再びゴースト団地へ
~華々美side~
この町最恐の心霊スポットである難波地区、ゴースト団地に攫われてしまったわたしは、団地内にある木に縛られて動けなくなっていた。その縛られ方が、両手を上げられて両手と両足と腹を幹に縛り付けられるといったものであった。
(まだ日没でもないのに、空気が重くてジメジメしている。溜まり場となっているマンションはなくなっても、こんなにも嫌な雰囲気を出しているのか)
涼や由乃さんや朝香みたいな力を持たないわたしでも、この団地が物凄くヤバイ所だということは肌で分かる。犬神クラスの悪霊を未だに引き寄せてしまうくらいに。
そんな犬神にとり憑かれている男は、縛られているわたしの全身を嘗め回すようにじっくり見ていた。
「ふうぅん。君ってかなりスタイルがイイね。咲良の胸も大きかったけど、君の胸はそれ以上の大きさだね。それに、艶のある長い黒髪もたまらないね」
不快でしかなかった。どうでもいいと思っている異性に身体を見られるのは、反吐が出るほどに不快で気持ち悪かった。
「清楚な見た目とは裏腹に、鋭利な刃物のように鋭く吊り上がった目もまた魅力的だね」
「この眼付は生まれつきでね、ヤクザの組長をしているわたしの父に似たんだ」
「またまた。そんなこと言って、俺様が騙されると思ってのかい。君のその上品さと美しさは、どこかの大きな企業の令嬢で間違いないよ。俺様には分るさ」
見た目と雰囲気だけで勝手に家柄を決め、勝手な偏見と思い込みだけで相手を決めつけるクズっぷりに今にも懐に隠し持っている拳銃で、男を撃ってやりたかった。父や部下たちがいたら、死んだほうがましだというくらいに痛い目にあうだろうし、最悪の場合は・・・・おっと、それ以上は言わないでおこう。
「貴様は女を見る目が全くないな。わたしの事を、何一つ分かっていないな。ハッキリ言って、反吐が出る」
「こらこら、お嬢様である君がそんなことを」
「貴様が自慢しているその顔は、ハッキリ言って見ているだけで吐き気がするくらいに酷いな」
自慢の顔を醜いと言われ、男は怒りに満ちた顔でわたしを睨んで乱暴に頬を掴んできた。
「醜いだと!?このイケメンに対して、醜いだと!」
「事実を言ったまでだ。貴様はわたしが今まで見てきた男の中でも、とびっきりに醜い。それこそ豚にも劣るくらいに酷く醜い」
「この俺様の顔が豚以下だと!?」
余程自分の顔に絶対の自信があったのか、わたしに醜いと言われて我を忘れるくらいに怒り狂った男は、感情のままにわたしの頬に思い切り引っ叩いた。
だが、わたしの身体を嘗め回すように見たんだから、これくらいのお返しはしても罰は当たらないし、顔を叩かれるくらいわたしにとってはどうということもない。それでいちいち怒っていては、喧嘩なんて出来ない。
「ッタク!こんな男を見る目のない下品な女だったとは!」
「下品なのは貴様さ。ましてや、感情的になって手を上げる時点でテメェの人間性の薄さがよく分かるな」
「減らず口を!」
激昂した男は、更に感情的になってわたしに殴る蹴るなどの暴力を振るった。
「今まで、この俺様に声をかけられて喜ばなかった女なんて一人もいなかったというのに!誰もが俺様との関係を求めてきたというのに!それなのに何で貴様は!」
時間にして1分程度暴力を振るった男は、わたしに向かって吐き捨てるように言い放った後、マンションがあった更地に向かって胡坐をかいていた。そのすぐ近くには、相変わらず犬神がいた。
「哀れな男だ。顔の良さに驕って、中身が幼いまま成長して」
普通の人なら恐怖するところだが、わたしは生きた人間相手に恐怖を感じたことがない為どうとも思わなかった。
(その驕りこそが、あの男の精神の成長の妨げになっているのだろう。とてもあの由乃さんと同い年とは思えないな)
確かに、由乃さんも学生時代はかなり悪さをしていたと言っていたし、たまにその時の雰囲気に戻るときもある。だが、そんな由乃さんはきちんと道を正して真っ当に生き、師匠からも評価された。
子供のころから全く成長せず、ずっと顔が良いことばかりを自慢してそれがこの世の全てと思い込んだまま大人になったあの男は、本当に醜かった。
元々は、由乃さんと同様に更生させる為に弟子入りさせられたんだろうけど、あれでは誰の下に就いても結局は変わらなかっただろう。
(怖くないさ。幹夫たちが絶対に助けに来てくれるから)
それが分かっているからなのか、わたしの心は不思議と恐怖を感じなかった。
(護符を持っているお陰で、わたしは犬神にとり憑かれずに済んでいるが、それもいつまで持つか分からない)
