第5記 −悪は悪を呼ぶ(3)−
エミは瞬きなどしていない。だが、何が起きたのかは全く分からなかった。
怪盗ムーンはナイフを納めたばかりのラキの横へ回り、魔力を込めた一撃を脇腹に埋め込むその時には、怪盗ムーンが仰向けに倒れていた。エミの目には、その結界だけが映っている。そこには過程も音も、風すらも無かった。まるで初めから
この光景だったかのように。
ラキはすでに怪盗ムーンの背後におり、顔面を掴んで後頭部を屋根に叩きつけたのだが、在るのはその後の光景。おぞましく笑うラキの表情が残っている。
相手が女でも子供でも全く容赦がない。外道と言って間違いはない。
ラキは気を失っている怪盗ムーンから目を流し、何事もなかったかのようにエミの前まで歩いてきた。
「脆弱」
「う…ごもっともです…」
ヘラヘラと厳しい言葉を浴びせ、エミを猫のようにつまみ上げて立たせた。
怪盗ムーンの魔闘を受けた右腕と脇腹を抑えながら、エミは疑問をぶつける。
「いつ来たの?っていうか、何してたの?」
「ん、地下まで行って全員ノして、ここまで館長担ぎながらジャマな奴ノして来たんだよ。で、お前が吹っ飛ばされた辺りで背中にピタリ。殺してりゃもっと早く来られたけどなァ」
ラキは平然とそう言ってのけた。自分がやったという痕跡を残さないために、殺しを控えたのだ。そして屋根へ向かっている最中、異変に気付いた警備員が警報を鳴らしたようだ。時間を稼げたエミにとっては幸運だったのかもしれない。
ちなみに、ラキは屋根へ通じる正規の道を使ったらしい。
「あはは……はぁ…」
エミは人ならざる所業を苦笑いで濁した。規格外の存在に慣れるのは、いつになるだろうか。
「んなことよりコレ見てみ。ノした奴からパクってきた」
自分のお荷物加減に落胆しているエミを無視し、ラキは後ろを向いて腰の小さなポーチを見せる。
勝手にエミの金で買ったSポーチとは別に、四角の印が付いたLポーチが加わっていた。色も前の物より少し黒い。そして新しくなったポーチから、金銀銅のモネルとL袋まで出した。
「山分けだー♪喜べ」
「あ、ありがとう…」
大容量の入れ物は高級品だ。閉店大売り出しの時でも8万モネル以下になる事がない。その高級品を2つも盗み、かつモネルまで盗んで来たのだ。そんな余裕があるのならもっと早く来て欲しかったと一瞬思ったが、L袋が自分の物になったエミは、複雑ながらも嬉しさが勝っているようだ。エミが極悪人の共犯者になった瞬間である。
盗んだ金を半分ずつに分けていると、目を覚ました館長が怪盗ムーンのもとへ駆け寄っていくのが見えた。
「ヴェネ様…!」
館長はすぐに怪盗ムーンの状態を確かめ、死んでいない事が分かると安堵の息を漏らした。それを見たエミとラキが2人の方へ移動する。
館長は座り込んだままラキに目を向け、口を開いた。
「…貴方達の目的は何なのですか?」
その疑問はもっともだった。金が目的ならば、怪盗ムーンを捕獲し依頼を達成するだけで良いはずだ。館長や他の者達にまで敵意を向ける必要はない。
エミもラキも最終目的は金などではないが、当面は資金を調達する為にこの依頼を受けたはずだった。館長の疑問に、ラキは悪どい笑みを浮かべながら答えた。
「キラキラー」
「−−ッ…それは……何故…」
ラキがLポーチからひょいと摘まんで見せた物に、館長もエミも驚いていた。
「鬼の瞳。欲しいんだろ?」
ラキが持っている物は、あの禍々しくも美しい宝石。怪盗ムーンと館長が盗もうと計画し、失敗した物だ。その失敗となった原因であるラキが、それを差し出している。
「…取り引き、という事ですか…?」
「そゆこと」
「……分かりました」
館長は眉間にしわを寄せながら深く頷いた。
それから今後の事を簡単に決め、納得した館長は怪盗ムーンを抱えて去っていった。見送ったラキ達も見つからないように美術館を離れ、宿に戻った。
………………
翌日。買い物から帰ったラキが、エミに2枚の紙を見せる。
