9.修理された万年筆
ブランシュ嬢を止めたミレーヌ殿下はともかくとして、ブランシュ嬢には厳しい注意が入ったようだった。
バルテルミー公爵家からバロー伯爵家に告げられた厳重注意で、ブランシュ嬢は学園を一週間停学になって、ミレーヌ殿下もその期間は大人しかった。
一週間の停学期間が終わった後も、ブランシュ嬢は監視が付けられて、わたくしに接触しないようになったので、つかの間の平穏が訪れた。
万年筆は、ペン先が無事だったので、軸を取り替えて修理して、軸に「アデライド・バルテルミー」の刻印もして、わたくしの手元に戻ってきた。
お義兄様が修理が終わって箱に入れられた万年筆を手渡してくれたとき、わたくしは嬉しくてお義兄様に何度もお礼を言った。
「きれいに直っていますね。お義兄様、本当にありがとうございます」
「アデリーがこうして笑ってくれることがわたしには何よりも嬉しいよ」
「お義兄様……」
万年筆が壊れてしまったときにはショックのあまり泣いてしまったが、万年筆が直ってからはわたくしは自然と微笑んでいた。
学園の授業も万年筆でノートを取ると、よく頭に入ってくるような気がする。
わたくしが授業のノートを纏めて、カバンに入れていると、廊下からわたくしを呼ぶ声が聞こえた。
「バルテルミー公爵家のご令嬢はおられますか?」
「はい、わたくしですが」
「初めまして、わたしはドナ・リトレ。バルテルミー公爵家の若様の同級生だったジャン・リトレの弟です」
挨拶をされて、わたくしはジャンが弟の話をしていたのを思い出す。
わたくしよりも少しだけ背が高いドナは、ジャンとよく似ていて、ぼさぼさの黒髪に丸い眼鏡、青い目の少年だった。
「アデライド・バルテルミーです。どうされましたか?」
「雇われました」
「雇われた?」
不思議なことを言うドナに話を聞いてみると、兄のジャンを通じてお義父様からお願いされたということだった。
「バルテルミー公爵家のご令嬢が嫌がらせを受けて困っているとお聞きしたので、バロー伯爵家のご令嬢及び隣国の王女殿下が近付いてきた際に、できる限りお力になるようにと言われました」
「ちなみに、報酬は?」
「学園の食堂で好きなランチを食べ放題です」
これは平民のドナにとっては魅力的な条件だっただろう。
食堂のランチも売店のお弁当も、お金を払って買わなければいけない。特待生ということで学費は免除になっても、昼食までは賄えないのだ。それをどれでも好きなものを食べていいと言われたら、ドナも喜んでこの仕事を引き受けただろう。
「ブランシュ嬢はバロー伯爵家に厳重注意が行っていますし、ミレーヌ殿下はブランシュ嬢がご一緒でないと絡んでこないので、心配はないと思うのですが」
「心配はないかもしれませんが、バルテルミー公爵閣下に万が一のことを考えてと言われました。わたしでは頼りにならないかもしれませんが、記憶しておくことは得意です。バルテルミー公爵令嬢に何かあったら、しっかりと記憶して、兄を通じてバルテルミー公爵閣下に報告します」
ドナはどうやらわたくしが細かな嫌がらせはお義父様にもお義母様にも報告しないので、それを心配したお義父様が、どんな小さな嫌がらせでも自分に伝わるようにと雇ったようだった。
お義父様も過保護だと思いつつ、わたくしはドナに話しかける。
「『バルテルミー公爵令嬢』と毎回言うのは面倒ではないですか?」
「それでは、失礼して公爵令嬢と呼ばせていただきます」
名前ではないところが、平民と公爵家の娘の身分の差を弁えているところなのだろう。
お義父様の気持ちを受け入れて、わたくしはドナが休み時間にわたくしと一緒にいることを許容した。
ドナは午前中の授業が終わって、わたくしが王立アカデミーと学園を繋ぐ長い階段の下でお義兄様と合流するまで一緒にいてくれて、お義兄様を見送ってから合流して教室まで送ってくれて、午後の授業が終わるとお茶の時間にわたくしがサロンに行くまで、送って行ってくれた。
ブランシュ嬢も今のところは大人しくしているのでそこまで気にしなくていいとは思っていたが、万年筆を踏みにじられたことを思い出すと、わたくしはドナにそばにいてもらうのはありがたくもあった。
