11-3
俺にはもう、生きている意味は微塵もない。
何日だとかはさっぱりわからないが、とにかくしばらくの間、街なかを当てもなく歩き続けた。
死ぬか——。
そう頭に浮かんだときもあった。
しかし、俺の中に引っかかっていることがあり、それが徐々に膨れあがっていって、自覚できる域に達したのだった。
貝塚さんに口にした中身は本心で、一緒だったみんなが今までの行動を継続していけば、俺なんかいなくても十分に、目的である日本を平和で弱者に優しい社会にするところまで、だいぶ近づくことができると思う。
ただ、それでも戦争をするといった事態になってしまう危険は消えずにつきまとう。隣り合わせと言って良いくらいで、あっという間に世間の空気が変わって、悪い状態に陥る可能性はあるのだ。
俺を脅した連中のような人間は一部であって、右側の勢力イコール悪ではない。自国に関するものや伝統を大事にするのは素晴らしくもあり、かたや、過去の共産主義国家の歴史などを見れば明らかなように、右か左かではなく、タカ派かハト派か、つまり自身とは違う考え方の相手に暴力的か寛容的かのほうが重要だ。
けれども現状においては、左翼による危険は相当に少ない一方、世界的に起こっている右傾化から、国家主義に何かしらの対応は必要だろう。また、極右と極左は通じるところがあって、極右に有効な対策は、極左にもおそらく有効なはずである。
問題は、そうした極端で過激な思想の団体をどうするかということではない。いかに大勢の人々がハマらないようにするかだ。
かといって、嫌悪感を抱くようにするのは、逆効果になるかもしれない。ドイツではナチスの罪をしっかりと教えているようだが、ナチスを毛嫌いする方向に持っていけばいくほど、ネオナチは一般社会に対して壁をつくり、同時に、一般社会に適応できなかったり弾かれた者たちはそこを居場所として向かっていってしまう。
さらに、社会主義が事実上崩壊して、資本主義一本槍の世の中となり、格差がどんどん広がっていって、苦しい状況に追いやられる人数も増えていき、その流れに拍車がかかっているのだろう。
ゆえに、貝塚さんが上手くそうなる方向へ導いていったにしても、俺が極右の幹部と親しげにしていたことを理由に、裏切りだと追放した元のメンバーたちの態度は、好ましくないのだ。
なので、どうすれば右傾化を防げるか、そこのところを追求する。それが俺に与えられた最後の役目かもしれない。
もし到達することができたならば、要するに平和を、実現するにとどまらず、安定化させるカギを手に入れたわけであり、真に彼女の役に立て、もう何も思い残すことなくこの世に別れを告げられる——
!
ずっと思考を巡らせていたところから、ふと前を見ると、正面から彼女、平瀬知子さんがこちらに歩を進めてきていた。




