第8記 −弱いからこそ成長する(1)−
まだ闇に染まりきっていない、薄明るい夜。エミは宿屋の一室で出かける準備をしていた。
ラキと旅を始めてから、すっかり暗い時間に慣れてしまった。
夜は魔の力が強まるので、魔法が発展しているこの世界では特に珍しい事ではない。それでも、明るい時間に行動する事が旅に出る前より格段に減った。健康面が少し気になる。
ラキは暗くなる度に元気になっていき、太陽が闇を照らし始めると憂鬱そうな表情になる。本当に吸血族なのではないかと思ってしまうほどだ。
準備を終えたエミは、ラキの方を見る。ソファーに座りながら仮眠をとっていた。
その寝顔は何度も見ているが、何度見ても寝ているようには見えない。普段の顔とは全く違うから、そう感じるのかもしれない。
寝ている時は普段の悪人面とは違う。殺意も悪意もなく、正真正銘の素の顔だ。男性に対して失礼かもしれないが、綺麗な顔なのだ。
エミはラキの寝顔を眺めていた。もう少し見ていようとも思ったが、気付かれたら殺されるので、身震いしながらそっと声をかけた。
「ラキ、そろそろ起きて。外も暗くなるし、お仕事の時間だよ〜」
「……殺される、とか思わなかった?」
「へっ?お、おも、思ってないよっ!」
起きた瞬間から…いや、寝ていても邪気に対する感度は良好だった。
ラキはエミに対し鼻で笑った。やはりバレている。だが理由までは分かっていないようなので、その点は安心した。
ラキはあくびと同時に伸びをして体を軽く動かす。そうして一息つくと、出かける話に戻った。
「んで、仕事だっけ。まだカネあるっしょ」
「魔導器が高くて買えないんだよ…」
「それはオイラにゃカンケーねェな」
「むっ…」
エミは頬を膨らませる。
一昨日はそれなりの報酬の依頼を3つこなしたが、昨日は雨が降っているという理由で、ラキが外に出たがらなかった。
レイノスへ来てから3週間ほど経つが、未だに魔導器を買う資金が貯まっていない。
それはラキのせいでもある。モネルを貯めようとせず、必要な分だけしか稼ごうとしない。そのくせ、節約などは一切しないのだ。
「ラキは食費にお金かけすぎだよ。私のモネルは勝手に使っちゃうし、仕事するのも気分だし、いつも消えてるし……たしかに私は役立たずかもしれないけど、少しくらい協力してくれたってさ…」
エミは今まで我慢していたものを吐き出すように、不満を口に出す。しかし、ラキに意見しても通る事は無いという思いや、単純に怖いという思いからあまり強く言えない。そこから悔しさや歯痒い気持ちが広がっていく。
ラキは態度も表情も全く変わっておらず、いつの間にか窓に手をかけて立っていた。
「んん?言いてぇ事はちゃんと言えよ」
それは旅をする前にラキがエミに言った言葉だった。
エミは顔を上げ、窓を開けるラキを見る。そしてあの時のように腹に力を込め、不満を1つに凝縮して叫んだ。
「少しくらい協力してっ!」
意を決して放った言葉が自分の中から出ていくと、エミは汗が滲むほど疲労した。嫌な疲労ではなく、体から毒が抜け、綺麗になったような解放感がある。もやもやした気持ちはすでになくなっていた。
「了解。少しどころか、全面的に協力するよ」
ラキが即答するとエミは笑顔を見せたが、その途端に不安な表情になる。
ラキの恐ろしい悪笑。危険な事を考えている顔だ。全面的にと言ったのも、とてつもなく不可解だ。エミは犯罪の匂いを感じていた。
窓から出ていくラキの後を追い、街で一番栄えている冒険者通りに向かう。
どの街にもある、冒険に役立つ武具や道具の店が建ち並ぶ通りだ。まだ暗くなったばかりなので、人通りは多かった。
ある店の路地裏まで移動すると、ここで待つように指示された。
エミはもう分かっていた。この店がラキという悪鬼の生け贄になるのだと。その臓物の一部を自分が食すのだと。
「あ、あのあのっ、ねぇラキっ…やめようよ……絶対ばれるよ〜…」
エミはラキの服を掴み、首を振りながら必死に現実を伝える。
