魔王の御前
階下から感じた異様な匂いの正体を、二人は知った。
三階の大広間。通常拠点の主である派閥の長の居住するスペースであり、当然東拓もここで生活している。
個人が最も侵入されるのが嫌な場所が、自分の部屋、自分の家の中。そこに踏み込むんで支配者を倒して引き摺り下ろす。
支配者として他人を使って自身を守らせていたのだ。だったらその守るべき兵隊がいなくなった時、一番守りたかった場所への侵入は正当な罰になる。
業深き支配者が受けるべき罰。
だからこそ紹美と曹沙は東拓が普段使う部屋へと侵入したからには、彼女の趣味や趣向を目撃せざるを得ない。どんな風に過ごしているのかを見てしまう。
故に目の前の光景を、どんなに嫌でも見なくてはならない。
「うげ」
(うらやましー)
紹美は吐き気を催すほどの気色悪さを感じて身を震わせる。
曹沙は盛大な光景に圧倒されかかっていたが、それでも心中は羨望を持っていた。
「ぺちゃ、べちゃにゅる、ちゅぱっ……んん、ふ……ふふ、ちゅ、ちゅ……ん、あふん……ふぅ、ふふ」
東拓葉緒。
彼女は階段から上がった先に見える部屋の奥にて、沢山の女の子を侍らせていた。
歳は10代前半から20代前半あたり。全員下着を曝け出しているのは当然で、中には局部が見えている者までいる始末。
そして東拓本人は片手で隣に座る女の子と濃密なキスを交わしながら、もう片方の手で逆側に座る女の子の乳房を揉んでいた。
「なによこれ……信じられないわ」
「そうねー」
曹沙の返事は平坦だった。
東拓はすでに二人の来訪、侵入は気づいている。キスしながら目はこちらを向いているからだ。とても楽しそうな笑みを浮かべている。
それは二人が来たから嬉しいのか、それとも単純にキスが楽しいのか、わからない。
呆気に取られる紹美。不意に東拓は唇を離した。
「んっ……んふぅ……、どお? あなた達もこちらに来て一緒に愉しまない?」
「断る」
「生憎私にも好みってものがあるからね」
「あら残念。でも、ふふふ……曹沙。ああ、曹沙ぁ」
ねっとりと、目つきで撫でるように曹沙の全身を見つめる。
「髪を切ったのね。ふふふ、とっても愛らしいわ」
東拓討伐連合を結成する際、苑珠や他の派閥の長達に、自分は東拓の仲間ではなく倒すべき敵と見ていると証明するために切り落とした髪の毛。
東拓はその髪を切った曹沙の姿を初めて見た。
「そりゃどうも」
「あの放送から会えてなかったけど寂しくなかった? その間に切ったのよね? うーん……ならいつ切ったのかしらぁ?」
「決まってるでしょ」
曹沙は目の前にいる敵を睨みつけて、答える。
「アンタとの縁を切った時よ」
「ならまた繋がれば良いわね。縁なんて、どうとでもできるから」
東拓は群がる乙女達を順番に可愛がりながら、語る。
「ほんと、人の縁ってのはわからないものよね。何がキッカケでどう転ぶか分かったもんじゃない。例えば……そこにいる、円月家の次期当主候補もそう」
「………」
眉を顰める紹美。明らかに、候補、と言う単語を強調して言われたからだ。
「……私がなに? 言葉には気をつけなさい。今あなたは首元に剣を向けられている状況だと言う事を忘れないで」
「あなたは下の兄弟である円月苑珠の存在が気がかり。そりゃそうよね、あの子がもし当主争いに勝ったら自分はどうなるのか……ってね」
「ッ!!」
急所だった。
真実だった。
真意であり、紹美が己でも気づかない振りをしようとしていた部分だった。
それを魔王はアッサリと指摘した。
「捨てられるかもね? それならまだ良いけど、場合によっちゃ———ズバぁン」
東拓は首を切るジェスチャーをした。
キュッと紹美の体が緊張と焦りによって硬直する。
「優秀な後継者候補を野に返してそれでお終い……なぁんて都合のいい話あるわけもなし。放置するより消した方が安泰確実。剣を首元に突き立てられているのはあなたも同じってわけね。うふふふふ」
「………チッ」
「あら舌打ち、珍しい。ふふふっ、もし苑珠の方があなたよりも先に産まれていたとしたら話はもっと簡単だったと思わない?」
「それが人の縁の妙とでも言いたいのか」
「前に……あなたの実家から手紙が届いていたわね」
なぜそれを、と紹美は驚いた。
「私は学園の支配者よ? そんなことすぐにわかるし、円月家から学園に届いた手紙なんて価値があるもの。だから、失礼ながら読ませてもらったわ」
