かに骨格とか、タイ人は浮かんなぁ……。」
「オトンのオカンが教えてくれたんだろ?プーパッポンカリーもよ。」
「せやで。ワイは下手やけどな。オトンのオカンは美人やし、料理が上手いんよ。」
二年生達は通りすがりざま声をかけた。
「プー!遅刻すんなよ!そこのヤンキー高校生はプーを巻き込むなよなー!」
「おっはよ、プーチャイ!これ食べなよ!二つ作ったからあげるね!」
中には、お弁当までくれる子も。
「え?そこまでしてもらってええの?」
二年生はサムチャイを応援した。
「もらっていいと思うよ?プーは昼飯代で専門書買って勉強してんだし。」
架無は自ら身を引いて、サムチャイを後押しした。
「俺はふけっからよ。アスカニ、きちんと飯食えよ?じゃ、放課後にな。」
その頃、紫は身支度を終えて、登校しようと、部屋のドアに体当たりしていた。
「葛葉!いい加減、わたしを出したらどうなの!?」
ドアの向こうで、力士の如き家政婦、葛葉はビクともしない。
「諦めてくださいよ、紫お嬢様!京坊ちゃんのおっしゃる通り、魔王に狙われんのは、貴方様なんですから!紫お嬢様が危ないんですよ!?」
紫はドアを睨んだ。
「わたしがミスリルで強行突破する前に、聞きたいわね。葛葉は随分お兄様に寄り添うのね?貴方、女子供がそんなに弱いと考えてらして?」
「いんや、アタシは男力士だってはっ倒します。だけど!京坊ちゃんだって間違っちゃいませんよ!!実際、霊子力ってもんは、一般人と禍獄の方じゃ、力比べにもなりゃあしません!!何故人助けなんかなさるんです!!あたしだって、紫お嬢様が死んだりしたら、そんなのは嫌だッ!!」
紫は、葛葉の言葉を聞き、悪意では無いとよくわかり、呼びかけた。
「葛葉!少し怪我をなさい!貴方が任務を全うした証を作るわ!」
紫は双翼のジブリールの羽根を射出し、ドアを破り、葛葉は立派な力士の如き太腿を負傷した。
「お嬢様ッ!!」
紫もまた、覚悟を改めた。
「心配かけて悪かったわね、葛葉。わたしも、お兄様が認められるように、良夢と話し合ってきます。一度は魔王を出し抜いた子よ。彼女の強さを、お兄様に、わかっていただいたらよろしいのでしょう?」
紫は少し遅れたが、走って登校していく。
負傷の身の葛葉は追いかけて来て、お重箱を差し出す。
「お嬢様、お弁当!!兄妹喧嘩は金輪際お断りです、きっちり勝って、仲直りして来てくださいよ!!」
「葛葉、貴方って人は……」
母親代わりの家政婦だ。もはや、家族同然である。
サムチャイは授業中、授業の勉強の傍ら、ゴム手袋を何枚か重ね付けし、アイパッドで習った側から調べた。
「大政奉還。戊辰戦争の始まり。坂本龍馬も物騒やけど、安易な将軍やなぁ……」
その時、サムチャイの指から高温が。
バリバリッ、と、電流の痛みが走る。
「あつッ!!」
思わず指を庇うが、それよりサムチャイは嘆いた。
アイパッドが煙を出し、起動しない。
「あぁ、やってもうた……。」
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