第八十九話 みんなの寝床
焚き火の炎がゆらゆら揺れ時々ぱちりと音を立てた。
夕暮れはとうに過ぎ、森は濃い藍色の闇に包まれている。
テティスも最初は嫌そうな顔をしていたのに、今では普通に、いや、美味しそうに魔物の肉を食べていた。
アリアも静かに口へ運んでいる。
ヘスティアは少し驚いたような顔で肉を見つめていた。
「本当に美味しいですね……」
「でしょ?」
森にきて初日、僕はとっても満足だった。
自分で狩り、自分で捌き、自分で焼く。
それを誰かが美味しいと言ってくれる。
それが僕にとってはご褒美みたいなものだった。
その嬉しさで調子に乗ってしまったのか僕はふと、森の先を見つめた。
闇。
木々の隙間。
何も見えない。
でも、いる。
昼からずっと。
魔物を倒した頃にはもういた。
解体を始めた時も。
ご飯を食べてからも。
ずっと、一定の距離を保ったまましばらく消えたかと思うと再びこちらを見ている。
(まだいるなぁ)
僕は肉をひっくり返した。
じゅう、と脂が弾ける。
(お腹空いてるのかな)
僕は肉を一切れ切り取る。
そして誰にも気づかれない程度にふわりと魔力を流す。
小さな光の粒が森の奥へ飛んでいく。
それに目ざとくライルが気づく。
「今なんか飛ばした?」
「飛ばした」
「何を」
「肉」
「肉...?」
ライルは本気で意味がわからなさそうだったので僕は真面目に返す。
「昼から見てる人」
すると一瞬で空気が止まる。
「は?」
テティスが固まる。
「え?」
アリアも顔を上げる。
ライルが眉をひそめる。
レオもこちらをじっと見つめていた。
「見てる人?」
「うん」
「いるのか?」
「いるよ」
「なんで今言うんだよ!!」
その会話を聞いていたガイアの叫びに僕は少し驚いた。
「だって見てるだけだし」
「そういう問題じゃない!」
だって、その視線には敵意は感じないし殺気もない。
だから放っておいた。
森では珍しいことではない。
魔物が様子を見ることもある。
旅人が遠くから観察することもある。
ヴァルクだって、たまに黙って見ていることがあった。
だから気にしなかった。
だがその瞬間、離れた場所で焚き火を見ていたリーバ先生がゆっくりとこちらに向かってきた。
そしてしばらく黙ったかと思うとため息をひとつついた後に口を開いた。
「お前...コイツらは森のど素人だ。本気にするからそろそろ冗談はお終いにするぞ。」
僕はとっさに焦って言葉を返す。
「冗談ではないです。」
「なら証拠を持ってこい。」
「うーん……。」
僕は困ったように笑った。
こんなにお腹を満たした後に無駄な労力は正直割きたくない。
「気配はするんですけど。」
「森じゃ珍しくない。」
リーバ先生はそれだけ言うとパン、と一度手を叩いて話を切り上げた。
「明日も歩く。今日は寝ろ。各自寝る準備をしろ。」
生徒たちはなんだ、冗談かよ、びっくりしたとブツブツ文句を言ったもののそれ以上気にすることなく、それぞれの荷物へ向かっていく。
「やっと寝られるー!」
テティスは嬉しそうに収納鞄の蓋を開け、ゴソゴソと何かを取り出した。
中から出てきたのは、淡い青色の布に包まれた寝具一式。
ふわり、と魔力を流すと布がひとりでに広がり、小さなテントが形作られていく。
「見て見て! 新しいの買ってもらって、すぐに送ってもらったんだ!」
入口には水避けの魔法陣が刻まれ、大きくて綺麗な魔法石が埋め込まれていた。
「雨でもへっちゃらなんだよ!」
「さすがフォンティーヌ家だな。」
ガイアが苦笑する。
そのガイアも負けていない。
収納鞄から木製の骨組みを取り出すと、慣れた手つきで組み立て始めた。
土魔法で地面を平らにならし、あっという間に頑丈な一人用テントが完成する。
