第10記 −荒野の街ジェリコへ(1)−
「あの、すいません。あなた方は冒険者ですか?」
「え?あ、はい。そうです」
エミが答えながら顔を上げると、テーブルの前には綺麗な女性が立っていた。
白のワイシャツに黒のスラックスというこざっぱりとした服装で、腰には小さなポーチと、剣帯に長めの剣が納まっている。薄茶色の長髪を後ろで簡単に結い、銀縁眼鏡の奥の少し吊り上がった目は、理知的な雰囲気を感じさせる。
エミの答えを聞き、女性は穏やかに微笑みながら話を続けた。
「私は商業ギルド職員のビアンカと言います」
ビアンカが挨拶と一緒に職員証を見せる。ラキの存在を認識しきれていないようなので、エミに対してのみだ。
商業ギルドの職員が何の用があるのか、エミは不思議に思いながらも立ち上がって挨拶を返す。一応キャットタグを見せ、ラキの分も自己紹介をしておいた。
「あぁ、急に声をかけてしまってごめんなさい。実は東の荒野を渡るために護衛を雇いたいんですけど、ここに冒険ギルドが無いとは思ってなくて…」
商業ギルド職員(爆)である。というのは酷だろう。護衛を現地で雇うのはよくある事だ。
彼女はエミ達と同じく先程の船で来たようだ。レイノスまでの契約で護衛を雇っていたのだが、ここに冒険ギルドがあると思っていたので、レイノスでは新たに雇わなかったらしい。
魔物や盗賊が蔓延る荒野を抜けるとなると、旅慣れた冒険者でも1人では無謀極まりない。資金と移動手段はあるが、護衛を請け負ってくれる者が見つからないのだとか。
「報酬は弾みますので、ジェリコまででも護衛してもらえませんか?」
広大な荒野には栄えている3つの街があり、その1つが水源地を保有するジェリコという街だ。
ジェリコにさえたどり着ければ冒険ギルドがある。そこで正式に依頼を出して護衛を募り、荒野を抜けるつもりらしい。
「リーダー、困ってる人を見捨てるなんてボクにはできないよ。それに、誠意を示した人の頼みを断るのは、人として恥ずべきことだと思うんだ。大切なのは報酬や待遇じゃない。そうだろう?」
あからさまに報酬に食いついたラキは、穏やかな表情と優しい声で、心どころか爪の先にすら…いや、虚空の果てにすらない言葉を口に出した。
現実で使われているところを見た事がない口調も、ラキが使うとより気味が悪い。エミは身震いした。
「あははは…え、え〜っと……はい。依頼、請けます」
護衛の依頼は初めてだが、まさに渡りに舟であるこの機会を逃す理由はない。自分達の情けない失態はしっかり丸めて捨てる。それが世の中というものだ。
「良かった、ありがとうございます。ジェリコまで、よろしくお願いしますね」
「はいっ!こちらこそ、よろしくお願いします」
何も知らないビアンカは、護衛が見つかって安堵している。
本来なら依頼内容の詳細を確認するのが先なのだが、今の2人に仕事を選ぶ余裕はない。どんな内容であっても、現状を打破するためには黙って依頼をこなす。
2人にとってビアンカは、救いの女神なのだ。
「うっかりしてましたが、契約内容の説明をしますね。契約期間中は、私と私の所有物の保護を優先していただきます。必要以上の干渉を避け、護衛する事に集中して下さい。報酬は1人1日3000モネルに加えて、その他の手当ても付きます。水や食料、キャンプセットなど、諸々の物資は各自が所持する物を使っていただきます。ただし今回は特別に、その分の費用はこちらが経費で賄います」
冒険ギルドでの護衛依頼の相場はおよそ1500モネルであり、危険手当てなどの特別報酬が出ないものもある。基本報酬3000モネルと特別報酬、経費まで付いているとなれば破格の厚待遇だろう。
その他にも、不必要な戦闘を避けたり飲酒は極力控えるなど、細かい説明があった。
