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わからない二人  作者: 大窟凱人


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4/5

思い出した二人

 私たちは部屋へ戻った。

 今度は鍵を掛けなかった。

 居間にはアルバムが残されていた。

 茉由は最後の写真を取り出した。

 撮影されたのは、私たちが亡くなったとされる日の二日前だった。

 二人とも笑っている。

 何か特別なことがあったようには見えなかった。


「幸せそうですね」


 茉由がつぶやいた。


「ええ」


「私たち、好き同士だったんでしょうね」


 私は写真を見つめた。


「そうだと思います」


 茉由は写真を裏返した。

 そこには私の字で、短い文章が書かれていた。


『今度こそ、うまくやろう』


 茉由は何度もその文字を読んだ。


「今度こそ、って」


「前にも失敗したってことですね」


「何度も、でしょうか」


「分かりません」


「どうして死んだんでしょうね、私たち」


 私は答えられなかった。

 手帳にもアルバムにも、二人が一緒に死ぬと決めた理由は書かれていなかった。

 本当に二人で決めたのかどうかも分からない。


「心中だったんでしょうか」


 茉由が尋ねた。


「さっきの……大家さんの息子さんは、そう言ってましたね」


「でも、私、覚えてません」


「私もですよ」


 言ってから、胸の奥に小さな違和感が残った。

 自分が死にたいと思ったことは、確かになかったはずだ。

 けれど、今となっては何も信用できない。

 茉由は立ち上がった。


「もう一度、部屋を調べませんか」


 私はうなずいた。

 彼女が寝室へ向かったあと、私はアルバムを片づけようとした。

 そのとき、最後の写真が床に落ちた。


 拾おうとして、裏面に別の文字があることに気づいた。

 先ほど見た『今度こそ、うまくやろう』の下に、薄い鉛筆の跡が残っている。

 紙を傾けると、消しゴムで消された文字が読めた。


『別れると言われた』


 その下に、もう一行。


『絶対に許さない』


 私は写真を持ったまま動けなかった。

 寝室から茉由の声がした。


「瀬川さん」


 私は返事をしなかった。


「ちょっと来てもらえますか」


 写真を伏せて食卓に置いた。

 寝室へ行くと、茉由がクローゼットの前にしゃがんでいた。

 奥に小さな旅行鞄がある。


「これ、私のだと思います」


 鞄には衣類と財布、通帳が入っていた。

 封筒もあった。

 茉由は中身を取り出した。

 賃貸住宅の申込書だった。

 入居希望者の欄に、水守茉由と書かれている。


「引っ越すつもりだったんですね」


 私は言った。

 茉由はうなずいた。


「でも、どうして……」


 彼女は申込書を見つめた。

 私はその後ろに立っていた。

 茉由が立ち上がり、寝室を出ようとしたところで足を止めた。


「……すみません」


「はい?」


「そこ、通してもらえますか」


 私は寝室の戸口に立っていた。

 いつそこへ移動したのか、自分でも分からなかった。


「ああ、すみません」


 横へ退くと、茉由は私の脇を通り抜けようとした。

 その動きに、見覚えがあった。

 今よりずっと怯えた顔で、彼女が私の横を通ろうとしている。

 鞄を抱えていた。

 泣いていた。

 私は手を伸ばした。


「あ……」


 その瞬間、記憶が戻った。


    *


 夜だった。

 茉由は旅行鞄を持って、玄関に立っていた。

 もう一緒には暮らせない、と言った。

 私は謝った。二度と怒鳴らない、これからは変わる、何でも言うことを聞くと約束した。

 それでも茉由は、もう決めたのだと言った。


 私が彼女に手を上げたのは、一度や二度ではなかった。

 怒鳴ったあとに謝り、泣かせたあとに優しくした。仲直りすると、彼女はまた笑ってくれた。

 だから私は、今回も許してもらえると思っていた。

 だが、茉由は鞄を持って出ていこうとした。

 私はその鞄を取り上げた。


『もう行かせて』


 茉由は頼んだ。


『話が終わるまで、出ていくな』


 私は玄関の扉の前に立ちはだかった。

 茉由はドアノブを回し、扉を開けようとした。

 私が扉を押さえると、茉由は力を込めて押し返してきた。それでも私は手を離さなかった。

 彼女が押しのけようとしたとき、ドアノブが大きく軋んだ。

 その音も、私は覚えていた。

 以前、同じようなことがあったのだ。


 茉由が出ていこうとして、私が止めた。彼女が必死に回したドアノブは壊れ、あとから業者に交換してもらった。

 洗面台の下に残っていた、あのドアノブだった。


 その夜も、茉由は出ていこうとした。

 私が退かないと分かると、彼女は鞄を諦め、脇をすり抜けようとした。一刻も早く去りたかったのだろう。

 私は彼女の腕をつかんだ。

 茉由は悲鳴を上げた。

 暴れて、抵抗し、逃げようとした。

 私は彼女を床に押さえつけた。泣きながら、何かを訴えていた。

 私は聞かなかった。

 彼女が動かなくなったあと、ようやく手を離した。

 玄関の鍵は、最初から開いていた。

 茉由を閉じ込めていたのは、私だった。


 それからのことも思い出した。

 冷たくなった身体。

 静まり返った部屋。

 自分が何をしたのか理解したときには、すべてが終わっていた。

 私はその夜、自分でも命を絶った。


「……思い出しました」


 声が漏れた。

 茉由が振り返った。


「何を?」


 私は彼女を見た。

 先ほどまで、知らない女だった。

 今は違う。

 茉由だ。

 三年間、私と一緒に暮らした女。

 私を置いて出ていこうとした女。


「瀬川さん?」


 茉由が近づいてきた。

 その顔を見ているうちに、胸の奥に懐かしい怒りが湧き上がった。


 私は何度も謝った。

 何度も許してほしいと頼んだ。

 茉由が笑うためなら、何だってした。

 それなのに彼女は、私を捨てようとした。


「どうして」


 私はつぶやいた。


「どうして、出ていこうとしたんだ」


 茉由の顔から血の気が引いた。


「……え?」


「俺は、あんなに謝ったじゃないか」


 茉由が後ずさった。

 その表情を見た瞬間、彼女も思い出したのだと分かった。

 私が鞄を取り上げたこと。

 玄関に立ちはだかったこと。

 逃げようとする彼女を捕まえたこと。

 最後に見た、私の顔。


「あなたが……」


 茉由は口元を押さえた。


「あなたが、私を殺したのね。直澄……」


 私は何も言わなかった。

 彼女の目に、はっきりと恐怖が戻っていた。

 その顔が気に入らなかった。


 せっかく、もう一度出会えたのに。

 知らない者同士として、仲良くなりかけていたのに。

 なぜまた、そんな目で俺を見るのだろう。


「茉由」


 私は手を伸ばした。

 彼女は顔の前に腕を上げた。

 その動作を見て、私は初めて、彼女が生きていた頃にも同じことをしていたと思い出した。


「来ないで」


「話を聞いてくれ」


「嫌」


「俺たち、またやり直せるだろう」


 茉由は首を振った。

 その動作も、俺を見る目も、息づかいさえも許せなかった。

 俺は彼女の腕をつかんだ。

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