第9記 −世界が滅ぶ本(3)−
かの冒険王、アビゲイル・U・S・パラストームは言った。
地図とは、財宝そのものである。
地図を手に入れた時の高揚感。
地図を眺め、記された場所へ向かっている時の躍動感。
地図に記された財宝を前にした時の達成感。
地図が役目を終えた時の余情感。
そしてまた、新たな地図を探す。
冒険心の源。
地図とは、宝なのだ。
「何コレ」
「えっと…地図、だね」
「いやァ地図じゃねェだろ、紙だよ。もっと言えばメモ帳だ。補助線5ミリ間隔のな」
「ま、まぁね…でも、そのメモ帳に地図がかいてあるよ」
「いやいやァ地図じゃねェだろ、線と丸だよ。もっと言えば曲線だ。フニャッフニャのな」
エミとラキは、場末の酒場で旅の方針を練っていた。
昨日の酒場とは逆に、サービスの悪い店主と愛想の無い女性店員が1人という、よくある底辺の酒場だ。ちらほらと客はいるが、音楽も踊りも明るい雰囲気もまるでない。
ヴェネの頼み事を受け、邪導書を魔女のもとへ届ける事になった2人。
魔女の居場所はヴェネも知らないらしいが、魔女の噂が多く流れる場所の情報をくれた。その情報というのが、エミがヴェネから受け取ったメモ帳の切れ端である。
紙には辺境の村を示した地図が記されており、今はそこへ向かう為の手順を話し合っているところだ。
「ま、まぁね…でもヴェネさん、ずいぶん酔ってたから。仕方ないよ」
「そだな。酔ってなけりゃもっとちゃんとした情報だったよな。あのオンナも、お前も」
「う……」
泥酔凄腕怪盗が記した地図は、見る人が見れば芸術だった。それをそのまま受け取った酔いどれ初級魔法士は、芸術を見る目があるのかもしれない。
「ま、凡人のオイラでも理解できる程度の芸術でよかったわ。んで、このテレイトゲートって何?」
「あ、うん、空間移動の門のことだね。テレポータルみたいなものだよ」
世界各地に点々と見られる超自然建造物、テレイトゲート。
警備や管理人もおらず誰でも無料で特定の場所へ行ける魔法の門で、その起源や仕組み、動力源などは不明。門の起動が不定期という事と、移動した先の安全が確保されていないので、冒険者以外はあまり使わない。
1日に最低1度は起動するようなので、タイミングさえ合えば便利な移動手段になる。
「ふむ。つってもテレイトゲートまでが長いな」
ラキは地図の線を目で追いながら頬杖をついた。
レイノスから最寄りの港までは馬車で1時間ほど。そこから船で海を渡り、港から半日の所に小さな街がある。
街といっても簡易施設が建ち並ぶ集落のような場所で、旅人の為の休憩所といったところだ。
施設群の東へ岩道を越えた先には岩石地帯の荒野が広がっており、テレイトゲートはその荒野にある街からさらに離れた場所にあるのだ。そしてさらに、テレイトゲートを出て目的地へと進まなければならない。
記されている目的地はバダンという山の中の村で、地図を見る限りバダン村は別の大陸にある。
「岩道とか荒野とか山とか…けっこう大変そうだね。やっぱり上級のマジックキャンピングセット、買っといたほうがいぃね!」
「ゼータクゆってんじゃねェ。人里離れた辺境なんだから、大規模な盗賊とか山賊がいてもおかしくねェんだぞ。全部タダだろーが」
「……私の命が代償になっちゃうよ…」
「タダだろーが」
「うわぁ〜ん!」
海を渡った先の施設群へは大した苦労はないが、岩道から荒野越えとバダン村までの山道は少々骨が折れそうだ。ひとまず施設群へ行き、そこで改めて旅の方針を話し合う事になった。
そうと決まれば行動は早い。2人はさっそく酒場を出て港へ向かった。
………………
港に着いた頃には夜の闇が濃くなっていた。
深夜だというのに冒険者達は活動している。もちろん港も眠ってはいない。
客船だけでなく漁船も多く出入りしているので、魚市場が一部で見られる。大きな港だが、港以上の機能はほとんどないようだ。
2人は夜行船の切符を購入し、出航待機時間になるとすぐに船へ乗り込んだ。
目的の港まで約10時間の快適な船旅。強い魔物に襲われなければ、チョコレートサンデーを食べながらゆったりとした時間を過ごせるはずだ。
通常の客船より頑丈さと機能性を重視した造りのため、客室が少なく狭い。その分、安価なので2人は1部屋ずつ借りる事にした。
「けっこう乗ってる人いるね〜」
「どいつもこいつも、こんな時間にヒマな奴らだよなー」
「…う、うん〜…ほんとだね〜…」
ざっと船内を見学し終わった時に出航の汽笛が鳴った。
2人は客室がある通路で別れ、それぞれの部屋に入っていく。部屋は3つほど離れているが、狭い個室なので距離は意外と近い。
家具はテーブルと棚が一体になった物とハンモックのみで、本当に客室かと疑うくらい質素だった。トイレとシャワールームが付いていて、別々なのが救いだ。
部屋にいても何もする事がないので、エミは荷物を置いて部屋を出た。ラキもちょうど出かけるところだったらしく、すれ違う寸前でその存在に気づいた。
「あ、ラキ。またあとでね。殺人事件とか起こさないようにね〜」
「あいよー、呼吸しかしねェさ。ヒハハ!ドロン」
「………」
ラキにとっての呼吸が何なのか少し考えてしまったが、エミは初めての船旅を楽しむために頭を切り替えた。
切り替えた所に最後の恐ろしい笑い声が極僅かに頭をよぎったが、エミは必死に頭を切り替えた。
………………
