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裏回し  作者: 柿井優嬉


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2/29

2-1

 僕はその男の愚かな行為を止める覚悟をした。場合によっては、そいつを殺害することになるかもしれない。

 そこまで考えるほど、簡単には済まないに違いないのだ。なにしろ、恐ろしく気味が悪く、悪人でないはずはない、まるでヘビのような顔をした奴なのだから。

 しかし、まさかこの僕が殺人を犯し得る状況になるとはな……。まあ、こうなってしまった以上は、仕方がない。

 僕の自宅の最寄り駅の近くで、通りを歩く、一人の女性をよく見かけた。大抵がレディースのスーツを着用しており、おそらく通勤で鉄道を利用していて、その行きや帰りの道中なのだろう。年齢は三十歳前後と思われる。

 地味を絵に描いたような人だ。しかし、顔立ちは整っており、美人と評して差しつかえない。ただ、綺麗といっても「よく見ると」であって、芸能人みたいな華やかさはなく、誰か異性を伴っているところを目にしたときが一度としてないことからも、何人もの男に言い寄られたり、しょっちゅう交際したりはしておらず、イメージ通りの素朴な生活を送っている可能性が高い。

 私服をまとっている場面にも出くわしたことがあるけれども、とにかく身につけているものや色合いなど、どこを切り取ってもおしゃれの要素がほとんどなく、変身する前のシンデレラといった感じなのだ。しかも、「自分は日の当たる場所にいるべき人間ではないので、もしもシンデレラと同じように輝かしい未来が迎えにこようものなら、断固として拒否します」というスタンスで生きている印象さえ受ける。謙虚で真面目な性格であるのは堅いだろう。

 その彼女の背後に、あるとき、あの不気味な男の姿を発見したのだ。

 普通に短く切り揃った髪や、ネクタイはしていないけれどもきちんとしたスーツを着ているなど、格好は特段問題のない社会人を連想させるが、顔のインパクトといったらそれはそれは強烈で、この世のものとは思えないレベルだ。なのに騒ぎになったりしないのは、きっと僕のように偶然目にした人の多くが、祟りがあるといった災いが自分や相手に降りかかる想像が膨らんだりして、誰かに話すのすら躊躇してしまい、黙ってやり過ごしているからに違いない。

 そいつを見て、僕は瞬時に脳裏に浮かんだ。いかにもではないものの、女性に覚られないようにしながら、気にして目をやっている雰囲気があって、「彼女のストーカーではないのか?」と。

 それから後の、別の日に男を目撃した際も、彼女がそばにいるときで、しかも二人の構図は映像をリプレイしたかのように前回とまったく一緒であり、初めにわき上がった予感が当たっている確率は高まった。

 だが、警察に訴えても無下にされるのがオチだ。ストーカーである証拠は何一つないのだから。かといって、証明するものを手に入れようとのんびり構えていたら、彼女の身に危険が及ぶ手遅れな事態になりかねない。

 そういうわけで、もし同じ立ち位置の両者を目にする三回目があったときは、僕が奴を止めることにしたのである。どこからどう見てもまともな一般人ではないあの男だ。一筋縄ではいかず、殺してしまう結果にたとえなろうとも。

「なぜ見ず知らずの女性のためにそこまでやるんだ?」といった声がどこかから聞こえてきそうだ。きっと勘繰る人がいるであろう通り、僕が彼女に好意を抱いていることを否定はしない。

 とはいっても、深い仲になりたいなどとは思っていない。僕の歳は四十代の半ばであり、向こうはこんなおじさんなんて恋人にする範疇に含まれていないだろう。それで僕も結構だ。

 では、どうして? と再度疑問をぶつけられそう……おっと、彼女だ。述べたように、女性の危険はもう差し迫っているおそれがあるので、ここのところ、日頃よく彼女を見るのに加え、以前にあの男のほうも同時に目にした地点にやってきており、今日はその三日目にあたるのである。

 彼女の背後にあいつは……いた! いやがった。相変わらず気味が悪いといったらありゃしない。

 現在、歩いている女性の十メートルほど後方に、奴は何気ない様子でたたずんでおり、その斜め後ろの、男の視界から外れた場所に僕は立っている。

 ストーカー行為を阻止する決意は固めたものの、簡単に成功できるなら、日本のあちこちでストーカーによるトラブルが発生して、警察が手を焼く状態にはなっていないわけで、男にどう接触するのが良いか、僕は頭を悩ませた。

