8-1
「ここか」
私は、夫の運転するワゴン車から降り、ようやく見つけだしたそのマンションの前に立って、つぶやいた。
「じゃあ、行ってくるわ」
運転席の夫に、そう告げた。
「本当に大丈夫か?」
「ええ。私一人のほうがいいと思うしね」
そして、建物内に足を踏み入れ、オートロックなので閉ざされた入口から部屋番号を入力して、チャイムを押した。
「はい」
返ってきた声は、若そうな男性だった。
「すみません。私、衆議院の議員を務めております、南雲美登里と申します。角田さまとぜひお話をさせていただきたく、参りました。突然の訪問、大変申し訳ございません。お願いを聞いてくださいませんでしょうか?」
「少々お待ちください」
「はい」
少々という答えの通りの短い間の後で、同じ男の人から返事があった。
「どうぞ」
ドアがスライドし、私は中へ入った。
「フー」
第一関門、突破ね。
歩いて、目当ての部屋の前にたどりつき、インターホンを押して到着したことを伝えると、すぐに扉が開き、今までやりとりした相手じゃないだろうか、二十代と思われる男性が姿を見せた。
「お上がりください」
真面目な好青年といった印象の彼は述べた。
「ありがとうございます」
おじぎをしてから、私は奥へ進む男性についていった。
ひゃっ!
廊下を通過して、たどりついたリビングで、私は思わず叫びそうになってしまった。重々承知であり、そうした失礼になる振る舞いはしまいと気をつける意識を強く持っていたというのに、待ち構えていた角田氏のヘビが乗り移ったかのような顔に対する恐怖が理性を上回ったのである。とはいっても、どうにか堪えて声は出さなかったが。
「代議士の先生にわざわざ足を運んでいただいて恐縮です。私が角田です」
起立していた彼は、深く頭を下げた。実に礼儀正しい態度だ。容姿とのギャップが非常に大きく、戸惑ってしまう。
「あ……はい。存じております。改めまして、いきなりの訪問、大変申し訳ございませんでした」
私は、動揺が収まらないながらも、なんとかそのように言葉を発した。
「いえいえ、国会議員の仕事はお忙しいでしょうし、構いませんよ。どうぞおかけになってください」
角田氏は眼前に置かれたソファーを指し示した。
「僕は席を外したほうが良いでしょうか?」
私に応対した若い男性のほうが、角田氏に問いかけた。
「そうですね、私と話をされたいということですから。何かあったときは呼びますので、その際はお願いします」
「わかりました」
そして、若者は部屋を退出していった。
「では、どういったご用件でしょうか?」
お互いにソファーに腰を下ろし、角田氏は向かい合っている私に尋ねた。
やはり気味の悪さがこの上ない、彼の顔立ちによる心の不安定さを懸命にコントロールしつつ、私は返答を口にした。
「気づいていない人も大勢いるでしょうけれども、日本のあちらこちらで変化が起きていますね? 『共助の精神の高まり』という表現がふさわしいように思います。私はそれを察知し、調査したところ、いずれもあなたにつながっていることを突きとめました。すべてを把握しきってはおりませんが、それらは角田さまがなさっている行動による結果であるのは間違いないですね。実に素晴らしい。私が所属しております、日本リベラル党が目指す社会の方向性と完全に一致しています」
私は軽くせき払いをして、続けた。
「当然ご存じでしょうけれども、近年、国際社会も日本国内も右傾化が顕著です。日本リベラル党も先の選挙で議席を相当数減らしました。ただ、我が党が困っているからなどではなく、危うい状況に向かいつつある世の中のために、ぜひ角田さまの力をお貸かりしたい。そういう願望を抱いて参りました」
「そうですか」
目の前の彼は、変わらぬ落ち着いた様子である。
「リベラル派を含めた左寄りの政治家が有権者、いえ、選挙権を持ってない層も加えたすべての方の助けになれるように、具体的にどうしたらよいとお考えでしょうか? ぜひ遠慮なくおっしゃってください。決して支持率や選挙の得票が欲しいわけではございません。角田さまがなされているのと同様に、世間に気づかれず、評価や感謝をされなくてもまったく構わないのです。とはいっても、このままでは議会は保守派の占める割合が増していくばかりで、それも見過ごすことはできないのですが。ともかく、私個人や日本リベラル党の利益が目的ではなく、とりわけ弱い立場の人々のためや、さまざま問題を抱える世の中を良い方向へ持っていけるように、知恵を授けてくださいませ」
私は今一度頭を下げた。
角田氏は、ずっと笑っているような顔の表情でわかりにくいが、何かを考えている雰囲気で、しばし沈黙した。
「一点、質問させていただいてよろしいでしょうか?」
少しして、そう口を開いた。
「はい、何でも訊いてください」
「本当に、本気で、世の中を平和にする気持ちがおありなのですか?」
え?
「もちろんです! 左派は文句を言うだけ、反対をするだけ、とよく批判され、そういう議員も存在することは否定しませんけれども、私はこの世に存在する一人ひとり、そして世界や日本の平和のために、本気で活動しております。であるからこそ、私自身や党の点数稼ぎにはわずかもならない、角田さまのご意見を頂戴にうかがうという、このたびの行動を起こしたのではありませんか!」
私の覚悟を問うたわけであり、失礼だったのではないが、思わず興奮して私はそう言葉を返した。
「なるほど」
彼は軽くうなずいた。
「わかりました」
すると、角田氏の笑顔が大きくなった。
これは良かったと捉えて大丈夫かしら? だったらいいけれど。
それにしても、彼の容姿に慣れることはなかなかできないわ。




