浮気男
あれから数日間、夏未と明人はほとんど口を利かなかった。
明人が声をかけても、夏未は逃げるようにその場を離れていった。
◇
その日の夜中。
陽介の泣き声で、二人は目を覚ました。
明人が陽介を抱き上げようとすると、夏未が奪うように先に抱きかかえた。
「……私がやるから」
冷たい声だった。
明人は何も言わず、キッチンへ向かった。
哺乳瓶に粉ミルクを入れ、湯を注ぐ。
温度を確かめてから寝室へ戻り、夏未の後ろから差し出した。
夏未は何も言わずに受け取った。
陽介がミルクを飲む姿を、明人は少し離れた場所から眺めていた。
「あのさ、夏未」
「なに?」
「この前は悪かった」
短い沈黙が流れる。
「本当に悪いと思ってるの?」
夏未の声には、まだ怒りが残っていた。
「うん。僕が自分勝手だった。反省してる」
夏未は明人へ顔を向け、睨むように見つめた。
「私、本気で傷ついたんだからね」
「うん。分かってる」
明人は少し黙ったあと、寝室の外を指さした。
「見せたいものがあるんだ。陽介を寝かせたら、リビングに来てくれない?」
夏未は何も答えなかった。
それでも、陽介をベッドへ寝かせると、黙って明人についていった。
◇
リビングへ入ると、明人はタンスの引き出しを開けた。
奥から、小さな箱を取り出す。
有名な宝石店の名前が刻まれた箱だった。
明人は夏未をソファに座らせ、その箱を手渡した。
夏未がゆっくりと蓋を開ける。
中には、ダイヤモンドの装飾がついたネックレスが入っていた。
「これ……」
夏未が明人を見る。
「お詫びのしるしに買ったんだ」
明人は照れたように頭をかいた。
「けっこう高かったけどね」
夏未はネックレスを手に取り、しばらく眺めた。
先ほどまでの険しい表情が、少しずつ和らいでいく。
「ねえ」
「なに?」
「もう、あんなことしないって約束してくれる?」
夏未の声は、少し明るくなっていた。
「うん。約束するよ」
「じゃあ、許してあげる」
夏未は満足そうに笑った。
明人も、静かに笑い返した。
◇
寝室へ戻った二人は、並んでベッドに横になった。
「ねえ、明人」
「うん?」
「さっきのネックレス、どうやって選んだの?」
「あれはね、相談したんだ」
「誰に?」
「前に話した、椅子を作ってあげた人。覚えてる?」
「うん。ホームセンターで知り合った人でしょ?」
「そう。その人に、妻と喧嘩したって相談したんだ」
明人は枕へ頭を沈めたまま、天井を見つめた。
「そしたら、あのブランドを教えてくれた」
「そうなんだ」
夏未はくすりと笑った。
「女性に慣れてる人みたいで助かったよ」
明人も小さく笑った。
やがて、その笑顔が消える。
「さすがに、不能のことまでは相談できなかったけど」
夏未は何も返さなかった。
◇
翌日。
明人は朝から工房へ出かけていた。
夏未がリビングで陽介の相手をしていると、自宅の電話が鳴った。
「はい、もしもし」
受話器の向こうからは、何も聞こえない。
「もしもし?」
数秒後、男の声がした。
『……俺だけど』
夏未の目が見開いた。
「カズさん?」
思わず声を落とす。
「どうして、こっちに……」
電話の相手は、夏未の浮気相手である和宏だった。
『ちょっと事情があって、携帯が使えないんだ。だから、こっちにかけた』
「うん、大丈夫」
夏未は玄関の方へ目を向けた。
『ちょっと、ゆっくり話したいんだけど』
「ごめんなさい。明人がいつ帰ってくるか分からないの」
夏未は受話器を強く握った。
「明日の一時頃なら大丈夫。その時間に、また電話してくれる?」
『……分かった。また、かけ――』
そこで、電話が切れた。
「カズさん?」
夏未はもう一度呼びかけた。
返事はない。
受話器をゆっくりと胸元へ引き寄せる。
「何があったのかしら……」
夏未は、切れた電話を不安そうに見つめていた。




