第3記 −奇妙な存在(2)−
図書館内はひっそりとしていた。閉鎖されているため魔力灯も着いていない。
普段より陰湿に感じられるのは当然なのだが、灯りが無い事を抜きにしても奇妙な圧迫感があった。それは“何かが居る”と知っているからかもしれない。
エミとハティーは静かに扉を閉め、辺りを窺う。
「ポーションの効果が消える前に手分けして探しましょ。あと、血の痕とか見ても騒いだら駄目よ」
「うんっ…」
2人は頷き合って逆方向に歩き出す。
図書館はかなり広く、天井も高い。その館内を巨大な本棚が立ち並び、1階から3階まで見渡す限り本だった。
各本棚にはスライド式の梯子が取り付けられていて、壁側を覆う本棚に至っては、階段と足場が設けられている。本来ならば管理員に案内してもらったり、予め探しておいてもらい後日取りに来るといった方法が当たり前なのだ。
備え付けの検索機器もあるが、今それを使えば非常に目立ってしまう。本しかない図書館で、外見以外の見当も付かない本を限られた時間内に探すとなると、望みは薄い。件の厄介な魔物が居るというのだから絶望的だ。
「緑…ショーゴの素顔。緑…嫌だ、ゴン様。緑…ポナペ…」
エミはしばらく緑色の本を見つけ、コペナスと書いてあるか確認するという作業をしていた。
本棚に点々と取り付けられている光る石−−光輝石のおかげで何とか探索はできている。だが、表紙が緑色の本は数え切れない程あるし、そもそもコペナスとは何語で書かれているのか…色々無駄な考えが出てきてしまい、果てが遠すぎて気分が萎えてくる。
元々、エミが図書館に来ると決めた理由は冒険心のみ。図書館に来て何をすればいいのか、何がしたいのかなど、エミにはやるべき目的がない。ハティーだけが明確な目的を持っているようだが、何故エミが同行するのだろうか。その本を手に入れる事が何になるのだろうか。何故、魔物が図書館内を徘徊しているのか。
エミはふと冷静になってしまった。今の自分が置かれている状況…ドア破壊、浸入、謎の本、魔物がいる図書館、1人、そしてエミの背後。
「ひっ……!!」
泣きそうな顔で勢いよく振り向くが、何もなかった。安堵の息を漏らしながら、ゆっくりと顔を戻す。
「ふゅわっ…!!」
エミは顔を戻した瞬間、びくりと仰け反った。
持っていた本を落とすほど過敏な反応。何もない。考えすぎだ。そしてエミは何気なく上を向いた。
「ぴゃっ…!!」
もはやピエロだった。もし魔物が襲って来たとしても、見えないし感知すら出来ないのだ。怖いものを考えすぎて、エミは忘れているのだろう。
人は深く考え過ぎると臆病になる。それが恐怖感に繋がる事なら尚更だ。
「うぅ…自分が情けないよ〜…」
少しは冷静になったのか、肩の力を抜いてため息をつく。
落とした本を拾っていると、エミの耳に微かな音が入ってきた。何かを擦ったような極小さな音。
音がした方を見るが、特に何もなかった。しかし、気のせいだと結論付ける前に、エミの目に異変が映った。
「…ん?」
視線の先にある右側の本棚から本が落ちた。そしてもう1冊、今度は少し手前の本だ。
まるで何かがエミに近付いて来るように。そこでエミの心臓は大きく鳴った。
「か、影男…」
例の魔物だと気付き、このままでは危険だと考えた。しかし体が動かない。どうすれば良いか、何をすれば良いか迷ってしまう。
同じ高さにある本が落ちていき、それはエミのすぐ近くまで迫っていた。近付くにつれ、本は鋭利な刃物に切られたように裂かれて落ちていく。そして、本が切り裂かれていく現象がエミのいる位置まで来た。
「−−ぎゃん!!」
