3-1
「ゆめちゃん。ママに何か言いたいことはない? 我慢しなくていいのよ」
私のお母さんは優しい。それに、おそらく育児書に「子どもが言うことにきちんと耳を傾けましょう」などと書かれてあるのを目にして、実践しているのだ。だから、家にいるとき、しょっちゅうそう訊いてくる。
「別にないよ」
私がこのように返すたびに、とても残念そうな表情をして、ぽつりと言う。
「そう」
あと、私が本を読んでいる際にも曇った顔つきになる。どうして読書という行為がマイナスの感情を引き起こすのか、私にはわからない。暴力的な内容の書籍ならば納得できるけれども、歴史に関するものなどでまったく問題はないのに。本を読むことばかりしているから心配らしいのだが、それでなぜ不安になるのか、やはり私には理解不能だ。
「ゆめちゃん。ママに何か言いたいことはない? 我慢しなくていいのよ」
今日もまた、お母さんが私に尋ねてきた。
「別に……」
そう言いかけて、お母さんの表情が暗くなっていくのに気がついた。
「じゃ、じゃあ、わからないことがあるんだけど、訊いていい?」
私はとっさに思い浮かんだ質問を口にすることにした。
「ほんと? なあに?」
お母さんの顔がぱあっと晴れた。
「なんで左派はあまり政権を獲れないのかな?」
「え? さは?」
「うん。資本主義をやっていると、一部の大金持ちと多数の貧乏人という状態になるでしょ。絶対にそうと決まっているわけじゃないけれど、基本的に右派は格差を『あって当然だから』と容認する一方で、左派は貧しい人たちのために富裕層への課税を強化したりしてできる限り平等に近づけようとする。なら、選挙をやれば、人数で圧倒している貧乏人は自分たちを助けてくれる比重が大きい左派に票を投じるはずだから、資本主義を採用しているすべての国で左派が勝利して政権を担っていておかしくないのに、そうなってないよね? ちなみに、左派は中道左派、右派は中道右派まで含めてるんだけど、いったいどうしてなの?」
「…………ゆめちゃん」
「ん?」
「その答えは、また今度でいいかな?」
お母さんは今まで見たことがないくらいの真顔で言った。
「う、うん。いいよ、いつでも」
そしてお母さんは、魂がどこか遠くへ出ていってしまった抜け殻といった感じになって、トボトボと私のもとから去っていった。
あー、やっぱり素直に知りたいことを尋ねるんじゃなかったな。
前回のやりとりから数日が経過し、自宅のリビングで本を読んでいたら、お母さんが顔いっぱいの笑みを浮かべて私に話しかけてきた。
「ゆめちゃん。この前、ママに訊いたこと、教えてあげるわね」
「ほんと? やったー」
私は本当の気持ち以上に喜んでみせた。
「あ、その前に、最近このへんに、怪しい男の人がいるみたいだから、気をつけるのよ。そういう人を見かけたら、絶対に近づかないで、向こうにバレないようにしながら離れること。わかった?」
「はーい」
私は右手を真上に挙げて返事をした。
「じゃあ、なんで左派が選挙で勝てないかっていうとね、左派の人たちは総理大臣さんたちに文句や正しくないところを口にするばっかりで、自分たちならこうするってことをほとんどしゃべらないの。言うとしても、絶対にやれっこない、立派すぎる提案ばかりなのよ。それで、みんな、『あの人たちに任せても、どうせうまくできない』と思って、投票しないから、というわけなの」
……。
「んー、でも、それって、日本の場合じゃないの? 外国だと、左派が現実的な発言をして、極右政党のほうがよっぽど無茶な政策を掲げたりしてるのに、そっちにたくさん票が投じられるケースが少なくないよね? それはどうして?」
あ! いけない!
お母さんがお地蔵さんみたいに固まってしまった。
「……そ、その答えは、ま、また次のときでいいかな?」
お母さんはどうにか、そう声を発した。
「う、うんうん。いいよ、いつでも。ほんっとに全然急がないからね」
私は満面の笑みをつくって言葉を返したけれども、お母さんは今回も魂が抜けていってしまったような状態になって、ヨタヨタと私のもとから去っていった。
あー、今の説明で納得してあげればよかったのに、またやっちゃった。