「……配達員に扮したお前の手下が、手紙の内容を写真で撮って送ったのね」
「ご名答、その通りよ。そして内容は———あなたの母親からのSOS。当然よね。あなたが当主になれないなら、あなたの母親だって危ない。親娘揃って人知れず殺されて闇に葬られてもおかしくはない。だから『必ず勝て』と書かれていた。とても実の母親が自分の娘に送る手紙とは思えない、キツい文面だったわねぇ」
「………………」
「大変ねぇ、むしろあなたは巻き込まれた側なのに。あなたの母親が勝手に円月家の当主と子供を作って、そしてあなたは生まれる前から次期当主の争いに参加させられていた。勝手に一番上の兄は死ぬし、勝手に周りから祭り上げられるし、勝手に自分は天賦の才能を授かって生まれてきた」
頭蓋が割れそうなほど、紹美の眉間にはシワが寄っていた。
「私は……」
「もしかしたらぁ? あの苑珠は今もあなたの事が大好きなのかもねぇ?」
「———ッ⁉︎」
唐突な言葉に、心が震えた。
激震が走り膝が震え出す。
「だってそうでしょう? 一番上の兄が死んで、残ったたった一人の兄弟なんだもの」
「だ、黙れ………」
「どっちも素直になれない……なんて程度の事ならまだよかったのかも。結局あなた達の亀裂の正体は、家の中の派閥争い」
「黙れ………!」
「あなた達がこの学園に来た理由も、実力を高めて金を貯めて力を付けるため〜なんて理由もそりゃあったでしょうけど」
「くっ………お前は!」
「一番は……円月家から離れるため。でもしょーがないわよねぇ? 戦うしかないわよねぇ? だって戦わなきゃ、勝たなきゃ、あなたは死亡。苑珠も———」
「や、やめろ! 黙れえええ!」
「これは円月家に生まれた哀れな二人の子供達による殺し合い。どっちかが死ぬまで終わらない。外野からしたら単なる兄弟喧嘩に見えるのかしらね。でもそれなりの家柄を持った人間ならわかる。あなた達二人は命懸けで戦っているのだと」
月が翳る。
一人の少女の心に帳がかかり、彼女の本心を覆い隠す。
そして、一筋の涙が彼女の柔い肌を伝って落ち、次の瞬間には“戦士”の目をした円月紹美が立っていた。
「ここでの正解はお前を倒すこと」
「追い詰められた感情を目的遂行の意思に置き換えて吹っ切れたフリしてるだけじゃない。ねぇ? 曹沙もそう思うわよね」
東拓は紹美の隣に立つ曹沙に同意を求める。
だがしかし彼女は、迷っていた。曹沙は今の話を聞いて心の中に迷いができてしまっていた。揺らぎ、ぐらつき、傾き、感情の重心の迷子。
どうやら曹沙は紹美と苑珠に対して、憐れむ心と心配する心を持ってしまったらしい。それが彼女の冷たくて気丈な振る舞いを鈍らせた。
(———残念、まだ人間か)
髪を切った曹沙を褒めた時、それは我が子を褒める母のように慈愛に満ちていた。
だが今は冷たく、興味が失せたように目を細める。
(あなたは魔王になる資格があると言うのに)
東拓が曹沙を見る目は、そんな気持ちを持っていた。
東拓は後継者を探していた。
魔王の意思を継ぐ者を。
「曹沙、あなたは魔王になる気はないの?」
「……は?」
突然話しかけられて目を丸くする。曹沙の表情はまだ紹美を慮った優しい目つきをしていた。だが東拓の方に振り向いた時には、鋭く、ゴミを見るような目になっていた。
その目を見てクスリと東拓は笑ってしまう。そうだ、それでいい、と。
「魔王の“魔”とはすなわち悪しき心のこと。悪の王になれと言ってるんじゃないわ。人の心の悪の側面を支配しろと言っているのよ」
「……話が見えないんだけど」
「【酒池肉林】とはすなわち欲望の解放」
周りにいる女の子達を触りながら、東拓は語る。
「己のやりたいことを知る。そうすると、自分がどんな支配者になりたいのかが見えてくる。目の前にいる人をどうしたいのか、目の前に広がる土地や環境をどんな風にしたいのか。作り直すのか、覆すのか、それともそのままにして置くのか———そのままにするためには守る必要もあるわね。ならどう守るのか、敵は何か。そうやって自分を分析した後に自分の作りたい世界を見つめる。理想なくして計画なし、計画なくして成功なしって、ところかしら」
「アンタはそう言う女の子とあんなことやこんなことがしたいから、酒池肉林なんてのを学園に掲げさせたと言うの?」
「いいえ? 自分がしたいだけなら誰にも目につかない、この部屋のような自分の居場所で隠れてやるわよ。その方がやり易くて都合もいいし」