エミは一瞬目の前が真っ白になり、その場に倒れた。鈍器のような物で思い切り殴られた感覚だ。起き上がろうとしてみたが駄目だった。
「う…い、ぅわ〜…」
エミは仰向けで大の字になっている。
じわじわと頭痛や吐き気がやってきた。喋る事も考えを巡らせる事も出来ない。最悪の気分だ。
起き上がるのは難しそうだが、焦点が合わない目で何とか状況を把握しようと見渡す。
倒れた拍子に帽子が取れていたおかげか、視界の上の方に誰かの顔が見えた。ハティーかとも思ったが、雰囲気が全く違う事に気付く。
悪意や殺意、負の気が漂うこの気配には覚えがある…そう、やはりあの時の影男だ。
「ほぉー、タフだねぇ。でも気分悪そ。ラクにしてやろーか?」
どんな目をして、どんな顔で言っているのかは今のエミには分からない。が、影男が楽しんでいるという事は分かる。自分の首にナイフが突き付けられているという事も。
「…眠れ」
その一言を最後に、エミの意識は闇の中に消えていった。
………………
目を開けると、そこは明るく綺麗な部屋の中だった。白を基調とし、ピンクや黄色といった家具などがある。女の子らしい部屋だ。
「エミ、目が覚めたわね」
透き通った綺麗な声。ハティーだ。その声を聞いて安心したエミは、ゆっくり顔を向ける。
「急に起き上がると具合が悪くなるから、もう少し休んでて」
エミは小さく頷いて応える。少しずつ覚醒し、今の状況を把握し始めた。
外はうっすらと明るくなってきていて、テラスに続く窓からは心地よい風が吹いている。
ソファーに横になっているエミと、椅子に座り紅茶を飲んでいるハティー。テーブルにはティーカップが2つあった。
「ハティーちゃん…私、えぇと……何があったの?」
ゆっくりと起き上がりながら、ソファーに座り直すエミ。肘掛け部分にはエミの帽子が置いてあった。
「うん。それじゃ、まずは紅茶淹れてくるわね。あ、ハーブは平気?」
ハティーは立ち上がってティーカップに手をかける。ティーカップの1つは紅茶が全く減っていなかった。
「あ、そのままでいぃよ。冷めた紅茶も好きだし、せっかく用意してくれたんだから」
エミがハティーを制し、減っていない方の紅茶を指差す。
「あぁ、これは……うーん、まぁとにかく紅茶淹れてから話すわ」
首を傾げるエミを尻目に、ハティーは部屋を出ていった。
………………
「何から話そうか…」
新しく2人分の紅茶を淹れて戻ってきたハティーは、顎に手を当てて考えている。
「私が倒れた事とか…」
エミの言葉にハティーは頷き、紅茶を一口飲んでから話し始めた。
「エミは例の魔物に気づかれて、危うく殺されるところだったわ」
「う、ごめん…気づかれて当たり前だったと思う……そしたら、頭を殴られて倒れちゃった…」
エミは頭をさすりながら記憶を辿る。頭には、大きなこぶが出来ていた。
「ふふっ、痛かったでしょうね。でも実際は、これが頭に落とされたのよ。エミと魔物に、本棚の上から」
ハティーはそれを見せる。2冊の緑色の本だ。
題名は“コペッカ録”と書いてある。著者はコペナス・クアッロだった。
「この本…」
「そう、私達が探してた本よ」
「これを…本棚の上から……ひぃ〜!」
エミは痛みを思い出して叫んだ。
図書館の本棚はどれも巨大で、かなりの高さがある。そこから分厚く重い本を落とし、頭に直撃…運が悪ければ死んでいただろう。
「エミが倒れた後、その魔物は死んだわ。死ぬと姿が見えるみたいね。しばらくしたら消滅しちゃったけど」
「…えっ?本で?」
「ぷっ、違う違う。つまり、エミが本に当たって倒れたおかげで魔物の攻撃が外れた。魔物に当たった本のおかげで、一瞬エミから注意がそれたのよ。そこで仕留めたみたい」
「だだ、だ、誰が…?」
