地獄
明人は床に設けられた重い扉を、両手で持ち上げた。
扉の下は暗闇だった。
地下へ続く木製の階段だけが、かろうじて見える。
夏未はその場に立ち尽くしていた。
まだ、明人の言葉を理解できていないようだった。
明人は夏未の腕をつかんだ。
「おいで。すぐに分かるよ」
優しい声でそう言うと、夏未を連れて階段を下り始めた。
一段。
また一段。
地下へ近づくにつれ、鼻を刺すような臭いが強くなっていく。
「なに、この臭い……」
夏未は空いている方の手で、鼻と口を覆った。
明人は何も答えない。
階段を下りきると、壁にあるスイッチを押した。
天井から下がった裸電球が灯る。
薄暗い光が、六畳ほどの地下室を照らした。
夏未は恐る恐る周囲を見回した。
そして、部屋の隅で視線が止まる。
椅子に、何かが座っていた。
俯いた人影。
両腕両足は椅子に固定され、片方の手には汚れた包帯が巻かれている。
夏未は目を見開いた。
それが人間の男だと気づくまで、少し時間がかかった。
明人はポケットから、小型の懐中電灯を取り出した。
スイッチを入れ、椅子に座る男の足元を照らす。
両足には太い鎖が何重にも巻かれ、椅子の脚に南京錠で固定されていた。
光がゆっくりと上へ移動していく。
腕にも何本もの紐が巻きつけられている。
胴体は椅子の背もたれに縛られ、首元にも太いベルトが通されていた。
男は、鍵のかかった拘束具により、ほとんど身体を動かすことができなかった。
夏未は恐怖のあまり、目を逸らすことができなかった。
やがて、椅子の男が力なく顔を上げた。
明人が懐中電灯を持ち上げる。
光が、男の顔を照らした。
伸びた髭。
痩せこけた頬。
落ちくぼんだ目。
それでも、見間違えるはずがなかった。
浮気相手の和宏だった。
「い、いや……」
夏未の唇が震える。
「いやあああああっ!!」
切り裂くような悲鳴を上げ、階段へ駆け出した。
一段目に足をかける。
しかし、後ろから明人に腕をつかまれた。
夏未は声にならない悲鳴をあげ必死に振りほどこうとする。
しかし、明人はそのまま強く引き戻し、夏未の身体を壁へ押しつけた。
背中が、硬い壁にぶつかった。
明人は、夏未が抵抗をやめるまで、壁に押さえつけていた。
どれほど時間が経ったのか。
夏未の荒い呼吸だけが、地下室に響いていた。
髪は乱れ、顔は汗と涙で濡れている。
「夏未」
明人が呼びかける。
「俺を見ろ」
夏未は震えながら、ゆっくりと顔を上げた。
目の前にいるのは、確かに明人だった。
しかし、夏未が知っている夫とは、まるで別の人間に見えた。
「落ち着くんだ」
明人は優しく言う。
夏未は答えられない。
明人は腕の力を緩めた。




