取り残された二人
二人とも立ち上がった。
扉を開けて入ってきたのは、見知らぬ若い男だった。
黒い鞄を肩に掛け、手には書類の束を持っている。
「ちょっと、誰ですか」
私は声をかけた。
男は答えなかった。
そのまま靴を脱ぎ、部屋へ上がってくる。
「すみません!」
茉由も声を上げた。
男は私たちの間を歩いていった。
あまりに自然だった。
まるで、そこには誰もいないかのように。
男は居間の中央に立ち、書類を確認し始めた。
携帯電話が鳴った。
「あ、もしもし。はい、今、現場にいます」
「あの――」
私は男の肩に手を掛けようとした。
指先は肩を通り抜けた。
「――え?」
思わず手を引っ込めた。
男は何も気づかず、電話を続けている。
「遺品はまだそのままです。ご家族の確認が終わってからでないと、こちらでは処分できませんから」
男は部屋を見回した。
「そうです。男女二名。心中と報道された件です」
茉由が小さく息をのんだ。
「亡くなってから三週間ですね。警察の調査は終わったと聞いています」
私は男を見つめた。
言葉の意味が分からなかった。
男は食卓まで歩き、アルバムを手に取った。
先ほど茉由が開いていたページを、何気なく閉じた。
「こういうものは残しておいた方がいいでしょうね。ご遺族が受け取りたいかもしれませんし」
私は男の目の前へ回り込んだ。
「すみません」
返事はなかった。
男は鞄から封筒を取り出した。
封筒の表には、この部屋の番号が書かれていた。
その下に印刷された二人の名前。
瀬川直澄。
水守茉由。
男は書類をしまい、携帯電話に向かって言った。
「父が亡くなって、私が大家を引き継いでから初めての事故なので。いろいろ手際が悪くて申し訳ありません」
そこで、私はあの老人を思い出した。
灰色のカーディガン。
古いスリッパ。
もう三年になるんじゃありませんか、と言った声。
男が玄関へ向かった。
茉由が追いかけた。
「待ってください!」
彼は振り返らなかった。
扉が閉まり、錠の回る音がした。
私たちはしばらく玄関に立っていた。
*
最初に口を開いたのは茉由だった。
「私たち、死んでるんでしょうか」
私は答えられなかった。
茉由は鍵を開け、扉を押し開いた。
私も後に続いた。
一階へ下りる途中で、あの老人が階段の踊り場に立っていた。
先ほどと同じカーディガンを着ている。
「大家さん」
私が呼ぶと、老人は顔を上げた。
「どうしました」
「さっき、若い男の人が来たんですが」
「ああ」
老人はうなずいた。
「息子ですよ。今はあれが建物のことをやっています」
私たちは顔を見合わせた。
「あなたは……」
私が言いかけると、老人は微笑んだ。
「二人とも、仲直りはできましたか」
その質問に、茉由は答えなかった。
老人は何かを思い出したように、私たちを交互に見た。
「よく喧嘩をしていましたからねえ」
「そんなにですか」
「ええ。何度も、もう一緒には暮らせないって」
茉由が階段の手すりを握った。
「それでも、出ていかなかったんですか」
「そうですね」
老人は少し考え込んだ。
「何度か荷物を運び出そうとしていたようですが、結局、いつも戻ってきていましたね」
その言葉を聞いて、私は茉由を見た。
彼女は俯いていた。
私はもう一度、老人に尋ねた。
「どちらが出ていこうとしていたんですか」
「さあ、そこまでは」
老人は首を傾げた。
「お二人のことですから」




