第9記 −世界が滅ぶ本(1)−
人の息づかいが少なくなる深夜。大きな事件もなく、穏やかな日常。
レイノスの宿屋の一室で、エミはベッドに寝転がりながらテレビを観ていた。ふと視線を横にずらすと、ソファーで半分横になった状態のラキが本を読んでいる。
たまに姿が忽然と消えたり現れたりする。持っている本さえも消える。
テーブルの上のお菓子は、ラキが手を伸ばす動作をしなくても減っていく。お菓子が減ると、ラキの口がもぐもぐと動く。しばらくしてまた同じ光景が繰り返される。
エミはテレビを観ながらも、その不思議な光景に不安を抱いていた。
「あの〜、ラキ?」
ちなみに『不在の新月』だが、持っている物も一緒に消えるなら、ラキと接触していればエミも消える事ができるのではないかと閃いた。そこで基本的に無害な魔物を対象に試してみたところ、なんと触れてさえいれば完全に消えられるという事がわかったのだ。消えられるというより、触れている対象を消すか消さないかをラキの意志で制御できるらしい。
それを見て、エミは自分も消えてみたいとウキウキしながら頼んだが、呆気なく却下された。
「んん?」
控え目なエミの呼びかけに、ラキは本を読んだまま反応する。
「『在る月相』って、寿命いっぱい減るんでしょ?そんなに使って大丈夫なの?」
今のところ、ラキの技は全て自らの寿命を削る。姿と気配を消す『不在の新月』は少ないのだそうだが、時間軸を変化させる『在る月相』にいたってはかなり多いらしい。
技を発動するのに寿命を代償にするなど悪の呪術師のようでもあるが、効果が効果なだけに納得してしまう。そんな危険で不可解な技を日常的に使っているので、エミは不安になるのだ。このままではすぐ死んでしまうのではないかと。
「寿命なんてな、増やす為にあるワケじゃねェんだから、どんどん使えばいーんだよ」
「減らすためにあるわけでもないけどね……でも、寿命なくなって死んじゃったりしないの?使いすぎて苦しくなったりとかさ」
「寿命無くなるまで使わねェよ。まぁ連発すりゃキツいけど」
「じゃあ…『在る月相』を限界の3秒まで使ったあと、すぐにまた3秒まで使ったら、どうなる?」
「鼻血出るんじゃね?ま、オイラはお前が精神異常起こした時みたいにはならねェな。耐えるよ、たぶん」
以前エミはラキとの訓練中、中級の魔法を試みた事がある。そして魔力の操作ができずに失敗し、反動で魔心と精神が蝕まれた。幸い、一時的に精神が不安定になっただけで済んだのだが、その時の事はあまり覚えていないそうだ。
酷い症状の例としては、目や鼻から血が溢れ出し、動悸・頭痛・吐き気を起こし、脳がじりじりと痺れて手足の先に感覚がなくなり、何かに追われるような得体の知れない恐怖感に苛まれる。
強靭な精神力を持つ者ならこの負荷にも耐えるのだろうが、エミの精神力では無理がある。
正気を失っている時、ラキに思いきり抱きつき、痛みを与えるほど強くしがみついて子犬のように震えていた事などエミの記憶には無い。
無いと言ったら無い。
「つーか『在る月相』は4秒になったよ。大体な」
「よ、4秒も…すごいね〜…」
エミは恥ずかしさを振り払うように頭を切り替える。
能力の内容も計り知れないほど驚異だが、ラキの凄さは実は能力だけではない。
ラキは言葉を発さずに力を引き出す事ができる。つまり、呪文を唱えなくても精度が変わらないという事だ。
呪文は力が入った箱を開けるための鍵。言葉とは力なのだ。
想いや意志の強さで言葉を使用せずに力を全て引き出せるというが、わかっていても口で言うほど簡単にできる事ではない。魔力進化を遂げたあのハティーでさえ、魔導器がなければ無言で発動する事はできないのだ。
「お前も常に魔法使っとけ。呼吸みたいに」
「うん、そうだね。やらなきゃ始まらないもんね……ピカトウル」
「あっ、ア゛〜〜〜…」
「わぁ〜っ!ごご、ごめん〜…!」
エミが呪文を唱えると手から光球が現れ、安定した光を放ちながら天井まで昇った。その光は、弱めに調整してある部屋の蛍光灯よりも遥かに明るい。人類に必要不可欠な安定剤も、ラキに対しては攻撃になるようだ。
ピカトウルはこの世界の住人には馴染み深い一般的な魔法で、魔力石を燃料に街灯やランプなどにも使われている。
