災厄の予兆
「ううぅ・・・・」
猛烈な圧迫感を感じ、目を覚まして下を向くと胸の上に乗った絵里奈が寝息を立てていた。
「まったく」
上に乗っている絵里奈の頭を撫でてあげながら、昨日のことを思い出していた。
帰ってきて早々絵里奈が泣きながら駆けつけてきて、俺の足に見事なタックルをかまして来てビックリしたものだった。その後は華々美と一緒にお風呂に入り、俺と華々美に交互に抱き着いて甘えてきた。
結局霊滅版を見つけられなかったと聞いた時の、皆のガッカリ感は半端なかった。その代わりに、佐藤さんと敦子さんの話を聞いて小夏さんが保管してあった渋井沢の領収書を取ってきて、それを佐藤さんに渡した。
受け取った佐藤さんは、想像以上に損傷の酷い領収書をみて少し眉を潜めていたが、それでも何とか解読は可能だと言ってくれた。コンピューターが無い為、ネットで住所が書かれたページや漢字を予想して照合するという、とても地味で気の遠くなるような作業をすることになるという。その為、解読にはかなりの時間がかかると言っていた。
(そういったソフトが使えないのは痛いけど、インターネットや動画サイトがまだ生きているのは本当に奇跡だ)
柚羽ちゃんの予想では、そこでも悪霊に対抗できる陰陽師、もしくはシャーマンがいて従業員が地道にサイトの運営と保守を行っているのではないかと予想している。流石に、涼クラスの力はなくても、悪霊を跳ね除けるくらいの力はあるのだという。
(やはり、そういったコンピューターって管理運営する人がいないと使うことが出来ないんだよな。電話は何とか出来るみたいだけど、メールやラインでのやり取りは出来ないのもそのせいなのだろうな)
電話だけでも使えるのはありがたいし、動画サイトが運営できるのも助かっている。動画サイト内では、生存者達の近況報告の場として活用されているし、時々ありがたい情報もくれるので本当に助かっている。
「コンピューターがダメでも、そういうのが可能なソフトがあればいいんだけど・・・・ありそうな建物は皆空道に頼んで塵に変えて旧下水道に埋めてもらっているからな」
この町で最も危険な心霊スポットとされている、昭和初期に作られた旧下水道。人が何にも入れるくらいに、大きくて広い下水道だったのだが、昭和の後期には殆ど使われなくなり、今では全く使われていない古い下水道だ。陥没の危険性があるとして、この町の外に続いているものは全て埋められているし、この町の大部分の下水道も埋められている。
ところが、町の中心部や難波地区、および朝戸地区やこの地区の埋め立てをする際に事故や原因不明の病で亡くなる作業員が後を絶たなかった。
一部のオカルトマニアが、面白半分で旧下水道に入って何枚か写真を撮ってみると、そこにものすごい数の幽霊が映り込んでいたらしく、その1週間後にそのオカルトマニアも行方が分からなくなったと言われている。
それ以来、このあたりの旧下水道は手が付けられておらず今も残っている。同時に、ゴースト団地に並ぶこの町最恐の心霊スポットとして全国に知れ渡ることとなった。
「前に涼から聞いたけど、この町の旧地下道の悪霊は皆地縛霊であって、ちょっかい掛けたり、土足で踏み込んだり、いたずらに写真や動画を撮らなければ大丈夫だとは言っていたけど、所々地盤が緩んでいるところがあるらしいからな」
現象が起こった初日に、華々美の部下たちが地面に引き込まれていったのを今も忘れていない。
「涼が言うには、当時はそこまで技術が進んでいなかった上に、陥没事故や崩落事故もあったみたいだから、そういう意味でもものすごく危険な場所だから立ち入りが禁止されているんだったな」
まぁ、あの辺りの地盤が緩んでいたのが原因であの人たちは引き込まれてしまったのだけど、確かにあれでは大きな地震が来た時に陥没して大惨事になるわな。
そんなこともあって、笠島先輩が空道に頼んで建物を浄化作用のある塵に変えて埋めさせて、ついでに中にいる悪霊たちも消滅させようということになった。
だが、理想主義で自分勝手な空道は地下の悪霊たちに対しても同情の念を寄せており、完全に埋めて悪霊たちを全て消滅させることに強い抵抗がある様子であった。仕方なく妥協案として、朝戸地区以外の全ての旧下水道だけでも完全に埋めるように笠島先輩が空道に命令したのだ。