冒険ギルドの正式な依頼でないとはいえ、相手は商業ギルドの職員。良い評価も悪い評価も商業ギルドに伝わるし、そこから冒険ギルドに伝わるのも当然だ。些細な失敗もしないよう、エミは真剣な表情で説明を飲み込んでいる。
「…と、大体こんな感じです。まぁ護衛雇用のマニュアルなので一応説明しましたけど、私はあまり厳しくしませんよ。気楽に行きましょう」
エミの緊張を察してか、ビアンカは穏やかに微笑む。
大人の気配りのお陰で、エミは恐縮しながらも安堵の表情で頷いた。
「さて、こちらとしては出来るだけ早めに出発したいんですが、お2人は準備にどのくらいかかりますか?」
「え〜と…旅に必要なものを補充するだけなので、すぐに…あ、宿のキャンセルも。すぐに終わらせます」
「今日中に発てるなら願ったり叶ったりですよ。本当に助かります。では、2時間後に反対側の門へ集合しましょう」
「わかりました。それじゃ、またあとで」
契約の成立と方針が決まり、ビアンカは機嫌良く踵を返す。
綺麗に話がまとまったかに思えるが、実は問題の解決はまだ半分だ。ある意味では、残りの半分こそが最優先と言っていい。
「補充って、どーやって。パクるんか?」
ラキの的確な嫌味により、エミがはっとした。
そう。2人はなんと…金欠なのだ!
宿をキャンセルしても、5日分の物資の補充には足りない。非常時の備えとして最低8日分は用意しておきたいところだが、何を隠そう2人は……金欠なのだ。
物資の費用は経費で賄うとビアンカは言っていた。しかし、エミは1モネルも渡されていない。
後払いだとすれば−−後払いに間違いないが−−非常にまずい。契約が破棄されて振り出しに戻るだけでなく、酷評が冒険ギルドに伝わってしまう。キャットタグまで破棄されて、もっと振り出しに戻る可能性もある。
幸か不幸か、ビアンカはまだ店の出口に向かって歩いている最中だ。エミはすぐさまビアンカを追いかけた。
「あのっ、ビアンカさん!」
「はい?どうしました?」
慌てた様子のエミに呼び止められ、ビアンカは振り向いて首を傾げる。
「け、経費って…今もらうことはできないんでしょうか?」
「経費ですか?」
「はい。今回は特別に物資の費用を…って言ってたので…」
「あぁ、その事ですか。急な依頼を快諾していただいたので、使用した物資の費用はちゃんと報酬に加算しておきますよ」
「あ、いえ…それを先に貰うことはできないのかな〜、と…」
「先にですか…ちょっと難しいですね。護衛依頼は死亡者が出る可能性があるので、前金などは支払わない事になっているんです。特に商業ギルドは、成功報酬を原則としていますから」
「使う分の全額じゃなくてもいぃんですけど…だ、だめですか…?」
「ん〜…困りましたね。旅費の負担自体が特別な待遇ですし、何とか納得していただ−−」
ビアンカは嫌な顔1つせずに答えてくれていたが、言葉の途中で肩に手が置かれた。振り向くと、間近にラキがいる。先程とは全くの別人とも言える、いつものラキだ。
「誠意とは何かね?」
………………
エミ、ラキ、ビアンカの3人は、夜の岩道を竜車と共に進んでいた。竜といってもドラゴンの血を受け継いでいる訳ではなく、恐竜のような外見の魔物だ。
短い手と強靭な後ろ足、爬虫類に似た頭と細かい牙を持つ。体長は2mほどで小柄だが、弱い魔物なら近寄りもしない迫力がある。
見た目とは裏腹に好戦的ではないので、飼い慣らせば優秀な荷車引きになる。馬に次いで一般的な旅のお供だ。
竜車の左右にはエミとラキが馬で進んでおり、馬車の側面に取り付けられているランタンが2人の影を映し出していた。
「ビアンカさん」
エミは御者席にいるビアンカに近づき、小声で話しかける。それに気づいたビアンカは、席の端に寄ってエミとの距離を詰めた。
「何かありましたか?」
「いえ……あの、資金のこと、すいませんでした…」
エミが謝っているのは、物資の補給費用を巡る交渉の事だ。