エミは内心分かっていた。しかし、確信を得るために聞く。
「名前はラキ。エミを気絶させた男。例の影男ね」
「ひぃっ…!!」
エミは魔物が影男でないと分かった事など頭になく、悪夢を思い出したように身を震わせた。エミにとっては、魔物も影男も大した違いはないのだろう。
それからハティーは、これまでの自分とエミとラキの縁について語った。
………………
「…旅……」
ハティーの話は終わった。2人とも紅茶は冷める前に飲み干していた。
「私も旅に出るから、そのうちどこかで会うかもね」
ハティーは図書館での出来事があった後、ラキを部屋に招き、これまでの経緯を聞いた。
ラキはこの世界…マハートフクスの住人ではない。目覚めたらミネタス自然区域の森の中だった。
魔法や不思議な力が全く無い世界に住んでいたらしい。この世界にもある“科学”だけの世界で、表向きは無駄に平和だという。
ヘルビトゥスと闘っていた時、不良品のヤートゥーポーションを飲んでいたエミの存在に気付いていたそうだ。
焦げた魚を食べた後、痛む体で何時間も森をさまよい、徒歩でネウピエスまで来た。
それから街で1番大きな建物であるマジェーラロアンとトリューラロアンへ偵察に行った。彼曰く“城攻めは、まず城主から”だそうだ。そこで図書館事件の話を聞き、この世界の事を調べようと忍び込んだのだ。
図書館を錬金魔法で封鎖した魔法士の一人に交渉し、頼み込んで一部を脆くしておいてもらったらしい。ちなみにその講師は、後に精神病院に通う事になる。彼曰く“虎穴さえ開けば虎児を得られる”だそうだ。
3階からの浸入に成功すると、何かが館内を徘徊しているのが分かった。そして、途中から2人増えた事も。
邪魔になりそうなら殺すつもりで様子を見ていたら、邪な気配を感じたので、その魔物を殺したのだ。刺したら死んだらしい。
魔物はぼろ布のローブをかぶったミイラのような姿で足はなく、左腕が刃物になっている。右腕には浅い切り傷があったとか。
「でもなんで…ラ、ラキさんと…?」
ハティーは近々、占いの仕事も兼ねて旅に出る。奇妙な出来事を目の当たりにし、本格的に調べたくなったそうだ。
ハティーはここ最近から不思議な夢を見始め、エミやフリンと縁があった。エミ達とはあまり交流はなかったが、占い士としての勘が今に至るまでの事柄を予想させた。奇妙な出来事との奇妙な縁は、全て繋がっていたのだ。
「運命は繋がってるのよ」
理屈では説明できないが、ハティーは何かしら感じ取っているのだろう。今までの事を踏まえ、エミやラキに縁があると。そして、ラキの行動にエミが付き合ってみたらと、ハティーが提案した。
ラキに対して恐怖心しか抱いていないエミは、うんうん唸り迷っている。その様子を見かねて、ハティーはエミの肩に手を置いて言った。
「エミが密かに望んでる事も、叶える良いきっかけになるかもしれないわ」
その言葉にエミは一瞬固まる。ハティーの目はしっかりとエミを見つめ、全てを見透かしているようだった。肩に置いた手から微かに柔らかい光が漏れていたが、エミは気付いていない。
占いは手段であって答えではない。手段を知っている利点は、たった1歩を踏み出せば何かを得られる可能性があると分かる事。
エミは俯き、考えた。そしてハティーを真っ直ぐ見つめ返し、意を決したように拳をつくる。
「旅、するよっ!」
そう言ったエミの表情に満足したのか、ハティーは小さく息を漏らし、エミの頭を軽く撫でた。
それから数時間、2人は今後の話や他愛ない話をしながら過ごし、そのまま眠りについた。
長い夜が終わり、また新たな夜がやってくる。そして始まるのだ。世界の理を崩し、光を屈折させる物語が。