こんな風に、冷静に考えられるくらいに。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
日没前になって、俺達はようやく難波地区に向けて出発準備を終えた。俺は金の刀と、銀の鏃の矢と弓を持って外に出ようと玄関に向かった。
だがそこでは、咲と小夏さんに止められている絵里奈ちゃんがいた。
「やぁあああ!」
「だめだ絵里奈ちゃん!」
「絵里奈ちゃんは行っちゃダメ!」
「どうしたんだ?」
「パパ!」
もうすぐ2歳になる絵里奈ちゃんは、俺を見つけるとすぐに駆け寄って俺の足にしがみついて引っ張ってきた。
「パパ!ママが!ママが!」
「絵里奈ちゃん、華々美が攫われたことを感じ取ったのか、ママを助けるんだって言って聞かねぇんだ」
「涼さんが言うには、元々強力な念力と霊力を宿して生まれたことで、犬神の気配を察知したのです。それと同時に、華々美さんが犬神に攫われたことも察知したみたいで」
「なるほど」
自我が発達しだしたことで、無意識のうちに念力の使い方を学んでいっているのかもしれない。涼を近くで見ていたからというのもあるかもしれないが、由乃さんの言う通り絵里奈ちゃんには他の誰よりも陰陽師としての素質が高いのかもしれない。
しかし、だからと言ってまだ赤ちゃんの絵里奈ちゃんを連れて行くわけにはいかない。
「大丈夫だ。華々美は、ママは必ず助け出すから、絵里奈ちゃんはここでいい子にお留守番しなさい」
「やぁあああ!えりなも、ママたすける!ママ、いないのやぁあだあぁ!」
泣きながら訴えるその姿から、生後6ヶ月の時に悪霊に攫われて、その上実の母親と死別したことが今でも深い心の傷になっているのが窺える。たとえ覚えていなくても、当時まだ生後6ヶ月だった絵里奈ちゃんの心を抉るには十分すぎる程のトラウマだ。
「っ!」
気付いた時には俺は、弓を投げ捨てて絵里奈ちゃんを抱きしめた。
「大丈夫だ、絵里奈ちゃん。ママは必ず助けるから、絵里奈ちゃんはここで待ってて。すごく危険だから」
「やだやだやだ!えりなもママたすけう!」
「絵里奈ちゃん、絵里奈!」
突き放しては絶対にダメだ。かと言って連れて行くわけにはいかない。強力な念力と霊力を持つ絵里奈ちゃんは、悪霊である犬神にとっては極上のご馳走だから連れていけない。
そんな絵里奈ちゃんに必要なのは、安心感と父親と母親と人の温もり。たとえ依存だと言われようが、今の絵里奈に必要だから。
だから絶対に突き放してはいけない。
俺は絵里奈の―――
「ママは必ず、パパが助けて連れ戻してくるから、絵里奈はここでいい子に待ってなさい。絶対に帰ってくる、約束だ。パパが絶対に、ママを助けるから」
「パパ」
今まで俺は、絵里奈の前で自分の事をハッキリとパパと呼んだことがなかった。俺自身が、絵里奈のパパになる覚悟が完全ではなかったから、どうしても自分の口から自分の事をパパと呼ぶことが出来ずにいた。華々美が絵里奈のママになる覚悟が出来ている中、俺は本当に弱くて情けない人間だ。
絵里奈の、愛する娘が本気で泣いている姿を見るまで固められなかったのだから、本当に情けない。
だけど、今はこの子のパパとして、この子との約束を守って帰ってくるという責任を果たさなければならないという感情が、俺の中で強く芽生えた。
「パパを信じてくれ。絶対にママを助けて、絵里奈の所に帰ってくるから」
「パパ・・・・・」
俺に抱きしめられて安心しきったのか、絵里奈は俺の胸の中で大きな声を上げて泣き出し、しばらくすると涙を拭いて俺から離れ、咲と小夏さんの所に歩み寄った。
「えりな、まってう」
「いい子だ。絶対に帰ってくるから。ママを連れて」
「うん」
ようやく納得してくれた絵里奈に見送られながら、俺は改めて弓を持って皆が待っている外へと出た。
「すまん、遅くなった」
「いいわよ。予想は出来ているから」
「また絵里奈ちゃんにぐずられたでしょ」
「その上、ママが攫われたんだから無理もない」
ワゴンの前に立っていたのは、フル装備の涼と由乃さんと朝香の3人と、子供を姫香たちに預けた戸村さんと柴川さんと西園寺さんの3人であった。
「本当に行くのか?」
「うん。いつまでも逃げ続けるわけにはいかないよ」
「ハッキリと拒絶しないと、あの男には何も伝わらないと分かりましたので、ここで待っているわけにはまいりません」
戸村さんと西園寺さんの言葉に、柴川さんは強く目を瞑りながらうんうんと頷いた。
「3人にも護符を持たせているし、とりあえずこれで犬神にとり憑かれる心配はないと思うわ」
お馴染みの木製の護符を見せる涼の装備は、青色の半袖Tシャツに短パンという服装に、腰に宝刀を2本差して、たくさんの道具が入ったカバンを掛けていた。
