18.バロー伯爵夫妻の説得
バロー伯爵夫妻との話し合いが行われたのは、デボラ嬢がわたくしたちのサロンに来てから一週間後のことだった。春は近付いて来ていたが、まだ部屋は寒く、話し合いの場となるティールームには暖炉に火がともされていた。
客であるバロー伯爵夫妻に暖炉側の席を譲って、わたくしとお義兄様は向かい側の席に座っていた。
「本日はお招きいただきありがとうございます」
「娘がご迷惑をおかけいたしました」
挨拶をして椅子に座るバロー伯爵夫妻は、どこかおどおどしているが善良そうな夫婦だった。
「呼び出して申し訳ない。来てくださってありがとうございます」
「アデライド・バルテルミーです。初めまして」
椅子から立ち上がってわたくしとお義兄様もご挨拶をして、椅子に座ると、侍女がお茶を入れてくれる。しばらくは茶器の立てるかちゃかちゃという音だけが響いていた。
全員のティーカップに紅茶が注がれて、侍女が部屋の端の方に移動して控えると、バロー伯爵夫妻はテーブルに額が付きそうなくらい深く頭を下げた。
「娘がアデライド嬢の大事な万年筆を壊してしまったこと、大変申し訳なく思っています」
「謝罪に来させようと思ったのですが、逆に失礼なことを言ってしまいそうで、直接謝罪に向かわせられなくて申し訳ありませんでした」
青ざめた顔で必死に謝ってくるバロー伯爵夫妻のことを、わたくしは責める気はなかった。
「顔を上げてください。万年筆は無事に修理ができましたので、わたくしはもうそれほど気にしていません」
「公爵家のご令嬢にこんなことをしてしまうなど、我が娘ながら、とても愚かで、教育を見直さなければいけないと考えています」
「本当に申し訳ありませんでした」
何度も謝ってくるバロー伯爵夫妻に、わたくしはお義兄様の方に目をやる。お義兄様は小さく頷き、バロー伯爵夫妻に向き直った。
「ブランシュ嬢がアデライドをこんなにも憎む理由をバロー伯爵夫妻はご存じですか?」
「そ、それは……」
「お、お許しください」
「謝ってほしいわけではありません。わたしは王立アカデミーの医学科で勉強しています。未熟ながら医者の見習いとして、ブランシュ嬢には治療が必要ではないかと思っているのです」
お義兄様が本題に入ると、バロー伯爵夫妻は顔を見合わせて小声で話し合っている。
「あのことを話してもいいのだろうか」
「この話が出たということは、マクシミリアン様はもう知っておられるのではないでしょうか」
「それでは、お話しするしかないのか」
バロー伯爵夫妻の話し合いが終わるまで、お義兄様もわたくしも口を出さず静かに待っていた。
紅茶を一口飲んで、バロー伯爵が意を決した様子で口を開く。
「オーギュスト・アルシェの名前はアデライド嬢もマクシミリアン様もご存じでしょう」
「はい、知っています」
「わたくしとお義兄様がオーギュストの悪事を暴き、断罪しました」
お義兄様とわたくしが答えると、バロー伯爵は俯きながらぽつぽつと話し出した。
「ブランシュが六歳で、王宮での初めてのお茶会に参加したときのことでした。オーギュストはブランシュに近付き、ブランシュに……。わたしたちが気付いてブランシュを助け出した後、ブランシュはしばらく何が起きたのか分かっていない様子でした」
たった六歳の少女がオーギュストにされたことが理解できなくても仕方がない。
問題は、その後だった。
「オーギュストはブランシュに何度も言っていたのだそうです。『これはわたしが、あなたを愛しているからするのです。あなたは特別な人間なのです。わたしのことを愛しているのならば、このことは誰にも言ってはいけませんよ』と」
「何て卑劣な!」
たった六歳の少女にそんなことを言って、手を出すだなんて酷すぎる。
わたくしも五歳のときにオーギュストの魔の手にかかりそうになったが、オーギュストはその前から何度も犯行を繰り返していたのだ。
「わたくしたちは何度も娘に言いました。あの男のことは忘れなさい。あの男がしたことは決して許されることではないのだと」
「ですが、ブランシュは『わたくしは愛されていたの。わたくしは特別な人間なの』とわたしたちの話を聞き入れようとしなかったのです」
ブランシュ嬢の両親の悲痛な叫びがわたくしの耳に入ってくる。
ブランシュ嬢はオーギュストによって人生を歪められてしまったのだとわたくしは確信した。
オーギュスト、許すまじ!
