第9記 −世界が滅ぶ本(2)−
全員がジョッキを自分の前へ持っていき、エミがそれを持ち上げながら言った。
「冒険に!」
おそらくこの世界では1番使われている乾杯の言葉を聞き、2人はそれを復唱してジョッキを持ち上げる。そしてエミの叫びと共に、勢いよくジョッキを合わせて酒を飲んだ。
「お、おいしいっ!」
「んん、こりゃ美味い」
「でしょ?美容にも良いからね〜。どんどん飲んで」
どんどん飲んだら美容に悪いが、ヴェネが勧めた通り、葡萄酒は口当たりが良くとても美味しかった。
甘酸っぱい風味が口の中に広がり、ざらつきや重みが全くない。酒特有の辛さは心地よく溶け、後に残る香りが爽やかだった。
エミは初めて飲んだ酒がこんなにも美味しい酒でよかったと感動している。
「どんどん飲みます〜。初めてだけど1番おいしい!」
「14歳でソレじゃあ、10年後は立派なアル中だな」
「う…そ、そんなふうにはならないよ〜」
「エミは14歳か。若いねぇ。アタシの3分の1だよ」
エミはヴェネの年を聞いて少し驚いたが、すぐにエルフだという事を思い出した。
エルフ族は人族の中でも特に長命だ。老化が非常に遅いので、25歳辺りからはなかなか外見が変わらない。
42歳だろうが100歳だろうが、少々の個人差はあれ20代半ばに見えるのだ。
「怪盗アサシンはいくつなの?ていうか人間なんだよねぇ?」
「忍にあるのは影のみよ」
「…何言ってんの?忍者?超古いし」
「前に私が聞いた時は“自分が感じたものを信じろ”って言われましたよ」
「…何言ってんの?賢者?超ダサイし。…で、エミはどう思うの?」
ヴェネが意外にも砕けた言葉を使うので、エミは超驚きだった。もちろん、そんな事は口に出さない。
「私は24歳の人間って思ってます」
「ふーん…じゃあ80歳の鬼だ。アタシにはそう見える」
「あぁ〜それ、すっごくわかります。あははっ」
「ペットはケルベロスとかねぇ。ククッ」
2人が笑い合う中で、ラキはテーブルの上の料理“茹で海老とチーズの二重奏”をつまみながら葡萄酒を飲んでいる。
塩で茹でた小ぶりの海老に、2種類のチーズをかけただけのものだ。しかしそれが素朴で味わい深く、ワインにも合っていた。
食べていくと気付くのだが、料理名にあるデュエットとは、海老に2種類のチーズをかけているからではない。チーズは海老の上だけでなく中間辺りにもあり、2重の層になっているのだ。
いろんな意味でかけているという事だ。上手いのかはわからないが、旨いようだ。
「アナタ達、変な組み合わせだよねぇ。いつから旅してんの?」
「1ヶ月くらい前からですよ」
「あらま、じゃあ旅に出て初めての街がサテュールンか。あの街の出身じゃないもんねぇ」
「はい、私はネウピエス出身です。…そういえば、サテュールンには密入国しちゃったんですよ。街道から外れて関所も通らずに…でも街に入るとき、ちょっと怒られただけでした」
「アハハ。まぁ冒険者の陸路の出入国は管理が甘いから、海とか空渡る時以外は気にしなくていいよ。あとは移動士使う時ね」
冒険者とは違って、商人のような営利・供給活動を生業としている者は国から厳しく審査される。
管理が甘いというのはいささか語弊があるが、国境を全て管理できる訳もなく、関所は街道にのみ設けられている。そして冒険者は冒険ギルドが管理しているため、ギルドカードやキャットタグを持っていれば、出入国の許可は実質不要なのだ。
街に入る際にギルドカードを見せれば、厳戒規制の時以外は注意されるだけとなっている。もちろん、キャットタグであれば注意すらされない。
「そうなんですか?全然知りませんでした」
「そのくらい冒険者なら常識でしょ。ギルドに登録した時に説明されるはずだぞ〜」
「実は、冒険者になれたことに浮かれてて聞いてませんでした……ちなみに、キャットタグの説明も浮かれてて聞いてませんでした!」
「敬礼しなくていいよ。っていうかどんだけ浮かれるんだ。まぁエミはいいとして、怪盗アサシンも知らなかったの?」
「いえ、ラキはこっちの世界に来たばかりで…あっ…」
エミは言ってからはっとした。ヴェネはラキが異世界から来た事を知らないのだ。良い気分も相まって、つい口を滑らせてしてしまった。
エミがちらりと見ると、ヴェネは軽い態度で口を開いた。
「やっぱり異世界から来たのか。まぁ、あの本を調べてて、なんとなく気付いてたよ」
「え?ど、どういうことですか…?」
「よし、それじゃ…」
不思議な表情で聞き返すエミに、ヴェネは椅子の下に置いてあった荷物から緑の表紙の本を取り出した。それがコペッカ録だという事はわかったが、何故か鎖が巻かれ、錠も付いている。
「本にかかってた鍵は解除できたんだけど…これ、迂闊に開けない方がいいよ。かなり危ない本だから」
「危ないって……何が書かれてるんですか?」
