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わからない二人  作者: 大窟凱人


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2/5

笑っている二人

 最初のページを開いた。

 桜並木を背景に、私と女が並んでいた。

 女が私の腕を取り、顔を寄せている。私も笑っていた。


「これ、私ですよね」


「そうですね」


「あなたも写ってます」


「ええ」


 奇妙な会話だった。

 写真の下には日付が書かれている。二年前の春だった。

 私はその日を覚えていた。

 休日に公園へ行き、花見客の多さにうんざりした。屋台で焼きそばを買ったことも覚えている。風が強く、桜の花びらが食べ物に落ちてきた。


「私、ここへ行きました」


 女が言った。


「私もです」


「焼きそばを食べたんです。風が強くて」


 私たちはまた顔を見合わせた。

 二人とも、その日は一人で公園へ行ったと記憶していた。

 なのに写真の中では、互いの肩を抱き合っていた。


 次のページは海だった。

 女が砂浜に座り、私がその背後にしゃがんでいる。

 次は誕生日。ろうそくの立ったケーキを挟んで、二人が笑っていた。


 温泉旅行、遊園地、紅葉の山道。

 私にも女にも、写真の場所へ行った記憶があった。ただし、すべて一人だった。


「私たち、本当に付き合ってたんでしょうか」


 女の声は少し明るくなっていた。


「そうみたいですね」


「何だか変ですね。知らない人と恋人だったなんて」


 女は笑った。

 私もつられて笑った。


 さっきまで互いを侵入者だと思っていたのに、写真を見ているうちに警戒心が薄れていった。私たちは同じ場所へ行き、同じものを食べ、同じ景色を見ていた。互いを覚えていないことの方が、おかしいのかもしれなかった。


 女はアルバムを膝に載せ、ページをめくり続けた。

 写真が新しくなるにつれ、写っている空が少なくなった。海や山の代わりに、同じ食卓、同じソファ、同じ壁紙が繰り返される。二人とも笑っているが、身体を寄せ合っていた以前の写真と違い、近頃のものでは肩と肩の間にわずかな隙間があった。


「だんだん出かけなくなったみたいですね」


「仕事が忙しかったのかもしれません」


 私がそう答えると、女はうなずいた。

 最後の写真は、この部屋の食卓で撮られていた。私は女の肩を抱き、彼女も私の腰に腕を回している。


「仲良さそうですね」


 女はそう言って、写真の端を押さえた。

 私もそう思った。これほど親しかった二人が、互いをすっかり忘れてしまうなんてな。


「……?」


 私は彼女の肩に置かれた自分の手を見た。指の下で、服の生地が強くよれているのが目についた。

 写真を撮るときに、抱き寄せたのだろうか。

 写真の背後の壁には、小さな額縁が掛かっていた。


 私は振り返った。

 今、その壁には何もない。写真と違う。

 額縁があったところだけ壁紙の色が違っている。


「ここに何か飾ってあったんですね」


 女が顔を上げる。

 私は壁に近づいた。

 四角い日焼けの跡の内側に、小さな穴があった。白い補修材で埋めてある。その両脇にも、針の先ほどの穴が二つ見えた。


「何があったんでしょうね。覚えてますか?」


「さあ……」


 女は壁を見つめていた。

 何か言いかけたようだったが、そのまま黙った。

 私はアルバムに戻ろうとして、彼女の手が震えていることに気づいた。


「どうしました?」


「分からないんです」


「何が?」


「何となく、ここにいたくない気がして」


 女は笑おうとした。

 うまく笑えていなかった。

 私は気を紛らわせようと、別の引き出しを開けた。


 中には手帳が二冊あった。

 一冊は黒い革表紙で、もう一冊は薄い赤色だった。

 黒い方には私の字で名前が書かれていた。


 瀬川直澄。


 女も赤い手帳を手に取った。


「水守茉由。これ、私のです」


「茉由さん、ですか」


「はい。瀬川さんですね」


 私たちは改めて名乗り合い、少し笑った。

 三年も一緒に暮らしていたというのに、名前を知ったのは今が初めてだった。

 二人で日付を合わせ、手帳を読み進めた。


 最初のうちは、ありふれた生活の記録だった。

 買い物、仕事、外食、休日の予定。

 私の手帳には、茉由が作った料理がおいしかったことが書いてあった。

 茉由の手帳には、私が風邪をひいたとき、一晩中看病したことが書かれていた。


「結構、仲良かったんですね」


 茉由が言う。


「そうみたいですね」


 その年の秋頃から、文章が変わった。

 私の手帳には、謝罪の言葉が増えていた。


『また怒らせてしまった』『どうして同じことを繰り返すんだろう』『今日は謝れなかった』


 茉由の手帳にも似た記述があった。


『また傷つけてしまった』『謝ったけれど、許してもらえなかった』『もう何を言えばいいのか分からない』


 どちらの手帳にも、相手が何をしたのかは詳しく書かれていなかった。

 ただ、謝ったことと、許されなかったことだけが残っていた。


「ずいぶん喧嘩していたみたいですね」


 私が言うと、茉由は返事をしなかった。

 さらにページをめくった。

 ある日の記述が目に留まった。


『ようやく分かってくれた。これからはうまくいく』


 それは私の字だった。

 同じ日付を茉由の手帳で探した。


『今日は頷いた。そうしないと話が終わらなかった』


 私は二つの文章を読み比べた。


「この日は、仲直りしたんでしょうね」


「……『頷いた』とだけ書いてあります」


「ええ。それなら、分かり合えたんじゃないですか」


「何に頷いたのか、分からないんです」


 私は黒い手帳を彼女に向けた。


「こちらには、分かってくれたとありますよ」


 茉由はしばらく二冊を見比べた。


「次の日も見てみましょう」


 彼女は赤い手帳のページをめくった。


    *


 手帳を読み終え、私たちは別々の場所を調べ始めた。

 茉由は台所の棚から割れた皿を見つけた。接着剤で丁寧に修復されている。


 私は寝室の衣装ケースから古い携帯電話を見つけた。充電器もなく、電源は入らなかった。

 洗面台の下には、古いドアノブが紙袋に入っていた。

 根元の金具が歪み、握る部分には細かな傷が幾筋も走っている。

 私は玄関を振り返った。


 今ついているドアノブは、まだ新しかった。


「何か見つかりました?」


 茉由が台所から声をかけてきた。


「古い部品です」


 私は紙袋を元の場所に戻した。

 別に隠すつもりはなかった。ただ、どういうわけか、彼女に見せたくなかった。

 茉由は次第に口数が少なくなった。

 私も彼女の動作を目で追うようになっていた。

 彼女が突然振り返ると、少し身構えてしまう。

 茉由の視線も、私の手が動くたびにそちらへ向いた。


 先ほどまで並んでアルバムを見ていたのに、今は自然と距離を取っている。


「少し休みませんか」


 私が言った。


「そうですね」


 茉由は食卓の向こう側に座った。

 私は反対側の椅子を引いた。

 そのとき、玄関の錠が回った。

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