サロンではダヴィド殿下がヴィクトル殿下に聞いたことを話してくれた。
「ミレーヌ殿下は兄上にはアデライド嬢のことは何も言っていなかったようです。兄上に聞かれて、あそこまでするつもりはなかったと青ざめていました」
「ミレーヌ殿下の嫌がらせも、育ちの良さが出ているのか、大したことはありませんでしたからね」
「大したことはないなどと言ってはいけませんよ、アデライド。公爵家の娘として、嫌がらせを受けたら相応の報復……ではなかった、報告はしなければ」
どうにもマノンお姉様は武闘派で困ってしまう。
わたくしはやられたことはやり返すつもりではあるが、あの程度の嫌味は気にするほどのこともなかった。
わたくしがショックを受けたのは、お義兄様と色違いでお揃いの万年筆を壊されてしまったときだけだったし、それ以降はブランシュ嬢もわたくしに絡んできていない。
「このまま大人しくしてくれているといいのですが」
「それはどうでしょうね。ミレーヌ殿下はやりすぎたと反省しているようですが、ブランシュ嬢がどう思っているか分かりません」
万年筆を踏みにじったブランシュ嬢ではなくて、その場にいて止めようとしたミレーヌ殿下の方が反省しているとダヴィド殿下は言っている。
わたくしがダヴィド殿下と話していると、マノンお姉様が小さな本を取り出した。
きれいに表紙が印刷されているそれは、詩集のようだった。
「マノンお姉様、もしかして、それは……」
「アルシェ公爵夫人の新作の詩集です。今回の作品は特に深みが出て素晴らしいと有名なのですよ」
やはり、クラリス夫人の詩集だった。
クラリス夫人は学園にいたころから、ジャンに珍妙な詩を恋文として送っていたが、結婚してからアルシェ公爵となったセドリック殿がその詩に才能を見出して、詩集として売り出したところ、ものすごく売れるようになって、王都ではクラリス夫人の詩が流行っているのだ。
わたくしには全く理解できませんけど!
初めて読んだときも驚いたのだが、クラリス夫人の詩は独特で、わたくしには全く理解できなかった。
「『わたくしの夢に出てくる妖精の王が、わたくしの瞼に恋の妙薬を垂らしたのです。わたくしは目を開けた瞬間に飛び込んできたあなたの姿に恋をしました。わたくしの想いは風に揺れるチューリップのよう。どうかその花びらを散らせないで。あなたのために咲き誇りたいのです』ですって。夢の中に妖精の王が出て来るだなんて、ロマンチックではないですか?」
「はぁ、まぁ……」
うっとりしているマノンお姉様に、わたくしは曖昧な返事しか口にできない。
わたくしにとっては珍妙にしか思えない独特な詩も、マノンお姉様にはロマンチックに思えているのだから不思議だ。
苦笑するわたくしがちらりとダヴィド殿下を見ると、ダヴィド殿下も難しそうな顔をしていた。
「女性の心は難しいですね。わたしにはよく分かりません」
女性の心ではなく、クラリス夫人の心がよく分からないのです!
わたくしは盛大に突っ込みたいのを堪えていた。
「ダヴィド殿下はこの詩集のシリーズはお持ちではないのですか?」
「一冊試しに買ってみましたが、わたしは詩を理解する心がないようで、難しくてダメでした」
「それはもったいない。クラリス夫人の詩はとても有名で、学園の女子生徒は恋文を書くときに参考にしていると聞いていますよ」
「そ、それを!?」
驚いているダヴィド殿下とわたくしも同じ気持ちだった。
クラリス夫人のような詩を恋文として書くのが流行っているのか。
時代も変わったものである。
わたくしはクラリス夫人の詩は理解できないし、このような詩を書くこともない。
「マノンお姉様は恋文を書くときに参考にしたいと思っていらっしゃいますか?」
「わたくしにはこんな風にロマンチックに書ける自信はありません」
詩集を見ながらうっとりとため息をつくマノンお姉様に、わたくしは信じられないものを見るような視線を向けてしまうのだった。
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