5-2
今、私は、仕事の帰りで、靖恵の部屋へ向かって外を歩いている。当初は休みの日にお邪魔しようかと思ったが、都合でそうなったのだ。
「ん?」
靖恵が住むマンションが迫ったところで、前方の道路からその建物を眺めている人がいることに気がついた。
ひゃっ!
マンションに視線を注いでいた男性がこちらに移動してくるので、はっきり見えなかった顔が私の正面になったのだけれども、まるでヘビのような恐ろしい容姿で、悲鳴を上げそうになってしまった。
怯えると、それを目にして何かされるかもと思い、必死で平静を装った。
そして、なんとか無事に、男は私とすれ違って去っていった。
「フー」
焦ったー。
でも、待ってよ。あの怪しすぎる男が見ていたのって、靖恵がいる部屋の辺りじゃなかった?
マンションはオートロックではなく、不安になった私は急ぎ足で靖恵が暮らしている三〇五号室に直行して、チャイムを押した。
「はい」
「私っ。つかさ!」
そう告げると、すぐに靖恵が出てきた。
「どうしたの? 返事の声も慌てた感じだったし、汗かいてるけど」
少し驚いた表情で彼女は言った。
「たった今、下の道に、ヘビみたいな顔の気持ちが悪い男がいてさ。このマンションを眺めてたんだよ。大丈夫かな?」
「……ああ。どうぞ」
靖恵はまったく意に介することなく、私を中へ招いた。
「ねえ、聞いてんの? 絶対にやばい人だよ。もしあんたのストーカーとかだったらどうするの?」
「違う、違う」
そりゃあ、何の確証もなく、可能性は高くないけどさ。
「でも……」
「平気だから、早く上がりなよ」
もー。こんなにこっちが心配してるのに、顔色一つ変えないで。
まあ、元々臆病って性格じゃないし、だから女の一人暮らしなのにオートロックじゃないところに住んでるんだろうけど、楽観的すぎるのも考えものだよ。
それでも、ひとまずその件は置いておいて、私は靖恵が先に行った部屋の奥のほうへと続いた。
「これだよ」
靖恵は、足を踏み入れた個室のテーブルの上にあるノートパソコンを指して、そう口にした。
「え?」
私が漏らした疑問の声に、彼女はその画面を見せながら答えた。
「いろんなウェブサイト」
どこの何のかははっきりしないが、ホームページが映っている。
「は? なに、ネットサーフィンをやってるってこと?」
「まあ、閲覧だけしてるわけじゃないけどね」
んん?
「どういうことなの? ちゃんと説明してよ」
「そうねえ……人気のレストランや、すごく腕のいい治療院なんかで、数年先まで予約が埋まっているなんてことがあるじゃない?」
「うん」
「それって、すごいけれど、どうかなとも思わない? だって、そんな先の予約、当日に何があるかまったく読めないじゃん。早い段階ならまだしも、長いこと待ったのに無理ってなったらショックでしょ?」
「まあね」
「だからさ、素晴らしい技術は一人のものにしないで、できるだけ教え広めて、同じように扱える人を増やして、たくさんの人が恩恵を受けられるようにすべきなんだよ。私がやっているのは簡単に言うとそういうことでね、例えば、学校でのいじめを防止するのに、とある先生が講じた対策が成果をあげているという情報を見つけたら、他の学校や教員たちに教えてあげるの。つまり、問題の解決法といったものを探して、同様の困り事を抱えているところに伝達するのを行っているってわけ」
……。
「わかった?」
「え? 待って。本当にそれ? それだけなの?」
このコの性格が明るくなった、それが理由?
「そうだよ」
えー?
「だったら、どうしてわざわざ私を家に呼んだりしたのよ? 訊いたとき、言えば済んだ話じゃない」
「言って、納得した? 見てよ、この部屋。男っ気なんてまったくないでしょ? 恋人なんていないのを証明するためだよ。あと、そのことに関する資料やデータもあるから、興味があったらどうぞ」
靖恵は棚にあった紙の束を手に取って見せた。
確かにここは恋愛をしている女の部屋という印象はまるでないけれども……全然納得できない。
「あんた、何か隠してるんじゃないの? そうだ、最初にあれだけ私が気味の悪い男がマンションを見てたって騒いだのに、少しも反応がなくて、おかしいと思ったんだ。話そうとした本当の内容が、あの男に何かされたせいで、しゃべるわけにいかなくなっただとか。とにかくおかしい。噓を言ってるんでしょ?」
「嘘は言ってないよ」
靖恵はとても真剣な表情で返した。
「だって……」
「うちのマンションに目をやっていた人は、角田さんで間違いないと思う」
「え? 知り合いなの?」
あの、顔を見ただけで恐怖が全身を覆い尽くしてしまう男と?
「そう。今、説明した、この件で」
……。
「まあ、つかさが、言ったことを信じてくれないのもわかるよ。私は他人のために何かをするような人間じゃないもんね?」
「まさに」と言葉にしづらいが、私が知る限り、本当にそうではある。
「じゃあ、もっと理解できるように、詳しく話してあげるよ。その前にお茶を淹れてくるから、座って待ってて」
「……うん」
そして靖恵はキッチンへ移動した。
自分で述べたように、靖恵は人に親切にするタイプでは、とりわけ学生時代はなかった。その靖恵といい、知子といい、他に友達はいないのではないかとみんなに思われる相手と仲良くするので、私はよく「あんたは母性本能が強いのね」と言われる。母性本能という表現が合っているかはわからないものの、彼女たちのような人間を放っておけない気持ちになるのは事実である。
「おまたせ」
靖恵が二人分のお茶を持って戻ってきた。
「はい」
それをテーブルに置いて、座っていた私の隣に、彼女も腰を下ろした。
「今の時代ってさ、娯楽は山のようにあるけれど、本質的にはつまらなくない?」
そのように靖恵は話を始めた。