「ならなんで掲げたの。衆目に晒すようなこと」
「人々の悪の側面を見ないことには、魔王にはなれない。私は魔王になりたかった」
そばにいる女の子に手を伸ばすと、突然その子の口の中に指を突っ込んだ。掻き回し、掻き乱し、嗚咽が聞こえてきても手を止めない。
「人を支配する快感、それも私の求めるところ」
苦しんでも、泣いても、懇願するような目を向けられても東拓は手を止めない。
周りの女の子達はその様子をはたから眺めるのみ。
東拓の暴威があるのみ。
「どお? 曹沙。楽しいわよ?」
ブチィッ!
ブシュッ———!
誘うように言った後、東拓は女の子の舌を引き抜いた。力づくで根っこから引きちぎって取れた口の中から大量の血が溢れ出し、少女と、少女の立つ周りを赤く染める。
それに対しても周りの少女達は意に返さない。
「下衆が———!」
倒れた女の子に駆け寄ろうとした紹美を、曹沙が止める。
「待ちなさい」
「なんだ! まさか……お前は東拓に与するのか?」
「違うわよ」
曹沙は紹美の横に並んで立つ。
彼女の持つ剣が光る。
「呼吸を合わせなさい。一気に駆け寄ってアイツを同時に斬る。片方が止められても、片方が斬ればいい」
「……なるほど」
紹美も金色の剣を構える。
二人とも息を合わせて、敵を見据える。
そして建物が軋んだ僅かな音を合図に、同時に飛び出した。女の子達が散らばる部屋の中に踏み込んで、駆け出す。
が———。
ドンッ!
曹沙が隣を走る紹美を軽くど突いた。バランスを崩した紹美の足は淀み、曹沙が一歩前を走る。
(なにを———まさか⁉︎ 自分が犠牲になろうと⁉︎)
紹美はこの連合のリーダー。紹美がやられれば終わる。
だから曹沙は自分が囮になるために紹美よりも前に行ったのだ。
(バカ!)
「たぁりゃああああ!!」
紹美の心も介さず、曹沙は大きな声をあげて両腕を振り上げる。自身を大きく見せることで後ろにいる紹美へ意識が向かないように。
だが……。
だが———。
だがッッ!
魔王はそれらを凌駕する。
「甘いわね」
一言、それだけ聞こえた。
瞬間、曹沙と紹美に圧力がかかる。身体中にまとわりつく力。
たまらず東拓へ到達するより前に床の上に組み伏せられる。
「がっ———!」
「こ、この女達……!!」
東拓の周囲にいた少女達が一斉に曹沙と紹美にまとわりついたのだ。
「あなた達が戦の前に調べた、東拓派閥の構成員170人ってのにはこの子達は入っていないわ。プライベートなお付き合いをしているだけだから。ただこの子達は私が好きだからね。こうして襲ってくる者がいれば命懸けで守ってくれるのよ」
「こんな事が……!」
「ふん!!!」
曹沙は東拓の底の見えなさに舌を巻いた。
一方で紹美は10人以上が体の上に乗っかってきていたが、力を込めてその女の子達を抱え上げながら立ち上がった。
「円月紹美も、舐められたものね!!」
そのままその子達を東拓がいる方とは別の、何もない所へ投げ飛ばした。床を転がる彼女達に怪我はない。
女の子達を取っ払った紹美はそのまま東拓に飛びかかる。
「その言葉はそのまま返してあげるわ」
ガキィン!と剣と剣がぶつかる。
東拓が自分の後ろに隠していた立派な剣で、紹美のそれを防いだのだ。
鍔迫り合い。
力は互角に見えたが、東拓がわずかに上。すぐに力押しを辞めて、紹美は技の多彩さで惑わしながら攻めていく。
思わず東拓も座っていた構えから立ち上がり、剣を交える。
「ほお、やはり強いか」
「円月家をナメるな!」
「武道に通ずるが故のプライド! 故に後継争いの醜さか!」
「後継とは———家系の血に刻まれた“正義”を未来に届けて繋げる事!」
「正義とはそんなに軽い言葉か? 自分自身の意思表明だけにあるものか⁉︎」
「正義は未来だ! それゆえにお前のその歪んだ自分都合のやり方は否定しなくてはならない! 貴様のそれを正義だとは呼ばせない!」
「私のこれは悪さ!」
「なら打ち滅ぼされろ! 光あるところに影があるのではない、光を遮るものがあるから影が生まれるのだ!」
「光ばかり浴びてたら気分悪くなるわよ! 日陰もなくちゃ! あなた達が私という主流から外れて行ったように!」
「ならば貴様は見せられたのか? 光に負けない闇を?」
刹那。
瞬間。
一瞬だけ、東拓の顔がひきつった。だがすぐに笑う。
「———! は! わかった風に言う!」
「ここが正念場だ魔王! 貴様の闇、我々の光、どちらが勝つか!」
ガギャァ!