「ぅわひゃぁ〜!お、おた、おたずね者ぉ〜!?」
その紙を見て、エミはムンクの叫びへ変化した。科学では有り得ない事を起こす、まさに魔法だ。
紙には似顔絵と共にこう書かれていた。
〜WONTED〜
この顔を見かけたら、すぐに警備隊か警察隊へ連絡を。
情報提供者には謝礼を差し上げます。
極めて危険な人物の為、注意されたし。
M30,000
もう片方の紙にも同じ内容が書いてあり、賞金額は5万モネルだった。そして怪盗ムーンは、今回の件で賞金額が60万モネルに上がったらしい。
「どどどどうしよ〜…!終わりだ〜、もうだめだ〜!もう明るい世界へ戻ることはできないぃぃ〜…!終わりだ〜もうだめだぁ〜!」
「お前はコレ見て、なんも気づかねェのか?」
ラキにそう言われ、エミは心を落ち着かせてもう1度紙を見る。
冷静に観察してみると、似顔絵があまり似ていなかった。面影があるという程度だ。…が、ラキがそんなふざけた事で意味深な問いかけをするだろうか。少しの間紙と睨み合ったが、すぐに疑問符を浮かべてラキに顔を向けた。
ラキはエミの頭を鷲掴み、ギラギラと光る目付きで静かに言い放った。
「…何でオイラの首額がお前と大差ねェんだよ」
「ひぃぃっ!ご、ごめんなさいごめんなさい〜っ!」
エミは怖すぎて必死に謝った。これでもエミは一応怪我人だ。
ちなみに“首額”とは賞金首の値段の通称である。
「つーかな、名前も罪状も書いてねェじゃん」
「…へ?…あ、ほんとだ」
賞金首の手配書には基本的に通り名や罪状が書かれている。加えて、賞金首は原則として生死問わず。首から上さえあれば賞金は支払うという昔ながらの方針だが、怪盗ムーンのように生け捕りが条件の場合もある。そういった条件も手配書に記載されているはずなのだ。
この手配書は賞金首というより、探し人の告知書に近い。
「街の掲示板に貼られてるだけで、冒険ギルドが更新した賞金首は怪盗ムーンだけ。美術館は平常運転」
「え、なんで……あ」
「そゆこと」
エミはようやく気づいたようだ。
今日、館長は被害者として美術館へ戻り、怪盗ムーンが宝石を持ち去ったと報告した。これは美術館の幹部と、冒険ギルドのみが知る極秘事項である。他の関係者には、盗まれたのはダミーだと説明した。
館内に居たほとんどの者が気絶させられ、一部の者はほぼ同時に倒れたという被害状況から、単独での犯行を疑う者が出た。そして、怪盗ムーンの仲間だと思われる者を見たと館長が証言し、手配書を発行したのだ。もちろん人物像は完全にでたらめだが、どことなく似ているのは、館長の小さな反抗心なのかもしれない。
冒険ギルドなどに正式に賞金首として申請する事になれば、記載された罪状を見て、美術館の警備に参加した者が疑問を持つ。やはり盗まれたのは本物だったのではないかと、不信を抱く者も出てくるだろう。
これが宝石を盗まれた事実を隠したい美術館側に出来る、限界の最善策なのだ。
「あのオッサン、上手くやったみてぇだな」
「うん、そうだね」
話が終わると、ラキはまた外へ出ていった。
エミは軽く体を動かし、体調を確かめる。癒し屋のおかげで、怪我の具合は良好。財布には結構な痛みを伴ったが、身体の痛みはもうほとんど無い。
館長との取り引き場所へ向かうため、夜になったらここを出る。ラキが買ってきた食事をしっかりと食べ、出発まで軽く魔法の練習をした。
光のナイフで相手を拘束する魔法は『ハクワル』と名付けられた。古代の言葉で“捕らえられた者”などの意味を持つ。
エミは怪盗ムーンとの闘いで、まだまだ改善しなければならないと思い知った。あんなにも容易く負けた事が、エミなりに悔しかったようだ。もっと新しい魔法を作り、もっと強く磨いていこうと密かに決意した。
いつの間にか薄暗かった外は完全に闇に包まれ、暗くなっていた。外に出ていたラキが窓越しに出発を伝える。そして2人は、約束した場所へと向かった。