そのお陰で、華々美の部下たちが引きずり込まれたあの場所も埋められて、地盤が安定するようになった。
「残るは朝戸地区だけなんだが、その場所だけはどうしても残したいとあの大バカがごねるからな」
地縛霊たちは、その場所に近づかなければ害はないというのだが、それでも危険であることには変わりない。その為、涼と由乃さんと朝香はさっさと全滅させたがっていたが、空道はあの地縛霊たちの住処を奪うだけでなく、実害がない霊を消滅させたくないみたいであった。
「その甘い理想主義のせいで、こっちは迷惑を被ってんだよ」
特に、小さい子供がいるとそういう危険な場所は早めに無くしておきたいという気持ちもあった。
しばらくすると、華々美と絵里奈も目を覚まし、その5分後には全員が目を覚まして朝食の準備をしつつ、畑や豚と鶏の様子を見に行った。当初は牛も飼育しようという案もあったが、牛の世話はかなりの重労働である上に素人では事故が起こる可能性もあるとして、牧場の人達から却下された。その代わりに、牛糞を貰うということになった。
とはいえ、小さい子供のお世話をしなくてはいけない人は基本家畜に触ることが禁止されている。抗生物質が不足しているため、万が一にも病気にさせるわけにはいかない。研究は進んでいるが、今すぐ使えるものでもない。
「さてと、様子見も終わったし、朝食を済ませたら畑仕事をしないとな」
30分ほど畑を見て回った後、屋敷に戻って軽くシャワーを浴びた後でリビングに向かった。入ってすぐ、絵里奈が俺の所に駆け寄ってしがみ付いてきた。
「絵里奈?」
「パパ、だっこ」
「抱っこ?はいはい」
娘に抱っこをねだられて、断れる父親がはたしているだろうか?
答えは否、だ!
抱っこをねだる絵里奈が可愛すぎて、俺は勢いよく絵里奈を抱っこしてあげた。
「幹夫、可愛いのは分かるけど流石に抱っこしすぎだ」
「いいじゃない、可愛いんだから」
「まったく。絵里奈もすっかり甘えん坊になったな」
口では注意しつつも、華々美も俺に抱っこしてもらって嬉しそうにしている絵里奈を見てにやけていた。彼女は、この屋敷にいる人の中で一番子供が好きだからな。
「また華々美とイチャイチャして」
「私達だって、絵里奈ちゃんのママなんですけど・・・・」
絵里奈にほっこりしている俺と華々美を見て、涼と美玲はなんだか面白くなさそうに見ていた。だけど、絵里奈は涼や美玲にもすごく懐いていて、2人の姿を見た絵里奈が目を輝かせながら両手を伸ばしてきた。抱っこを求めているのだ。
「コラ、絵里奈!危ないから、あまり前のめりになるな!」
落とさないように慎重に絵里奈を涼に渡し、抱っこしてもらった絵里奈は満足そうにしていた。
そうこうしているうちに朝食の準備が出来、俺達は急いで席に座った。
それから俺達は、庭の畑だけでなく屋敷の外の畑の作業に行った。
屋敷の外は、十数件の家屋が残るのみで一面広大な畑が広がっていた。建物だけでなく、車を走らせるだけのアスファルトを残して全てを地面に変えた。あまりに広大すぎる畑だが、ちびっ子を除く屋敷にいる人全員と、空道神社にいる人たち全員の力を借りることで何とか保っている。
豚と鶏の世話については、柴川さんと戸村さんを中心に行っていた。柴川さんの父方の実家は養豚を行い、小さい頃から祖父母の手伝いで養豚を経験していたという。
戸村さんはとにかく動物が好きで、豚と鶏のお世話がしたいということで柴川さんや村の人達からのアドバイスを受けて仕事を覚えていった。
2人の子供、俊君と亜美ちゃんはその間空道神社に預けられている。空道神社では、笠島先輩を中心に3歳以下の子供のお世話を積極的に行っている。うちからも、由乃さんや香苗さん、小夏さんや姫香も参加している。
特に、元保育士の由乃さんがかなり重宝されていて、更に怪我や病気があっても小児専門の香苗さんが診察してくれるので笠島先輩から感謝されている。その為由乃さんと香苗さんには、小さい子供たちのお世話を専門にしてもらっている。
「よし、間引きした蔓とクズ野菜は豚の餌に回して。野菜の葉は鶏にあげて」
そんな笠島先輩も今日は畑仕事をしており、10歳以上の子供たちと一緒に作業を行っていた。幸いなことに、小学生以上の子供たちも積極的に畑仕事をしてくれるお陰で人手不足は何とか解消している。その上、村からベテランの農家さんや友坂も手伝いに来る時がある。
