10
私、平瀬知子は、一人っ子であり、幼い頃から両親はともに仕事で忙しくて一緒にいられない時間が大半だった。
とろい私は、保育園などで、他のコたちについていけず、取り残されてしまうのが常だった。
子どもの間でのその状態は、成長してもほとんど変わらなかった。学校でいつも独りの私を、おそらく哀れに思って、声をかけてくれるクラスメイトも時折現れた。しかし、彼、彼女たちも、私があまりに面白みのない人間で、一緒にいるのがつらくて、耐えられなくなるのだろう、つかさというコのみ例外で、しばらくすると離れていくのだった。問題は私にあるのだから、その人たちは悪くはまったくない。
また、父と母が、私が小学校の低学年の時期に離婚した。母に引き取られ、私の家族は彼女だけになった。
簡単にまとめるとこれくらいで、人さまからは薄っぺらだと評価されることがしょっちゅうの、今までの人生だったけれども、不満はなかった。私は病気も障害も抱えておらず健康であり、かつ、暮らしている日本は平和で、毎日満足な量のご飯を食べられている。それはとてもありがたいことだからだ。
ただ——あれは中学生のときだ。同じクラスの数人の女のコたちが、私の母が政治家であり、加えて無所属の議員であり、左派の会派に属していることに対して、これでもかというくらいに激しく悪口を言い続けたのである。
「政治家は、全っ然、国民の役に立ってないんだから。税金泥棒だよー」
「だいたい、無所属の議員って何なの? いる意味なくない?」
「パヨクってさ、正義の味方ぶって批判をするだけで、自分たちは何もしないんだから、ろくでもないよねー」
けなされる頻度があまりに多くて苦痛だったのと、自分の反抗期が重なったのもあったのだろう、普段はろくに口を開かない私だというのに、母に向かって、言われた悪口のほぼそのままを文句としてぶつけたのだ。
「どうして政治家になんかなったの?」
「無所属の議員なんて意味ないじゃない」
「左派は反対や批判しかしないよね?」
——といった調子で。
それに対して母は、いつもと変わらない堂々とした態度ながらも、心の内は動揺しているのが感じられつつ、次のように返答をした。
「良くないところがあるのは認めるけれど、政治家は必要な仕事で、誰かがやらなければならないのよ」
「批判や理想ばかりになってしまう面もあるけど、それでも右派よりも左派のほうが平和な世の中や人々の助けに貢献できると私は考えているの」
「かつてはリベラルな政党にいたときもあったけれども、大きな組織になると権力者的な考え方や振る舞いになっていってしまう現実を目の当たりにして、無所属で活動することに決めたのよ」
「全然駄目だと言われたら反論はできないけれど、平和な世界の実現や、弱い立場の人たちを救うことを、諦めるわけにはいかないじゃない」
私は母を責めたことを反省した。私はどんなことがあっても政治家にはならないと思うが、もしもやるとしたら同じような選択や行動をするに違いない。なので彼女の言い分がしっくりきたし、そもそも母はずっと一生懸命仕事をしてきて、批判されるべき人ではないとわかっていた。そして何より、悪口を言うコたちは、親がイメージが悪くてけなしやすい政治家である点を利用しているのであって、本当は私が気に入らないだけの確率が高いことも理解していたのだ。
その後は一度も母に、政治家をやっていることに関してネガティブな言葉を口にしていない。
それは、母は悪くないのに加えて、今さら職業を変えるのは無理だし、降りかかってくる嫌なことを解消する力など私にはないだとか、私の人生なんて苦痛に満ちていてどうにもならないものなのだといった、諦念ではない。
くり返しになるけれども、健康で平和で毎日ご飯を食べられているだけで十分ありがたいからだ。
あと、とてもつまらなく劣った人間だというのに、私にはつかさという友人までいるのである。
幸せだと満足しなければ罰が当たるだろう。




