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あれは中学二年生のときだった。男子生徒が一人、転校によって新たに、俺が籍を置いているクラスに加わった。
彼は開けっ広げな性格で、クラスメイトたちの俺に対する態度がどうも優しくないことを察知すると、まだなじんでいるというほど転入してから時間が経っていないにもかかわらず、先生はいないけれども生徒は全員が教室に揃っているタイミングで、このように発言したのだ。
「思ったんだけどさ、なんかみんな、吉岡くんに冷たくない? いじめや仲間外れは善くないよ」
そう、俺の本当の名は吉岡。フルネームは吉岡幸司だ。
すると、その言葉に反応して、別の男子から声が飛んできた。
「そりゃあ、勘違いってもんだぞ。俺たちは仲良くしようとしてるのに、あいつのほうがみんなにきつく接するんだ」
この言い分は、半分は正しいといっていい。確かに俺の振る舞いは好ましいとはとても表現できるものではなかった。
だが反面、俺もクラスの面々とできる限り良い関係でいようと努力していたのに、ちょっかいを出す感じでやたらしつこく絡んで、わざと俺がキレるように持っていっていたなんてことも日常茶飯事だったのだ。
ともかく、クラスの大勢は俺のほうに落ち度があるという雰囲気が形成されていたなか、突然、日頃はおとなしくて、求められなければ意見を口にしたりなどしない、平瀬さんが声を発したのだ。
「あ……あの!」
何だ? と、予想外のところからの発言で、一斉に彼女に視線が注がれた。
「わ、私は、吉岡くんがそんなに悪い人だとは思いません」
「はあ?」「なに、見当違いなことを言ってるんだ?」といった疑問や不満な空気になったというのに、彼女は続けた。
「みんなのことを悪く思ってはいないと感じます。仲良くしようとまではしていなくても、争い事を避ける意識はあるように思います」
すると、一人の女子がすこぶる意地の悪い口調でしゃべった。
「なに、かばっちゃって。もしかして吉岡のことが好きなんじゃないの? まあ、二人とも顔は悪くないし、すぐにキレるキレオくんと、めっちゃ暗いクラコちゃんの、扱いづらさがハンパない者同士でもあって、お似合いなんじゃない?」
生徒みんな同感といった様子で、あちこちからクスクスと笑いが起きた。
俺はカッとなって、つい平瀬さんに文句を垂れた。
「余計なことを言って火に油を注いで、バカじゃねえか」
軽くはっとなった彼女は、小声で言った。
「ごめんなさい……」
そして、うつむいて口を閉ざした。
その出来事から、数年が経過した。高校生になった俺は、あるとき校内で、気さくな養護の先生にこう話しかけられた。
「あなた、姿勢が悪いわねえ。ちょっといい?」
彼女は、後ろから俺の首を、軽く揉むようにして触った。
「痛っ」
俺は思わず声を出した。
「やっぱり。ねえ、きみ、年中スマートフォンをいじってるんじゃない?」
「え? いえ、そんなに使用していません」
それは、けしからんと厳しく注意されたりするのだろうと考えてついた嘘ではなく、正直な返答だ。
「本当に?」
「はい」
「背が高いほうだから、よく頭を低くするだろうし、その影響かしら。何にしても、前傾姿勢になる回数が多くない?」
「……まあ、読書はよくしますけど」
俺の趣味は読書で、小説も読むが、いろいろなジャンルのものを手に取る。おかげでか、勉強の成績は幼い頃からずっと良かった。
「それだ」
先生は、合点がいったという表情になった。
「あのね、そうやって本を読むのやスマートフォンの画面を見るので前かがみになる時間が長いと、『スマホ首』や『ストレートネック』って言われるんだけど、首に負担がかかって、凝り固まってね、首自体が痛くなるだけじゃ済まないで、自律神経のバランスが乱れることで、疲れやすくなったり、イライラしたり、体に不調が起きやすくなるの。心当たりはない?」
「え……」
その話に俺は、長年追究しながら解けなかった謎の答えが何の前触れもなく眼前に現れたかのような、大きな衝撃を受けた。今もそんなに歳をとっているわけではないけれども、未成年でとりわけ若かったので、書物からさまざまな分野の知識を得ていても、興味が薄くて健康に関しては疎かったのだ。
「あ、あります! とても!」
俺は、嫌なことがあったり、日によっては特に何もないときでさえも、イライラしやすく、我慢しようと意識しても難しくて、他人に対し機嫌の悪い振る舞いをしてしまう機会が多かった。
しかしそれは善くないと思っていたし、トラブルを避けるためにも、学校では他の生徒との接触を最小限にとどめるように心掛けた結果、みんなからそっけない奴と見なされ、ときどきは良くない態度を出してしまうこともあったために、男子女子関係なく、みんなから嫌われていた。
「なに、あいつ」
「頭いいから、俺たちを見下してるんじゃねえの?」
「チョーウザい」
「お前よぉ、調子乗ってんじゃねえぞ」
自宅でも同じようにイラつくのを抑えるべきだという気持ちでいたが、さすがに家族にはもっと頻繁にひどい振る舞いをしてしまい、ある程度成長した時期からずっと、冷たく突き放された扱いを受けてきた。
