第6話 迷わずに行けよ、漢ならば
尾行されている──
荷物を片付けて手ぶらになったマキナは、後方約50メートルの柱に潜む影が、自らを追跡しているものと確信した。
衛星からの観測データを送ってほしいと支援AIに要求すると、一瞬のタイムラグがあってから『諜報員の可能性大』と報告がやってきた。
AIはさらに『どうする? 無人機を呼んで射殺する? 殺る? 殺っちゃう?』と提案してくる。
敵は単独、軽装備だと想定される。脅威度は低い、民間施設であることも踏まえ交戦は最小限に留め、軍の介入は回避するべきだと判断する。
「騒動を回避するため、平和的に対処します。手出しは無用なのです」
マキナが口に出して言うと、AIは『あらそう、マキナちゃんがそう言うならしょうがないわね。あーあ、面白くなーい』と言って静かになった。
隣を歩いていたタナちゃんが、首をひねってマキナを見上げた。
「どうしたのぉ?」
「かけっこをしましょう。ドンパチ賑やかになったら、全力で駆け出してください」
言い終わるやいなや、マキナは180度回頭し右腕を柱に向かって突き出した。
セーフティ解除、腕部催涙弾を使用、対象を撹乱、交戦は避け離脱を試みます。
マキナの前腕が蓋のように開き、格納されていた砲身が姿を現す。柱の根本に照準を合わせ、即座にペットボトル大の催涙弾を発射した。
すぽっという抜けるような音がして弾は飛んでいき、レンガタイルの床に転がった。
「うぉいマキ──」
柱からスーツを着た男が飛び出してきたその瞬間に催涙ガスが噴出され、一帯が雲のように白く染まった。
ダチョウのような男の悲鳴が響き渡る。
周辺を歩いていた買い物客が金切り声を上げて逃げ出していく。
顔面を抑えて転げ回る男の姿を確認したマキナは、すぐさま反転しタナちゃんの背中を追いかけた。
マキナ、マキナぁぁぁ、という自分を呼ぶ地獄の亡者のような声が聞こえてきたが、安全確保が最優先のために速度を緩めずに走り続けた。
「ここは危険なので離脱します。捕まっててください」
振り向いて両腕を突き上げながら跳ねていたタナちゃんの胴体を抱き寄せて、マキナは地面を踏み切った。
1秒で到達した上空50メートルの世界で「きゃああああすぅごぉいい」タナちゃんは、はしゃいでいる。
駐車場に繋がる幹線道路に赤いパトランプが連なり、サイレンが遠くで鳴り響いている。
「レンジャーよりも展開が早いのです、驚きました」
頭の中に声が聞こえてくる。
『念の為お姉ちゃんが通報しといてあげたの、うふふふ、さぞ面白いことに、ぐふっ、ふふふ』
ふっふふ、ひーっひひ、ギャハハと支援AIは身体もないのに笑い転げている。
「ありがとうございます……です?」
『あー、富士山! いつもよりきれー!』
いつでもそこにあるものを指さしてはしゃぐタナちゃん。
相変わらず爆笑している支援AI。
マキナは施設外目掛けて自由落下しつつ彼らの意図を考えてみたが、その短い間では演算が間に合わなかった。
自分はなんて感情的に無知なんだろう。どうやらこの状況は楽しいらしいのに、論理的な理由が見当たらない。
人間らしさは、やっぱり理解が難しい。
立体駐車場の隅に退避し、状況を整理する。
追手の反応はなく、軍事作戦やテロリズムの可能性は低い。脅威評価に変更なし。
警戒を維持しつつ通常モードに移行する。
「お巡りさんたくさんだぁ」
鉄骨の隙間から頭を出したタナちゃんは、目を輝かせながらパトカーの押し寄せた正門を見つめていた。
蟻一匹逃さないという姿勢で、施設を完全に封鎖してしまっている。
傍受した警察無線からは『男が暴れ出した』『舌を噛み切ろうとして、様子を伺っていたら逃げ出した』『確保したら拳銃と実弾の所持が判明した』など、緊迫した現場の状況が伝わってきた。
今は『殺せ』と叫んでいるらしい。
顎に指先を当てたタナちゃんが、振り返った。
「お買い物おしまぃ?」
「しばらく待機するです。下手に動かずここにいれば、野次馬の一般市民だと思ってくれるはず――」
量子暗号通信装置に受信。送信元は天草一郎。
「申しわ……ごめんなさいです、仕事仲間から呼び出しかもしれません」
「えぇぇ、もっと遊ぼうよぉ」
マキナはタナちゃんに物理的にまとわりつかれるが、そう悠長なことは言っていられない、なにせ受信したのは緊急メッセージだ。大きな問題が発生した可能性がある。
ウイルスやブービートラップでないことを確認してから、マキナはメッセージを開いた。
