第44話:『意外なファン』
ライブ直後の楽屋。俺たちは、さっきまでプロ棋士を圧倒した、
天才アイドル・カナタと対峙していた。
交渉は難航するか、あるいは法外な契約金を積まれるか。
俺とアリスは最悪を想定し、気を引き締めて扉を開いた。
だが、そこにいたのは、さっきまでの冷徹な勝負師の面影など、
微塵もない、一人の少女だった。
「あ、あ、あの……もしかして、本物の、ユイ様……!?」
カナタは俺たちが入室するなり、持っていたマイクを落とした。
その視線は俺の背後に隠れるように立っていたユイに釘付けだ。
彼女は顔を真っ赤にしてガタガタと震えだし、涙を浮かべる。
「握手、いいですか……あ、いや、サイン……!
いえ、同じ空気を吸えるだけでっ……光栄ですっ!」
実は彼女、配信動画を隅々までチェックし、ユイを神格化する、
熱狂的な大ファンだったのだ。
あまりの緊張に、さっきまでプロを追い詰めた頭脳はどこへやら、
言葉はたどたどしく、もはや交渉どころではない。
これでは実力が測れない。俺は溜息をつき、彼女を盤へ座らせた。
「おい、まずは落ち着け。俺と一局指せ。実力次第じゃ、
ユイのサインを考えてやってもいいぞ」
「ほ、本当ですか!? やります、私、全力でやりますっ!」
俺は将棋盤を挟んでカナタと向き合った。
そして、わざとユイを彼女のすぐ隣に座らせる。
「ユ、ユイ様が、こんなに近くに……ユイ様の香りが、
盤面から漂ってきます……集中、集中……」
対局が始まったが、カナタの指し手は支離滅裂だった。
ユイが少し身を乗り出して盤面を覗き込むたびに、
彼女は「ひゃぅっ!」と奇声を上げて肩を跳ねさせる。
数手先どころか、自分の持ち駒の位置すら怪しくなっていた。
結果は、俺のような整備士の素人を相手に、カナタのボロ負け。
「負けました。ユイ様の『尊さ』が、私の計算式を、
すべて焼き切ってしまいました……」
盤上に突っ伏す彼女を見て、アリスが呆然と呟いた。
「ゲンさん……これ、本当に私たちの『軍師』になるの?
ただの重度のオタクにしか見えないんだけど」
憧れの対象を前に、ただの「限界オタク」と化した天才棋士。
最強のオペレーター候補は、今のところ大きな不安要素だった。