「お前、何なんだ? その態度は。いっつもいっつも」
「あんたみたいな子、産むんじゃなかったかしらね」
「幸司、最悪ー」
自業自得とはいえ、きつい言葉を学校でも家でも散々口にされ、心はボロボロで、どこにも居場所はなかった。
てっきり俺は、周りの人間たちもほとんどがそう考えていたに違いない、自分は気が短い性格なんだと思い込んでいたけれども、実はその首の悪い状態による体調不良が原因だったのだ。
首は、病院で診てもらったところ、手術や服薬といった本格的な治療は必要ではなく、姿勢を正して猫背にならないように気をつけるのを継続するだけで良いとのことだった。それにプラス、自律神経を安定させるために自分で勉強して、首を温めたりカモミールティーを摂取するなどした結果、回復していったのだが、世界が変わったというほど体調は改善した。
血流が良くなったのだろうけれどもエナジードリンクを体内に注入されたとでもいう感じで活力がわいてきて、目はすっきりして視力が〇・五くらいアップした感覚になり、便秘気味だったお通じもすごく良くなり、握力が平均値よりもずいぶん低かったのも改善したし、肝心のすぐにイラついてしまう状態は皆無となった。
そんな俺の頭の中に、わき上がってくるものがあった。中学生時代に平瀬さんがクラスメイトたちに訴えたあの場面だ。イライラしながらも、内心は他人とできる限り良好な関係を築こうという意思があり、努力していた俺のことを、身内も含めて唯一わかってくれていて、かばいまでしてくれたのである。
なのに、お似合いだとからかわれた恥ずかしさでカッとなって、俺は汚い言葉をぶつけてしまった。
会って、謝りたい。そして、お礼を言いたい。
そのように思う感情が高まり、知らなかった平瀬さんの通っている高校がどこかを調べ、ある日、自分の学校は早退して、赴いたのだった。
いた——。
少し探して、彼女を見つけた。
「あの」
放課後に、カバンを持っていたので帰宅するところだったのだろう、校舎から出てきた平瀬さんに、俺は近づいて声をかけた。
「中学のとき一緒のクラスだった吉岡だけど、覚えてる……よね? そんなに経ってないから」
それに対し、彼女はいい顔をしなかった。
「覚えてますけど、何ですか?」
露骨とまではいかないものの、そんな姿は初めて見た、トゲがある言い方で、問い返したのだ。
ただ、いきなり目の前に登場した、別に仲が良かったわけでもない、それも異性の、元クラスメイトに、どういう用件か思い当たることがまったくないしと、戸惑っていただけかもしれない。そうあってほしいという願望を胸に秘めながら、俺は心を落ち着かせて、やってきた理由を説明した。
「同じクラスだった当時、教室で俺がみんなから態度の悪さを責められる状態になったとき、かばってくれたよね。それなのに、余計なことをするなって、罵倒するような言い方で返しちゃって。だから、今さらだけれど、反省して、謝罪しにきたんだ。ごめん。ひどかったよね? 俺」
俺は、なんとか機嫌を良くしてくれるようにと、精一杯愛想よくしゃべったが、彼女の雰囲気に変化は訪れなかった。
「本当ですよ。かわいそうに思って、勇気を振りしぼって言ったのに。もうあなたの顔も見たくないので、今後一切、私の前に現れないでもらえますか?」
……。
「わかった……」
「そんなの嫌だ。お願いだから許してほしい」というのが本音だったけれども、受け入れてもらえる様子がなく、口にはできなかった。
そして、平瀬さんは立ち去っていった。
俺はがっくりと気持ちが落ち込んだ。
しかし、普段本当に口数が少なかったうえに、あの場面で俺を擁護してもうまくいく見込みはなく、勇気を振りしぼったというのは大げさな表現ではないに違いない。彼女の怒りがこもった返事はもっともだ。
許してもらえないのならば仕方がない。だけど、せめてわずかでも恩返しがしたい。
そう思い、何ができるかを考えた俺は、平瀬さんが同級生の数人の女子たちから悪口を言われていた左派政治家の母親を助けるのと同時に、彼女自身も願っていた、世の中の平和に寄与する行動を起こすことにした。
平瀬さんが平和を願っていたというのは、例えば生徒全般に好かれていなかった先生をクラスの奴らが馬鹿にしているそばで寂しげな表情をしていたり、廊下で何か困っている様子でいた下級生に声をかけてあげたりなど、実際に本人の言葉では聞かなくても、日常の行動の端々から、そうであると感じられたのだ。だからこそ、みんなから責められた俺のことも、何の得にもならないというのに、かばってくれたはずだ。
顔も見たくないと言われたし、密かにやるつもりだが、それでも鉢合わせしてしまったりするかもしれないので、絶対に気づかれないように、以前の容姿とは百八十度違う顔のつくりへと整形手術を施した。ほとんどの人に気味悪がられて不便なときが大半な反面、この容姿のおかげで助かるケースもあったけれども、どちらもそうなるのを狙ったわけではないのである。
加えて、名前も、近くにいると何かの弾みで彼女の耳に入ってしまうおそれがあるために、偽名を使うことにしたし、必要があったときが多かったのもあるが、自分を本来の「俺」ではなく「私」と呼び、話し方も実際よりも丁寧にしたのだった。