エミは灯りの魔法が得意というだけあり、精度も良く発動も早かった。しかし、ラキが死にそうなのですぐに魔法を消し、おとなしく『ハクワル』を使いながらテレビを観る事にした。
「1ヵ月、あっという間に過ぎちゃったね〜」
夜も更けてテレビも冴えない番組ばかりになり、暇をもて余したエミはレイノスでの日々を思い返していた。
レイノスへ来て1ヵ月しか経っていないが、エミは強くなった。旅に出る前と比べれば、目に見えて分かるほど明らかに。
それでも、闘技大会予選では魔法を使えない冒険者に敗北した。ラキが言うには、対戦相手のロミオは最初から手加減していたらしい。
審判側からはエミの魔法弾を使っての闘い方が評価され、当たりはしなかったが『テムルズ』の力も目を見張るものがあったという事で、闘技大会の出場候補に選ばれた。
たった1度の試合とその若さで選ばれるのは珍しい事であり、とても栄誉な事なのだが、エミは挙動不審になりながら丁重に辞退していた。
その後、ラキは3位になった者から海殺しを盗み、2足の靴−−似た靴をもう1足買った−−に精霊魔力を付加してもらった。ラキの黒いスニーカーは“半殺し”と名付けられた。
エミが狙っていた1位の魔導器は盗まなかった。エミ自身が今回は諦めると言ったのだ。
負けはしたが、落ち込んだり悲しんだりといった感情は一切なく、むしろもっと世界を知りたいと前向きな気持ちになったほどだ。そこが1番大きな成長だと言えるだろう。
「長いよ。長い、1ヵ月は」
それはラキが時間の流れに頻繁に逆らっているからだと思うが、エミはとりあえず笑って相づちを打った。
「そういえばさ、連絡が来たらヴェネさんたちがこっちに来るんだよね?」
「ん、まぁ転移の魔法陣は一方通行みてぇだから、アイツらが来るしかねェっしょ」
「ヴェネさんたち、馬車とかで帰るのかな。私たちに会うために来て、何日もかけて帰るなんて、なんだか悪いなぁ」
「カネ持ちなんだから移動士とか使うんじゃねェの?」
「移動士ぃ…?サテュールンまで2万モネルくらいすると思うけど…」
「え、移動士ってそんなにすんの?」
「うん、ほんとに高いんだよ。でもね、もう少しすれば値下げするって話が出てるよ」
「ハッ、どーせ大して変わんねェだろー」
「あ、それがねっ、今の10分の1の料金になるって話なんだよ!しかも、キャットタグがあればもっと安くなるらしいの!その代わり、行ける場所に制限をもうけるとかなんとか…」
テレポータルという、街の中の各所へ移動できる装置が普及してから、街中での移動士の利用が激減した。そうなると必然的に長距離の移動でしか利用しなくなるのだが、知っての通り気軽に支払える額ではない。
国としては移動士という特別な存在の価値を下げるのは不本意だが、需要と供給のバランスを考えざるを得なくなったという事だろう。
「ほ〜ぉ、サテュールンまで2000モネル。キャットタグ見せて、そこから3割引きだとして1400モネル。安くなって使う奴が増えるから、どこにでも送ってくれるシステムは危ねェってことか」
「いぃ時代になってきたよね〜」
「ガキがそーゆーことゆーと、国が哀れに思えてくるわ」
「ガ、ガキじゃないよっ!」
「おーおー、反抗するよーになったか。反抗期か」
「…私、服屋さんでマダムって言われたことあるし!依頼で行った酒場でお酒すすめられたこともあるよ!年のわりに胸も大きい方だもんねっ!」
「ふむふむ、キミのゆーオトナとは外面的なことかい。つまり体は大人、頭脳は子供だと自ら認めるとゆーことかね。キミは精神年齢5歳とかかね」
「ぐぎぎ〜ぃっ…!『ハク−−」
「−−ザ・世界!時が止まる。ハ〜イ、ヘッドロックだよーん。ヒハハハ!うらぁ、死ねガキィ。で、時が動く」
「…ワ、ぁぐぅっ!?ぅあ〜!や、いだいいだい!ラキっ、だめ!あ、ぁあ〜…!も、もうむりっ、もうむりだよ〜っ!!」
その日の朝から、この宿の一室に変態カップルがいるという話が従業員の間で密かに広まった。時間は石ころも眠る深夜である。
それはさておき、明るくなる前の早朝の時間、ヴェネからエミのマジュナカードに連絡が入った。ある酒場で夜に待ち合わせるという簡潔な指示だけで、コペッカ録の話には触れなかった。
何はともあれ待ち望んだ日が来たのだ。2人は身の回りの整理を済ませ、約1ヵ月世話になった部屋で最後の床についた。
………………
夜の通りはこれから飲みに行く人々や、すでに出来上がった冒険者達で賑わっていた。