「カラルドの話では、本を開いたら見たことない模様が描いてあったんだって。意味は全然分かんなかったらしいよ」
「古代の魔法陣とか、文字とかですか?」
「それくらいならアタシでも何とか解読できるんだけどねぇ。あのカラルドが全然分かんないってことは…十中八九、異世界のものだ」
「異世界の…それでラキが異世界から来たって気づいたんですか…」
「それもあるし、コペッカは自分の世界に帰るために色々調べてたみたいだったから。…で、その過程で1つの方法を探り出して、これを見つけちゃったってわけ。エミは魔導書って何だと思う?」
「魔導書?えぇと…魔力を操れない人でも、読めば魔法を習得できる本…ですよね?」
現代で広く知られる魔導書とは至宝の一種であり、読むだけで何かしらの魔法や魔闘を習得する事ができる奇跡の本だ。一説には、世界の魔力から生まれ出たものと言われている。
「そう、それが今の時代の魔導書。でも元々の意味はね、文字通り“魔へ導く書物”なんだよ。魔導とは魔の深淵に触れる為の現。魔の深淵とは触れてはいけない夢…って詩、聴いたことない?」
探し 歩き 気付けば夢
求め 欲し 覗く悪夢
殺し 壊れ 歌い踊る
唱い 躍り 深い淵へ
と、続く詩だ。今でも無名の詩人が色々な曲調で歌っている姿を見かけるので、エミも何度か聴いた事があった。
「まさかあの…この本が…」
「異界の扉を開いて深淵を覗くことができる本。異形の邪悪を呼び寄せる…今は“邪導書”って区別されてるね。カラルドは1ページ読んだだけで軽い錯乱状態になったよ」
「ひぃ〜っ…!」
エミはコペッカ録から離れるように仰け反った。
今日、カラルドが来ていない理由が分かった。だが、話はまだ終わりではない。
「怪盗アサシンを元の世界に戻すために、コペッカ録を手がかりに旅をしてた…ってとこでしょ。けど、これは超ハズレ。まぁもしかしたら戻れるかもしれないけど…ねぇ?」
「はい…その本、もういりません〜…」
「…それがねぇ……なんとなく分かってたけど、処分できないの」
ヴェネはコペッカ録が危険な物だと分かるや、すぐに処分しようと色々試したらしい。しかし、燃えもしなければ傷すらも付かなかった。さすがのヴェネも、その時は鳥肌が立つほど不気味に感じてしまったとか。
「こんな危ない物なのに鍵は意外とあっさり。世の中、悪い方向には傾きやすくできてんだ…。とりあえず早めに処分してね」
エミはヴェネの言葉に目を見開いた後、細かく瞬きをした。
今の流れでは、処分できない本をどうするかという話になるはずだ。最後の言葉で、唐突に全ての会話の結果だけが出現した。そしてエミはふと思った。ヴェネって変、と。
精悍な顔付きに似合わない可愛らしい笑顔。あまり女性らしい仕草をせず、活発だが冷静な態度を崩さない。そして、何か変。
明確には分からないのだが、近い例えは“天然系”だろうか。もしくは“馬鹿”か。
突拍子もないというか、脈絡がないというか…とにかく意味不明だ。
「あ、心配する必要はないよ。手がかりゼロになった人達に、邪導書の処分まで頼むなんて酷いことはしないから。この邪導書は“魔女”にあげるのが1番良い処分方法だと思う。そして魔女なら異世界のことも知ってるはずだし、アタシ達も何か情報掴んだら連絡する。どう?やってくれる?」
それを先に言え…とはもちろん口に出せないが、とにかくヴェネの申し出に、エミは文句を付けられなかった。
手がかりが無くなり、振り出しに戻ってしまった状態のところに、新たな手がかりと協力を得られるのだ。ただ、やはり邪導書や魔女と関わらなければならないのは誰でも嫌だろう。つまり、微妙に割に合う頼みだった。
ラキを見ると、いつもの態度で軽く肩をすくめさせた。ラキならば面白そうなどと考えていそうだ。
実はエミも、すでに答えが決まっていた。
「やりますっ。怖いけどがんばりますよ〜」
「よぉし、よく言った。随分成長したねぇ、エミ。1ヶ月前とは大違い。もう立派な大人だ」
「そ、そうですか〜♪…でも、ラキにはガキって言われますけどね…」
膨れっ面でラキに文句をたれたが、いつの間にかラキの席が空いていた。
「あれ?今の今までいたのに」
「あ〜、煙草だと思いますよ」
「じゃあ2階か。喫煙できるから」
酒場は吹き抜けで、1階と2階の空間が繋がっている。1階で演奏する音が2階まで届くように、昔はこういった構造の酒場が多かったのだ。
「いえ、たぶん外ですね。煙草の匂いがつくの嫌がりますから」
「アハハッ。喫煙者の癖に変な奴〜」
「変なんですよ〜。あははは〜!」
エミの言葉にはヴェネの存在も含まれているが、心の中にしまっておく。
ラキが戻って来た後、注文した料理が運ばれてきた。3人は美味しい料理と酒を楽しみながら談笑し、今後の心躍る冒険について語り合った。
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