ラキの交渉は一方的だった。報酬は1人1日1000モネル、手当ても経費も不要にする代わりに4000モネルを軍資金として求めた。おまけに、1日分の報酬は免除。
半ば強引に−−完全に強引に−−言いつけられ、ビアンカはすんなりその通りにした。お陰で物資を補充できたとはいえ、この事が冒険ギルドに知られればおそらく評価は下がる。
多少驚いていただけでビアンカは一言も反論しなかったが、内心怒りに燃えていてもおかしくはないのだ。
「フフッ…気にしてませんよ。むしろ割に合う取り引きでした。ずいぶん費用が浮きましたしね」
ビアンカの態度は変わらず優しいものだった。その微笑みからは、気を遣って嘘を言ったり、本心をごまかしたりしていない事が伝わってくる。
「もちろん、この件はお互い内密にしましょう。誰も損をしていないのに、わざわざ損を発生させる意味はありませんから」
「あ、ありがとうございます。よかったぁ…。でも、ラキのこと全然怒ってないんですか?」
「怒るなんてそんな…というより、まぁ…何というか………良いと思いますよ、ああいう男性…」
エミは一瞬、聞き間違えたのかと思った。
特大の違和感が脳内を支配するが、今の言葉を反芻し、最適な答えを導き出す。
ビアンカは確実に照れている様子で、顔も少し赤い。
それは歴とした答えだったが、意味不明でもある。エミは身を震わせた。
………………
景色は変わり、でこぼこの道と起伏の激しい灰色の岩道から、岩石地帯と昼夜の寒暖差が激しい赤茶色の荒野へ。
3人は野営の準備をしている最中だ。魔物の襲撃もなく予定より早く岩道を越えられたので、少し長めの休息を取る事になった。
この広大な荒野には盗賊が数多く出没し、商人や旅人を困らせていると聞く。被害例の中にはキャットタグ持ちの冒険者複数が戦闘不能にされ、身ぐるみを剥がされたという話もある。
名の知れた盗賊でなくても、数ややり方によっては充分脅威だ。そして、脅威は盗賊だけではなく、もちろん魔物もいる。
夜はほとんどの魔物が活発化するため、ここからは昼に慎重に移動し、夜は警戒しつつ休む事に決まっていた。
「ビアンカさ〜ん。魔除け具、設置してきました〜」
「ありがとうございます。これで魔物の心配は多少減りますね」
「魔除けもキャンプセットも、すごくいぃ物で羨ましいです。さすが商業ギルドの職員ですね〜」
冒険者の必需品であるキャンプセットも、魔法道具として販売されている。
手のひら大の箱に専用の呪文を唱えて発動し、短時間で自動的にテントが完成する。箱に戻す際はテントの中身を元の状態に極力近くし、専用の呪文を唱えるだけで良い。
四角の上に三角を乗せた形をしたテントの中には、野営に役立つ様々な道具が付いている。エミとラキが持っているキャンプセットは下級のものなので、付属品は簡易マットと毛布のみだ。
「良い物を買うのは商業の基本ですから。ところで、ラキさんは?」
「あ、崖の上に行きました。偵察してくるって言ってたので、移動してるかもしれませんけど」
「そうですか…もう暗いですし、大丈夫でしょうか」
「ラキなら心配いりませんよ!何を見つけても、全部片付けてきちゃいますから!」
「エ、エミさん…それは非常に頼もしい事ですけど、護衛とは少し違うと思いますよ…」
「そうなんですか?守るなら全殺しってラキが言ってたんですけど……護衛の真髄は暗殺じゃないんですか?」
「完全に間違ってると言い切れないところが厄介ですね…」
野営の準備はすぐに終わり、あとは休むだけとなった。
エミとビアンカは軽い食事を済ませ、地図を見ながらジェリコまでの行程を確認している。昼のみの移動でも、順調に行けば後4日ほどで着くだろう。しかし、順調にはいかないのが世の中というものだ。
「屍を晒される(オイラ以外の)」
突然物騒な言葉を吐きながらラキが現れた。心の言葉もエミにはバッチリ聞こえていた。