通常、商品には盗難防止のため、魔法が込められた輪が取り付けられている。それを業務用語で“ピスケット”というのだが、ピスケットは店から一定距離をおくと発信器のように警察隊へ信号を出す。その信号を受け取った警察隊は、すぐさま発信地へと急行するのだ。
専用の道具で取り外せば魔法の効果は消えるが、それ以外の方法で外そうとすれば信号が出る仕組みになっている。
現代では露店でもそれを採用していて、これによって盗難率は激減した。
「いくらラキでも絶対むりだよ〜…」
ラキは鼻で笑っただけで、すぐに路地裏から出ていってしまった。エミは両頬に手を当て、絶望にうちひしがれている。
ラキの『不在の新月』は最長で15秒。『在る月相』もあるので、ラキならば充分やってのけるだろう。しかし、盗めたとしても盗み切れない。逃げるとしても、ラキ1人なら逃げ切れるかもしれないが、エミには逃げ切れる自信はない。
刑務所行きは確定した。エミはただ、巻き込まれただけなのだ。
「ドロンパ」
「ひょっ…!」
「コレ外してー」
1分程度で戻ってきたラキの手には、ピスケットの付いた指輪と、小さなスパナのような物があった。それを受け取って良く見てみると、先端の鋏状になっている部分の裏側に、ごく小さな魔法陣が2つ向かい合って描かれている。
当然エミも知っている。ピスケットを外す為の“キーカット”という道具だ。
ピスケットの繋ぎ目を挟むように当てると、発信器の効果を消す事ができるのだが、それだけでは不充分という事もエミは知っていた。
「たしかこれ…本体の近くじゃないと…」
そう。キーカットを正常に扱うには、動力源である本体から2m以内に居る必要がある。その範囲外で使うと、やはり発信器と同様の信号が出てしまうのだ。
エミは必死に首を振り、指輪と道具をラキに返す。やはり盗むのは無理だ。その瞬間、体の至る所を刺されるような殺気を感じる。
「−−やれ」
「ひぃっ…!!」
エミには選択肢が2つ見えた。
1つは、14歳という若さで冷たい牢獄に入れられる事。
もう1つは、目の前の鬼に今すぐ殺られる事。そして、エミにとっては1つしか選べないに等しかった。
エミは観念した。ぎゅっと目を閉じ、ピスケットの繋ぎ目をキーカットの先端で挟む。すると、軽金属同士がぶつかり合ったような高音が、微かに響いた。
「……へ?あれ…?」
エミは狼狽えながらピスケットを見た。そこには、繋ぎ目など元から無かったかのように、輪に隙間が出来ていた。支えが無くなったピスケットは指輪から滑り落ち、エミの足下に落ちた。
ラキは大人も泣いてしまうほどの恐ろしい笑みを浮かべ、エミからキーカットを奪い、ピスケットの残骸も回収してすぐさま姿を消した。
何故キーカットが正常に使えたのか、考えられるのは1つだけ。近くに本体があったのだ。
今エミが居る場所は、店の壁を隔てた裏側。つまり、この壁の向こう側にキーカットの本体があったとしか考えられない。ラキはそれを知っていたのだろうか。
「……魔導器だ…」
エミは考えながら、不本意にも手に入った魔導器を眺めていた。
精錬された銀から薄赤色の輝きも窺える不思議な指輪で、何の飾り気もないシンプルなそれは、とても綺麗だった。
ずっと欲しかった物がついに手に入った。ラキが協力してくれた。盗品なのに、嬉しさが込み上げてくる。しかし盗品は盗品なのだ。
「私の魔導器…」
時間を忘れて魔導器に見入っていると、ラキが戻ってきた。先程より遅かったので、どうしたのかと不安になる。
ラキは両手に“ムーンキッス・コーヒー”という店のシャトル・ラテを持っていた。若者に人気のコーヒー屋のラテだ。
シャトルラテは店の創業時、高く昇る想いを込めて作られた自慢の逸品で、今も変わらず愛され続けている。
ラキはキーカットを戻した後、わざわざ買ってきたのだろう。手に持ったシャトルラテを1つ、エミに差し出した。
「任務完了だな。お疲れさん」
「あ…ありがとう…」
これも盗んでいなければ良いが…とエミは少し考えたが、今はそんな事はどうでもよかった。早く魔導器を使ってみたかった。