「僕が思いを寄せている相手だ」あるいは「僕とあのコは付き合っている」から「手を出すんじゃないぞ」と忠告するようなやり方は、こっちに敵意を向けさせられても、彼女の危険の低下にはつながらないだろう。

 また、彼女の身内や友人といった立場になりすまして、同じように警告しても、やはり効き目はないばかりか、負の感情を刺激して、もっと危なくなってしまう可能性さえある。詳しくはないが、ストーカーが、目当ての女性の家族も、女性本人も、両方に危害を加える事件が、それも何度も、起きている記憶がある。

 そこで思いついたのは、何も口にせずに攻撃するという方法だ。するとあの男は、当然自分の身を守る意識が高くなるのに加え、訳がわからないために「どういうことだ?」とか「こいつは誰なんだ?」などと思考を巡らせるので、ひとまず彼女の存在を頭から消すことができるはずだ。さらに、向こうの出方で、どの程度の強さなのかや人間性なんかがつかめるに違いない。ストーカーである確証を得られるかもしれないし、けれども警察に相談しても良い方向に進まなそうな相手だとの判断に至ったら命懸けでの戦闘を開始したりと、先の展開が見えてくる。

 いきなり重傷を負わせるくらいの暴行を振るうのはさすがにまずいだろう。万が一ストーカーでなかったらという場合はもちろんのこと、にらんだ通りストーカーでもケガをさせたら僕は逮捕されて、邪魔者がいなくなるなか再び奴は彼女に向かっていってしまう。とはいえ、簡単にかわせるあまりに弱い力では、こちらの身が危うくなる。僕は、格闘技の経験があるなど、特別強くはないのだから。

 ゆえに、顔面に本気のパンチを一発お見舞いする勢いで行き、寸前でわざと空振りすることにした。怯んだりと、驚きですぐに反撃とはなりにくいだろう。あいつは無傷なので、それもリスクはあるけれども、かかってきたら死に物狂いで戦うのみだ。こう決めて、ヘビ顔の男に近寄っていった。

 ここは、駅のそばといっても、まだけっこう離れたエリアなために、そんなには人の数は多くなく、邪魔にはならない。反対に少なすぎてもいないので、僕の存在が目立たずに済み、ちょうど良い。

 あいつと距離がある段階では気づかれないようにゆっくりと向かい、攻撃するときに勢いをつける目的で徐々にスピードを上げた。

 足音でわかったのだろう、間近まで迫り、奴が僕のほうへ顔を動かした。

「何だっ、お前は!」

 なっ!

 突如、目の前に現れた、ヘビ男とは別の男性に遮られ、僕の計画は阻まれた。

「ぐっ!」

 僕は、その邪魔をした人に倒されて、地面に押さえつけられた。

「何なんだ? あんたはっ」

 男性は、刑事が暴れる犯人を取り押さえるときのように、僕の腕を背中側に回して固定し、僕に乗っかる体勢で問いかけた。

 どういうことだ? この人は、見た感じ三十代だろうか、すごく真面目そうで、ヘビみたいな容姿の男の仲間にはとても思えない。しかし、通行人によるとっさの行動にしては、奴をガードする対処として非の打ち所がなさすぎる。

 とすると、フォーマルに近いジャケット姿だし、本当に刑事で、あいつがストーカーをしている情報を入手して監視していたところに、僕が突進してきたから、たまたま防いだ、ということか?

 だとしたら、この人に任せておけば良かったか……。

「あ、角田さん」

 僕を押さえている男性がそう言葉を発した。

 僕は、顔が地面の方向にあったのを、なんとか視線を上に持っていくと、誰かが近づいてくるのが目に入った。

 ヘビ顔の男だ!

「いったい何なのでしょう? この方は」

 ヘビ男が男性に問いかけた。

「わかりません。角田さんも知らないのですか?」

「はい」

 角田という名前らしいヘビ男は、首を縦に振った。

 二人は知った間柄みたいだな。くそ、いったいどういうことなんだ? やっぱり仲間なのか?

 あるいは、そうか、この男性はヘビ男が雇っているボディガードといった立場かもしれない。

「どうしましょうか?」

 男性がヘビ男に訊いた。

「…………」

 ヘビ男は、ずっと変わらない気色の悪いニタニタ顔ではっきりはわからないが、僕をどうするか考えているようだ。

 もしかして、殺されるのか?

「そうですねえ」

 男はあごに手をやった。

「すみません、この方を部屋に連れてきていただけますか?」

 え!

「わかりました」

 男性はしっかりとうなずいた。

 ヘビ男の部屋だと……本当に僕の命は終わりかもしれないな。


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