「親父が『野営は寝床が命だ』ってうるさくてさ。」
「いいお父さんだね。」
リオが笑う。それを聞いていたサナもクスリと笑う。ガイアは照れ臭そうに答える。
「いや、過保護なんだよ。」
アリアは静かだった。
収納魔法から取り出した白い天幕を広げる。
布は薄いのに、取り出した瞬間、こちらも埋め込まれた魔法石が淡く光って周囲へ結界を張った。
「王宮製ね……。」
ミュシャがぼそりと呟く。
「防音、防寒、防虫。」
「無駄に高そう。」
「……否定はしません。」
アリアは少しだけ視線を逸らした。
ライルは面倒そうにため息をつく。
「寝られれば何でもいい。」
そう言いながらも、赤い紋章入りの立派なテントを広げた。
貴族らしく品質は一級品だ。
「寝られればいいって言う割には豪華じゃん。」
ガイアが笑う。
「家の者が勝手に持たせた。」
「だろうな。」
ヘスティアは黙々と設営している。
驚くほど手際がいい。
必要最低限。
無駄がない。
あっという間に小さな天幕が完成した。
誰も見ていなければ、そのまま森に溶け込んでしまいそうだった。
レオはというと。
荷物から黒い布を一枚取り出しただけだった。
木と木の間へ張る。
それだけ。
「……終わり。」
「終わり?」
ガイアが目を丸くする。
「雨は?」
「避けられる。」
「寒さは?」
「平気。」
「それだけ?」
「十分。」
本当に十分らしかった。
ミュシャは全員を見回し、ため息をつく。
「面倒。」
そう言いながらも、一番手際よくアリアと張るくらい豪華な寝床を完成させていた。
「面倒って言う人ほど準備がいいんだよね。」
サナが笑う。
「この歳になると嫌でも慣れるのよ。」
意味深な一言だったが、誰も深くは聞かなかった。
サナは設営に苦戦していた。
「……これ、どっちが前?」
「逆じゃない?」
「え?」
「それ入口。」
「……あ。」
ガイアが吹き出す。
「サナ、お前絶対一人で旅できないだろ。」
「うん。たぶん。」
そして、全員の視線が、一人へ集まる。
「……リオ?」
僕は荷物を置いた。
そして周囲を見回す。
「?」
「テント出さないの?」
テティスが聞く。
「いらないよ。」
「……え?」
僕は近くの大きな木へ歩いていく。
根元に腰を下ろした。
幹にもたれる。
空を見上げる。
「ここで寝る。」
その言葉に全員沈黙。テティスが素早く聞く。
「……ここで?」
「うん。」
「地面だよ?」
「うん。」
「硬いよ?」
「慣れてる。」
「虫いるよ?」
「いるね。」
「いや、いるねじゃなくて!」
何故そんな当たり前なことを聞くのか僕は本当に不思議だった。
「森では普通だよ?木があると風も防げるし、星も見えるし。」
僕は少し笑って木の幹を軽く叩く。
「この木、寝心地良さそうだよ。」
全員が絶句した。
リーバ先生は腕を組み、しばらくその様子を眺めていたが、やがて短く言う。
「好きにしろ。」
「うん。」
そう返事をした僕はまるで自分の家に帰ってきたかのように木の根元へ寝転がる。
森の匂いを胸いっぱいに吸い込み、小さく目を細めた。
この場所だけは、学院の寮よりもずっと落ち着く。
そんなことを知っているのは、おそらく僕だけだった。
というより昨日の朝に遠出のことを伝えられて今日、いや、正しくは昨日のその日中に各家庭からテントを用意してもらっている経済力と手厚さに僕は内心とても驚きだ。
ヴァルクに初めて森にほっぽり出されたときの、僕の身ひとつさといったら本当に赤子同然で正直泣きたくなった。それを考えたら今の僕は逞しくなったのではないか。
僕は最後に一度だけ森の向こうを見た。
(やっぱりいるんだけどな。)
そう思いながらも、やがて眠りについた。