普段は色白で美しいエルフの顔は赤らみ、獣人は旅の仲間であろう者達と大声で冒険の話に華を咲かせている。ドワーフが肩車をして歌いながら酒を飲んでいたり、喧嘩をしている一般人を応援する冒険者などもいる。
どの街にもある見慣れた光景だが、祭りのような活気ある雰囲気はいつ見ても楽しい気持ちになってしまう。
酒を飲んだ事のないエミも、使い捨て容器に入った酒を振り回して仲間とぐいぐい飲んでいる姿を見ると、つい飲んでみたくなる。というより、心を許せる仲間と楽しく騒ぎ、壮大な冒険の話をする事に憧れているのだ。
謎だらけの世界…。
そこに待っているのは危険と冒険。そしてじゃんけん。
凶悪な怪物どもをなぎ倒し、伝説の財宝を見つけ、命を懸けて愛する人を守り、最高の仲間達と世界中を旅する。
時に笑い、時に泣き、大業を成し遂げたら酒場で称え合い、心ゆくまで飲み明かす。
終わらない冒険。
止まらない危険。
いらないじゃんけん。
それこそ、まさに−−。
「くぅっ…!自分の妄想に押しつぶされそうだ…!」
「お前は何を目指してんの?じゃんけんで勇者になんの?魔王と野球拳でもすんの?」
自分の妄想に魂を持っていかれる前に、エミは胸の高鳴りを必死に抑えた。ラキの無粋な言動は無視だ。
「ここだな」
「おぉ〜…けっこう大きいね〜」
2人は看板を見上げ、ヴェネが指定した酒場だという事を確認した。
大衆酒場“アヴァ・ロナの塵”と書かれた店の中は、外から見てもわかるほど多くの客で賑わっている。
この店は酒だけでなく料理も自慢で、街の案内書にも少し紹介されていた。創業6年と比較的若い店ではあるが、昔ながらの酒場のイメージを取り入れた人気の絶えない店だ。
席は取ってあるらしいので、2人は両開きの簡素な扉を押して酒場へと入る。暖色の灯りが店全体を照らしていて、店の賑わいに似つかわしい明るさだった。
ラキは少し目を細め、忙しなく行き交う店員達を避けて席を探していた。
「あ、ラキ。あそこ、ヴェネさんだよ〜」
酒場の中は色々な人の声や音で騒がしいため、エミは身振りでラキに伝えた。
エミに気づいたヴェネが、立ち上がって手を振っている。2人はヴェネがいる席へ行き、軽く挨拶をして座った。
「バンワー」
「久しぶりですねっ、ヴェネさん!」
「久しぶりだねぇ、2人とも。もう少し遅くなると思ったから、先に始めてたよ」
ヴェネは酒が入った雑な造りのジョッキを持ち上げて言うと、ぐいっと豪快に飲んだ。またラキと険悪な雰囲気にならないかと不安だったが、どうやらその心配はないようだ。
テーブルの上には何品か料理が置いてある。酒の肴として注文したのだろうが、どれも食欲をそそる美味しそうな物だった。
「私も何か頼も〜っと!」
「ご馳走するから、何でも好きなもの頼んで」
「やった♪ありがとうございます!」
「あ、注文するなら呼ばないと来ないよ。壁際は遠いし、柱とかもあって気づかれにくいから」
「はぁい!何食べようかな〜」
ラキは席に座った時からすでにメニューリストを広げていた。エミもメニューリストに目を向け、何にするか考える。
「ここの果実酒は美味しいぞ。中でもオススメは葡萄酒。飲んでみて!未成年だから〜とか言わないでよねぇ」
ヴェネから酒を勧められ、エミは素直に飲んでみたいと思った。
憧れの中にある甘い酒と仲間。冒険者としてのステータス。
エミにとって真の冒険者とはギルドカードやキャットタグなどではないのだ。物語に登場する英雄などではないのだ。
美酒を飲み交わし、これからする冒険の話をしたい。それを考えただけでまた気分が高揚した。
「じゃあ飲んでみますっ!…すいませ〜〜ん!」
エミが楽しそうに店員を呼び、メニューを指さして注文をする。その横顔を見て、ヴェネは微笑んでいた。
気分が高揚した勢いで店員を呼んでしまったが、ラキの注文が決まっていたか確認するのを忘れていた。まずいと思ったが、エミの注文のあとすぐに続いたので、ほっと胸を撫で下ろした。
店員が笑顔で席から離れたと思ったら、あっという間に酒が運ばれてきた。ヴェネもお代わりを頼んでいたので、3人分のジョッキがテーブルにどんっと置かれる。
木で造られたようなごつごつしたジョッキの中身は3つとも葡萄酒。甘い香りが鼻腔を刺激し、知らず知らずのうちに頬の辺りが痛くなった。