2人はその場を離れ、大通りを歩きながらシャトルラテを飲んでいた。
魔導器が手に入った今、必死に仕事をする必要もなくなったので、散歩がてらぶらぶらしていた。
「この魔導器、どんな効果があるのかな〜。ないのかな〜」
エミは右手の人差し指にはめた魔導器をずっと眺めていた。
魔導器は魔力の操作や制御を補助し、魔法発動の効率を上げる。つまり魔法の強度が上がる。その他にも色々と特殊な効果を持っているものがあり、素材さえあれば専門店で付け加える事もできる。
魔導器以外の武器にも言える事だが、武器自体の強さより特殊効果の方が重要視される。武器の強度には限界があるため、良質な素材だからといって強い武器という訳でもないのだ。
「ルビフェンヌ。銀とルビーが何らかの力で融合した自然物を、指輪の形に加工した魔導器。能力値は限界点。装備者は見えざるものを見ることができるとかできねェとか」
エミの独り言に答え、ラキが魔導器の説明をした。
エミは、やはりラキは調査していたのだと気付いた。盗む物や店、店内の様子など、入念に調べていなければあそこまで上手くはいかないだろう。
その理由や経緯は深く考えない事にした。考えてしまえば、桜の木の肥料にされそうな気がしたからだ。エミは身を震わせた。
「ルビフェンヌ…綺麗な名前だね〜。でも…見えざるものが見えるって…?も、もしかして…」
魔導器の特殊効果を聞いたエミは、少し考えてからラキに顔を向ける。そこにはラキの姿はなかった。
エミの意図に気付いたラキは、言葉の途中ですでに『不在の新月』を発動していた。しかし、見えも感じもしなかった。
何か条件があるのか、または対象が違うのだろうか。
「見えない…」
「ふむ、残念だったな。まぁ1点物だし、イィ魔導器なのは確かだよ」
「あ、そうなんだ。やっぱり普通に買ったら高いの?」
「金貨45枚だったかな」
「よ…よん、じゅ…45万、モネル…」
「学生時代のお前の年収×4くらいだな」
45万モネルといえば、良い騎獣や高性能な馬車が買えてしまう値段だ。自動車を取り扱っている国なら、低性能のものは買えるだろう。
それをラキは盗んだのだ。エミは、我ながら恐ろしい犯罪に加担してしまったと後悔した。
その考えを読んだように、ラキが悪意剥き出しの笑みを浮かべる。
「もう後戻りはできねェぜぇ…?」
「ひぃ〜…!」
思っていたよりも犯罪の片棒は重かった事を知ってしまい、エミの経歴には深い傷がついた。武具屋の売り上げにはもっと深い傷がついた。
自分は悪くない。巻き込まれただけだと、エミは必死に罪を振り払う。だが、どんなに考えても罪が消える事はなく、諦めて受け入れるしかない。
そんなエミの反応を見て楽しむラキ。鬼畜外道に生きるこの男は、諸行無常の理から逸脱した不変の存在であった。
エミなりの悩みは諦める事で落ち着かせ、新たにできた現在の目的を遂行しようと気持ちを切り替える。魔導器の能力を試すため、魔物討伐の依頼を探しに冒険ギルドへ向かうのだ。
………………
冒険ギルドでの依頼をこなしある程度の成績を残すと、上級の冒険者として認められるための試験が冒険ギルドから直々に下される。その試験に合格すれば“冒険者記章(通称、キャットタグ)”という長方形のメダルが付いたネックレスが貰える。
ギルドカード内の情報は引き継がれるが、カード自体は回収され、新たにキャットタグに血を垂らす事で本人専用となる。これがあれば国境を無条件で優先的に通過できたり、難度の高い依頼を紹介してもらえる。依頼者から冒険者が指名される事もあるそうだ。
キャットタグが無ければ侵入不可という場所や区域も多々あるため、ギルドカードとは比べるまでもなく利点が多い。
ラキとエミはその仕事振りが冒険ギルドに評価され、試験を勧められた。
試験は冒険ギルドの職員と闘う事と、ある依頼を達成する事。1人用の試験なのでエミは落ちると思われたが、なんと危ういながらも合格した。ラキはラキで苦労したようだが、しっかりと合格を掴み取り、2人はつい最近キャットタグを手に入れていたのだ。