船旅は実に快調快適。
夜の海は静かな恐ろしさを感じ、また同じくらい神秘的だ。潮風は心地よく、海面に映る月は波に揺られてきらきらと輝く。
昼のように遠くまでは見渡せないが、エミは飽きもせず船から見える景色をずっと眺めていた。
チョコレートサンデーを買い、それを食べながらゆったりと海を眺めた。チョコレートサンデーがなくなればクレープを買って戻り、食べながらゆったりと眺めた。クレープがなくなればたこ焼きを買って戻り、食べながら不自然に揺れた波を眺めた。
「…ん?」
エミはベンチに座ったまま前屈みになり、海面に目を凝らした。
見渡す限り、静かに波音を立てる海。波打つ暗い世界はまるで生き物のようで、見ていると呑み込まれそうな感覚になる。
「ん〜…もぐもぐ」
特に何もないと分かり、体勢を戻して再びたこ焼きを頬張った。
魔物の襲撃も殺人事件も起きずに船は順調に進み、昼頃には港に到着した。
初めての船から見る美しい日の出を堪能したエミは、高揚した気分がなかなか冷めず、寝坊して船員に追い出された。そしてラキは、普通に寝坊して船員に追い出された。
寝ぼけ眼の2人は、そのまま馬車で施設群へと出発する。馬車は2頭立ての幌付きで、ベンチシートがあるものだ。
料金は高めだが他の馬車はなかった。しかし目的地まで眠りたい今の2人は、最初からこの馬車を選んでいただろう。
施設群へは街道が引かれていて、徒歩でも危険は少ない。馬車で行けば暗くなる頃には着くということで、不足した睡眠をしっかりと補った。
“旅人の休憩所”−−タビキューと呼ばれている−−と書かれた簡素な看板の施設群に到着した2人は、御者に支払いを済ませて体を伸ばしながら歩いていた。
旅に必要な施設が建ち並んでいるだけで、地面や外壁などは造られていない。ここは冒険ギルドが冒険者の為に配備したのだそうで、冒険者なら割安で施設を利用できる。
この先からは街道もなく険しい旅になるので、頑張れという励ましの意図があるのだろう。
冒険ギルドは登録した冒険者を擁護し、様々な形で支援する。逆に著しく規律を乱す冒険者には、冷酷に徹底的に制裁を下す。そういった説明を冒険ギルドからされる事はないが、冒険者には暗黙の了解だ。
それはさておき、さほど見て回る場所も無いので2人はさっそく宿に入り、食堂へと向かった。宿は数軒の建物が連なっている造りで、中央の建物の1階が食堂と酒場を兼ねている。
食堂には同じ船に乗っていたと思われる何組かの冒険者が、仕事の話をしながら酒と料理を楽しんでいた。
「まずいね…」
「マズイなァ」
料理を胃におさめて一息ついたところで、2人は深刻な雰囲気で呟いた。
料理が不味いという意味ではない。問題はもっと厄介で、非常に深刻だった。
「冒険ギルドはどこにでもあると思ってたよ…」
「ま、仕方ねェさ。何とかして稼ぐか、このまま進むかだな」
実は、タビキューには冒険ギルドが無い。建てて欲しいという要望は過去に何度もあったが、根本的な事情により却下されてきた。
冒険ギルドとは主に依頼の仲介と管理を行う組合である。
依頼をする側とされる側、依頼をこなす側と評価する側があって初めて成り立つ。それが1つでも欠ければ冒険ギルドとしては無駄でしかない。立地条件もあり、ここでは成り立たないという事だ。
「このまま進むのは無理だよね。食べ物も飲み物も足りないし」
「なら何とかして稼ぐしかねェな」
2人はタビキューに冒険ギルドがあると思い、資金に余裕を持たずに来てしまった。予定ではここで何日か滞在し、旅の準備をするはずだったのだ。それが早くも破綻しかけている。
魔物を倒して素材を売るにしても、この辺りには魔物がいないので少し遠くへ行かなければならない。資金調達の効率が悪ければ本末転倒になってしまう。かと言って、アルバイトが必要なほど施設の人員は不足していない。
馬を使っても岩道を越えるのに2日、そこから荒野の街まで3日はかかると考えているので、手持ちの物資では心許ない。
どうやって資金を調達するか、しばしの無言の後にラキが呟いた。
「……店の売上金…」
「ちょ、だめだよっ…冒険ギルドに狙われた冒険者は、おぞましい末路が…」
冒険ギルドが管理運営している場所で、しかも利用するのは大半が冒険者。何かあればすぐに情報が伝わる。不利な賭けだ。
都市伝説にまでなっている冒険ギルドの裏の顔を、ラキの行動により知る事になるかもしれない。エミは必死に嫌がった。
「あ、カネじゃなくても、食料とかパクれば解決だよな」
「おんなじだよ…管理きびしいもん」
「んじゃ、どーすんの」
「う〜ん……」
ラキは気分が乗り切っていなかったのか、有無を言わさず実行に移すつもりはないようだ。その事に安心はしたものの、打開策は浮かばない。
小さな失敗で大きな損害を生むのは世の常だが、冒険者としてあまりにも情けない失敗、いや失態である。
冒険ギルドはあるだろうから大丈夫という軽い気持ちが、行くも戻るもままならない現状を作り出してしまった。他の冒険者が聞けば、冒険者(笑)と言われるのは間違いない。しかし、もはや誰かに事情を話し、助けを求める以外の方法は無い状況だった。
それしか方法がないのなら、あまり無駄な時間をかけてはいられない。資金が底をつく前に行動した方が良いという事で話はまとまった…のだが、そこへ誰かから声をかけられた。