「とはいえ、犬神の人にとり憑く力は他の悪霊の比ではない。警戒は必要だ」
そういう朝香の格好は、彼女の実家でも見た水色の袴の巫女装束で、腰には刀と笛が差してあった。
「バカで自惚れの強いやつだとは思っていましたが、高校の時から全然進歩していません。いえ、あの当時よりもかなり酷くなっていました。同門の恥です」
同級生でもあり、弟弟子でもある鹿森の変わり果てた姿に大きく溜息を吐く由乃さん。Tシャツにジーパン姿に、桃木剣を背負い、左手には両端が5本爪のようになっている金色の棒のようなもの、五鈷杵を持っていて、涼と同様にたくさんの道具の入ったカバンを肩に掛けていた。
「準備できたんなら、行こう」
全員の準備が整ったところで、俺達は北海道に行った時のとは違うワゴンに難波地区へと向かった。ちなみに、あのワゴンはヒグマに体当たりされた所の損傷が酷く、帰った翌日の朝に取れてしまい、更にエンジンもかからなくなってしまった。
つまり、壊れました。
「それにしても、まさかあのゴースト団地に行くことになるなんて、思ってもみませんでした」
「ボクもだよ。一生縁がない所だと思っていたけど、そんな所に行くことになるなんてな」
「由乃さんと朝香も、ゴースト団地の事は知ってるのか?」
「そりゃ、この辺りでは地下の悪霊に匹敵するくらいに有名な所です」
「それに、物凄く有名な心霊スポットでもあるからね」
他所の県に住んでいる由乃さんと朝香でも知っているくらいだから、ゴースト団地がどれだけ危険で有名な所なのかを改めて知らされた。
「豊海トンネルなら行ったことがあるけど、お父さんやお兄ちゃんでさえ祓いきれないくらいヤバい所だった。ゴースト団地は、その豊海トンネルよりヤバイ所なんだからな」
「へぇ、朝香は豊海トンネルに行ったことあるんだ」
「お父さんやお兄ちゃんのお手伝いとしてね。マジでヤバかったのをよく覚えている」
やはり、豊海トンネルとゴースト団地はこの辺りではかなり有名な心霊スポットでもあり、朝香がヤバい所だったというくらいものすごく危険な所だったのだなと改めて思った。
「マンション自体は、2年前に青美が塵に変えて地下に埋めたけど、それでもあの団地にはどういう訳か、今でも世界中からたくさんの悪霊が集まってくるの。気付いたら、たった半年で元通りの超危険な団地に逆戻りよ」
去年、旧病棟を浄化効果のある塵に変えて地下に埋めるという術を空道が披露してくれたことがあった。この現象が最初に起こった時に涼が、地盤が緩んでいると言っていた所にも、去年空道がこの術を使って埋めて安定させてくれたこともあった。
この術を使えば、古い下水道を完全に埋めることが出来るし、地下にいる悪霊たちを一掃できる。
だが、それは出来なかった。理由は2つ。
一つは、範囲が広いから。あの術はバカみたいに念力を食う為、一日にあまり連続で使えないのに、完全に埋めるとなるとこの町の建物とアスファルトの約7割も塵に変えないといけないのだ。
そしてもう一つは、術者があの理想主義で甘い空道だからだ。あそこの悪霊たちが危険だと分かっているにもかかわらず、あのバカはあそこの悪霊を消滅させることに対してかなり消極的になっている。なので、出来ないのだ。今は笠島先輩が命令を出して、1日に5~6件ずつ建物を塵に変えて旧下水道に埋めさせている。
「皆、気を引き締めてください。間もなく南波地区に入ります。幽霊たちは皆、犬神を恐れて逃げ出していますので一人もいません。ですが、怨念は残っています」
「そうね。もう日没だっていうのに、死霊どもが一人も出てこないんだから。ここの悪霊たちからも恐れられているくらいだから、犬神がどれだけ危険な悪霊なのかが窺える」
いつもと違う夜の町に、由乃さんと朝香の表情がより一層険しくなった。というより、街灯が灯っていないという点を除けばこれが本来の普通なのだが、この町の幽霊たちは地縛霊以外全員が犬神を恐れて逃げ出しているのだ。
だけどそれが、より一層不気味さを醸し出していた。何より、明かりが全くない為周囲は闇そのもの。車のヘッドライトがなかったら、右も左も分からない状態になっていた。
「月明りは、期待できないな。電気がないというだけで、こんなにも不便になるんだな。いくら暗闇に目が慣れてしまっているとはいえ、あまりコンディションはいいものではないな」
「まったくよ。あの男も、よくも迷惑な悪霊を連れてきたわね」
光が全くない暗闇の中で、俺達はあの危険な悪霊と戦わなければならない。そのことに、俺達はより一層気を引き締めていくのであった。