小学生以上の子供たちも、いつも皆の為に働いてくれている笠島先輩の影響を受けてなのか、労働も育児も大人以上に積極的で仕事覚えの良さも大人以上なので、正直言って大人に頼むよりもこの子たちに頼んだ方が仕事も進むことが多い。逆に大人が情けなく見えてしまう。特に、現象前はスーツを着てデスクワークをしていた大人たちは毎日弱音を吐いていた。
(いい年下大人が情けないことばかり言っているのに対し、子供たちは一言も弱音を言わずに笠島先輩と一緒に農作業を行っている。本当に情けないな)
それでも、1日もサボったことがないだけマシと言える。
男性で農作業に参加していないのは、医者になるために勉強をしている道明君だけで、女性に関しては希望参加という感じであった。
農作業をしていない人は、由乃さん達と一緒に空道神社で幼児や赤ちゃんのお世話をしている。女性の大半はこっちに流れていて、男性は俺や笠島先輩や道明君、そして佐藤さん以外は殆ど入っていない。理由は至ってシンプルで、子供の面倒を見るのはストレスだからという理由であった。キツイ農作業であっても、子供のお世話をするよりはずっとマシみたいで、弱音を吐きつつも皆真剣に作業を行っている。
対して女性陣は、奇跡的に全員子供が大好きで積極的に育児に参加している。それゆえに、毎日その日の育児枠を奪い合っているくらいであった。
そんな風に1日の仕事を終えた俺達は、全員で空道神社に向かって子供たちのお世話をしつつ夕食の準備を進めていた。実子のいる親は、その子の世話を主に見ていた。俺も華々美と一緒に、絵里奈と他の子供たちの面倒を見ていた。
「皆随分と大きくなったな」
「亜美ちゃんや俊君、茜ちゃんや葵ちゃん以外は皆1歳以上だから」
「その1歳児も智明君だけなんだけどな」
あの時赤ちゃんだった40人の子供たちも、今では2歳になってそこら中を走り回ってはしゃいでいた。
そんなことを考えている間に夕食の準備が終わり、食べ終わった後は皆と子供たちを一緒に遊んでいた。
だが、俺はこの光景に違和感を抱いていた。そしてそれは、俺だけではなかった。
「武谷さん」
「幹夫」
「幹夫さん」
「幹夫君」
「柚羽ちゃん、涼、朝香、由乃さん」
うちの陰陽師4人も気付いたみたいで、険しい表情を浮かべていた。他にも、華々美と咲と里美、美玲と小夏さんも気付いていたみたいだ。空道神社側でも、空道と梨乃と笠島先輩が気付いたみたいだ。
「柚羽ちゃん、すぐに結界は張れる?」
「もう張っています。ですが、森側からの侵入は防げても、階段側からの侵入までは防げません。お父様やお兄様なら出来たかもしれませんが、未熟者のわたくしではこれが限界です」
「それでも十分だ」
岩崎家では、15歳で免許皆伝出来るように厳しい修行を受けさせているらしいが、女性はすぐにお嫁に行って子供を産まないといけない為そこまで強い力を持たされていないという。それを考えると、彩羽さんって本当にすごい人なんだなと思った。
「涼?」
俺の言葉を最後まで聞くことなく、涼は険しい表情のまま首を横に振った。そしてそれは、朝香や空道、影山姉妹も同じだった。
「未熟者と言っていたけど、私達では柚羽ちゃんクラスの結界を張ることはできないわ」
「実際に、ボク達が張った結界では悪霊の侵入を完全に防ぐことが出来なかったでしょ」
「むしろ、14歳であんなに強力な結界を張れる柚羽ちゃんがすごいのです。階段からの侵入が防げないというのは、単純に範囲限界を超えたです。悪霊の侵入までも完全に防げる結界を張るなんて、ベテランの陰陽師でも難しいのです」
柚羽ちゃんがいかにすごいのかを、うちの陰陽師たちから聞いて改めて実感した。けれど今回は、最大範囲限界を超えた為全てを防ぎきることはできないみたいであった。柚羽ちゃんには、空道神社だけでなく、南波地区を除くこの町全体にも結界を張ってもらっている。お陰でこの町は、死霊と悪霊のこれ以上の侵入を防ぐことが出来るようになったのだ。その上空道神社もとなると、流石の柚羽ちゃんだって限界を迎える。
「申し訳ありません。もう少しお時間があれば可能ですが、今回は急でしたのでこれが限界です」
「構わない。ならば撃退するまでだ」
俺達に出来ることは、この町にいる生存者を一か所に集めるように誘導した悪霊の襲撃に備えるだけであった。