強いぶつかり合い。
互いに信念があった。
力も互角、技も互角、知恵も互角。
東拓と紹美はせめぎ合いの中で互いの実力を測り、相打ちの未来を見た。
「月が、光を語るの? ただ陽の光を反射しているにすぎないと言うのに」
「ならばこの世に闇はない。夜の暗闇にも陽の光は届いているぞ」
「……あなたは本当に、家の教えが正しいと思っているのか? 兄弟同士で殺し合わせている今の状況が正しいと?」
「少なくともお前のような悪を生むような教えではないわね」
揺らがない。
すでに先ほど固められた意思だ。東拓の挑発や煽りを受けない。
だが、一つ弱点があった事を東拓は思い出した。
「苑珠はどうなる!!」
「———!」
「あの手紙に書いてあったな! 正室が第三子を身籠ったと!!」
△▼△▼△▼△▼
紹美の心が確実に揺らいだ。
あの日、連合軍を結成した日の夜に苑珠に伝えようとしたのはその事だった。
苑珠の母が、三人目を身籠った。
それがどう言う意味なのか紹美は知っている。
(才能のない苑珠は、見限られる)
後継者争いで紹美派と苑珠派に分裂していた状況から、苑珠派の者達は全員新しく生まれる第三子の方へと流れていくだろう。
苑珠の母もそう言う動きを取り始めていると、手紙にも書かれていた。
(そうなれば多分、苑珠は救われていた)
実は見限られた方が良いと紹美は考えていた。
だが最悪の転機が訪れた。
“天威”である。
あれを得てしまったからには苑珠も、家から無視されない。手紙を燃やした段階では紹美も苑珠が助かると思って、笑った。
けれど“天威”がそれをさせなかった。
(もはや苑珠は抜け出せないところまで来てしまった)
“天威”なんてなかったほうがよかった。
そうしたら家のことを忘れて、この学園と、学園の周りにある街の中で暮らせたはず。
家のことは自分に任せて———
「しゃあ!!」
「ッ! くっ!」
一瞬の思考だった。
だがその隙を突かれて、東拓は力任せに紹美を吹っ飛ばした。部屋の前の廊下まで吹っ飛ばされる。
「紹美!」
曹沙の悲鳴が聞こえる。
彼女も上にのしかかって来た女の子達を持ち上げて、抜け出そうとしていた。だが紹美ほど力のない曹沙にはできなかった。
「まだあなた達とは遊んでいたかったけど……これ以上続けても得はないわね」
ゆっくりと剣をぶら下げた東拓が近寄る。
「これで、おしまい」
ドガァァァァッッン!!
東拓が辿り着く前だった。
突如、三階の壁が大きな音を立てて壊された。方角は北側。
土煙が舞い上がって、崩れる瓦礫の壁から見えたのは二つのシルエット。
赤き虎。
白き龍。
そして———
「“王将”が揃いも揃ってこのザマか」
二人の後ろから小さなシルエットが歩いて来た。
赤と青の双眸を鈍く光らせる銀色の月。
堂々と魔王の御前に現れた小さな月は、倒れる姉を一瞥して鼻で笑うと、東拓を見据えた。
「ならこっからは“天威”の時代だ」