幼女趣味の変態、滅びろ!
心の中で唱えていると、お義兄様が口を開く。
「ブランシュ嬢はオーギュストが断罪されて捕えられた後、減刑を国王陛下に願っていたと聞いています」
「その手紙はわたしも見せられました」
「小さな子どもですから、出す手紙は全部わたくしたちがチェックしていたはずなのに、侍女を通じて密かに国王陛下に手紙を出していたようで……」
「ブランシュがどうしてオーギュストの言葉を信じてしまったのか、わたしにも分からないのです。わたしは、娘をどうすれば救えるのか分からない……」
苦悩するバロー伯爵夫妻に、お義兄様が静かに告げる。
「幼いころに被害者となってしまったものは、自分の心の傷を認めることができず、自分を正当化するために加害者がしたことを正しいと思い込むことがあると王立アカデミーの医学科で習いました。ブランシュ嬢はそのような状況に陥って、そこから抜け出せていないのではないでしょうか」
「そんなことがあるのですか……」
「オーギュストのせいで娘は……」
「王立アカデミーでは軍事科もあるために、犯罪や戦争時の精神についても学びます。ブランシュ嬢は自分が傷付いていることを認められていないのではないでしょうか」
冷静なお義兄様の発言に、バロー伯爵夫妻は絶句していた様子だが、ややあって顔を上げる。
「ブランシュを救うことができるでしょうか」
「何年かかってもいい。ブランシュが失ってきた日々を、わたくしたちは取り戻したいのです」
両親としての心の叫びに、お義兄様は深く頷き、答えた。
「真実を知らせるために、オーギュストの被害者の女性たちとブランシュ嬢を会わせてみるのはどうでしょう」
「オーギュストの被害者の女性たちと!?」
「そのことはブランシュを再び傷付けませんか?」
それは親としての当然の心配だった。
それに対して、お義兄様はどこまでも静かに、冷静に説明する。
「オーギュストの断罪のときに協力してくれた女性たちが、ブランシュ嬢と会ってくれるようです。その女性たちから話を聞けば、ブランシュ嬢も自分だけが特別だったのではないと気付くのではないでしょうか」
「真実をブランシュは受け入れられるでしょうか」
「それで、ブランシュがまたおかしくなってしまったら……」
「オーギュストの被害者の女性たちと会う場にはわたしも同席しますし、バロー伯爵夫妻も同席してください」
「真実を知ってブランシュが傷付くようなことはないのですか?」
「ブランシュ嬢は傷付くのではないのです。自分が傷付いていたことに気付くのです」
「自分が傷付いていたことに、気付く?」
お義兄様の言葉に、バロー伯爵夫妻が目を見張っている。
バロー伯爵夫妻にお義兄様は優しく説明をする。
「ブランシュ嬢はずっと心に傷を負っていました。その傷を見ないふりをするために、オーギュストとのことを正当化し、オーギュストに愛されていると思い込むことで自分を保っています。ブランシュ嬢が真実を知り、自分の傷に気付くことが、治療の最初の段階とも言えるでしょう。オーギュストとの間に愛などなかった。自分は傷付けられたのだと知ったとき、確かにブランシュ嬢はショックを受けるかもしれません。ですが、そのときこそ、ブランシュ嬢が治療を受ける段階に入ったと言えるでしょう」
お義兄様の説明を聞いて、バロー伯爵夫妻は、お義兄様に縋るような視線を向けていた。
「娘のことを、お願いしてもよろしいのですか?」
「ブランシュ嬢が心の傷に気付いてからは、学園を休学させて治療に専念させた方がいいかもしれません。被害を受けてからもう十年も経っているのではないですか? その間にブランシュ嬢の傷は膿み、治療が難しくなっている可能性があります。ブランシュ嬢はご両親のもとで静養をして傷を癒す期間が必要だと思います」
「もちろん、ブランシュを癒すためならなんでもします」
「マクシミリアン様、どうかよろしくお願いします」
頭を下げるバロー伯爵夫妻に、わたくしはお義兄様を見て、心の中で拍手喝さいを送りたい気分だった。
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