記されていたのは、ひらがな5文字。
『あほんだら』
マキナは思わず首を捻る。なんのつもりだろう、暗号だろうか。検証を開始しようとすると、正門に動きがあった。
ぞろぞろと制服警察官の大群が外に出てくる。
中心にいるのは、両手に手錠を嵌められたスーツの男。背中を丸めて、顔を伏せている。
しかしその姿には見覚えがあった。身体データ的にも一致する。胸ポケットのタバコの銘柄も一致する。
「一郎、なにしてるです?」
つぶやいて、マキナはもう一度首を捻った。
『早く助けに来い』と続けて送られてきたので、マキナは対応を考えざるを得なくなった。
パトカーはすでに去ってしまった。
とはいえ近隣の警察署までのルートは絞れるので、奪還作戦を実行するのは容易い。
しかしながら、正当な職務を遂行しただけである警察官を襲撃するのは倫理的にも法的にも避けるべきであり、実力行使ではなく軍部からの圧力による穏便な解決を図るべきである。
しかし第六独立遊撃中隊の政治的立場は極めて危うく不祥事として敵対勢力に利用されるおそれが──「あの犯罪者とおしりぁい?」
道路のど真ん中に立って去っていくパトカーを眺めていたマキナに、ぴょこぴょこと足音を立てて近寄ってきたタナちゃんがそんなことを言った。
「彼が仕事仲間なのです。難しい事態になりました」
「だったら助けに行こぉ。またバーンバビューンかっこいいとこみたぁい!」
「実力行使は不適当なのです。正式な手続きによる身柄の――」
「ばかやろぉっ!」
パチン、頬に衝撃、道路上に平手打ちの音が響く。
タナちゃんは口を結んでマキナを見上げ、そのマキナは攻撃による損害を評価していた。
「タナちゃん……?」
「仲間ぁ見捨てるなんてそれでも男かよぉっ!」
システムに異常はない。頬をさすってみるが、物理的な損傷も認められない。
防衛行動を、否、敵意は認められない。いわゆる愛のムチだと判断。スキンシップの一環だと想定される。
「マキナは男性とは定義されないと思うの、です、ですが、胸の内に正体不明の熱を感じています。見捨てるという言葉に、強く反応しています」
山岳地帯に向かって伸びる道路を見据える。もはやパトカーの姿はどこにもなく、天草がここにいたという証拠は残らない。
仮に不起訴になったとしても、極秘任務の概要が外部に露見してしまうのではないか。
そうなればコンビは解散。二人はバディではなくなり、天草は軍上層部からの制裁を受ける可能性が高い。
これは単なる誤認逮捕ではなく、キャリア形成ひいては人生そのもの岐路。
タナちゃんは拳を握りしめ、潤んだ瞳でマキナを見つめている。額に汗を浮かべ、その白い肌を紅潮させている。
マキナは言った。
「……迷わず行けよ、行けばわかるさ、と、ある詩人は言いました。先人の教えに従うべきなのではないかと、今、思っています。タナちゃん……マキナはどうしたらいいのでしょうか?」
タナちゃんは宙ぶらりんだったマキナの右手を、硬く握りしめた。
温度計では常人よりも低く出ているタナちゃんの体温が、どうしてか暖かく感じられた。
「行こう、大切な人なんでしょぉ」
タナちゃんの瞳を見つめ返す。自分でも気づかぬ内にマキナは「はい」と頷いていた。
手を離したタナちゃんは両手を上げてくるくる回りだす。わーい、わーいと一秒前の涙が嘘のように笑顔ではしゃぎまわっている。
その様子を見ながら、マキナは言った。
「では、さっそく少佐の承認をお願いするのです」
ホットラインにコールすると、少佐は0.3秒で受話器を取った。
『やあマキナ、どうしたんだい、無能な相方に粗相でもあったのかな?』
『はい少佐、天草が警察に連行されたのです』
『ふむ、そうか。気にすることはない、安心してショッピングを続けなさい』
「物資の調達任務は既に完了しました。天草の件について、大切なお話があるので今から帰投しますです、お時間よろしいでしょうか?」
『ああ、わかった。民間人の同行者がいるのなら、それも許可しよう。事故には気を付けてな』
『はい、ありがとうございます、です』
マキナはその場で深々と頭を下げた。
非効率的ではあるが致し方ない。対面なき上申など、不敬も甚だしいのだから。
今行くのです天草。そうやって胸の中で誓いつつ、マキナは基地方面に向かうバスの停留所を目指した。
なお、基地までは片道43分21秒の所要時間が見込まれる。




