7.ミレーヌ殿下とブランシュ嬢の悪意
新学期が始まって二日目。
午前中の授業を終えたわたくしが教室で勉強道具をカバンに入れて、王立アカデミーと学園を繋ぐ長い階段の下に行こうと教室を出たところで、ミレーヌ殿下とその取り巻きに出会った。
「ミレーヌ殿下、こんにちは。ミレーヌ殿下も王立アカデミーと学園を繋ぐ階段の下に行くところですか? それでしたらご一緒しませんか?」
わたくしが声をかけると、ミレーヌ殿下は眉をひそめてブランシュ嬢に囁きかける。
「この方、わたくしに声をかけてきましたわ」
「バルテルミー公爵家のご令嬢です」
一応卒業式のパーティーでミレーヌ殿下とは顔を会わせていたので、自己紹介は必要ないかと思ったら、ブランシュ嬢と共に嫌な感じで見つめられているのに気付く。
わたくしは姿勢を正して一礼した。
「失礼いたしました。わたくし、バルテルミー公爵家のアデライドです」
「バルテルミー公爵家の?」
「養子のようですが、一応、バルテルミー公爵家のご令嬢です」
養子だということをわざわざ言わなくてもわたくしがお義兄様と婚約した時点で貴族社会には知れ渡っているし、わたくしも養子であることに関しては納得して受け止めていた。それを口にするということは、わたくしは今、嫌がらせに遭っているようである。
「はい。わたくし、養子ですが義父と義母に愛されて幸せに育ちました」
「養子なのでしょう? 身分は?」
「平民かもしれませんわ。ミレーヌ殿下と口を聞ける身分ではありません」
わたくしの話など全く聞いていない様子で、ミレーヌ殿下とブランシュ嬢は二人で話している。
「わたくしは義父であるバルテルミー公爵の遠縁なので、生家は貴族です。そうでなかったとしても、わたくしは今、バルテルミー公爵家の娘です」
何も恥じることはないとはっきりと告げても、ミレーヌ殿下もブランシュ嬢もわたくしの話は一切聞いていない様子だった。
ひそひそと聞こえよがしに言っている。
「平民かもしれないのに、よく恥もなくわたくしに声をかけられましたね」
「ミレーヌ殿下はこんな方と親しくする必要はありません。ヴィクトル殿下にも、この方と顔を会わせたくないから階段下に行けない、迎えに来てほしいと仰るべきです」
「そうですね」
話しながらわたくしを無視して横を通り過ぎるミレーヌ殿下に、わたくしはヴィクトル殿下がミレーヌ殿下を探していたのに階段下に来ていなかった理由を知った。
わたくしと一緒にいたくなかったからなのか。
わたくしは確かにバルテルミー公爵家の養子で、元は別の貴族の娘だったが、平民ではないし、平民であったとしてもバルテルミー公爵家の養子となった時点で公爵家の娘で、差別されるいわれはない。
特に伯爵家の令嬢であるブランシュ嬢より身分が高いので、今のブランシュ嬢の態度は非常に失礼だった。
それにしても、どうしてミレーヌ殿下はわたくしをあんな風に敵視しているのだろう。ブランシュ嬢から何か吹き込まれたのか。ブランシュ嬢に関しても、わたくしを敵視する理由が分からなくて、わたくしはこの件をどうしようかと考えながら王立アカデミーに続く階段の下に行った。
ヴィクトル殿下とお義兄様は既に階段から降りて、待っていてくれた。
「ミレーヌ殿下は今日も現れませんね」
「ヴィクトル殿下。ミレーヌ殿下は階段下には来たくないようで、迎えに来てほしいと言っていました」
周囲を見回すお義兄様に、わたくしがヴィクトル殿下に伝える。
「あまり外で待つのがお好きじゃないのかな。アデライド嬢ありがとう。失礼するよ」
ヴィクトル殿下はわたくしにお礼を言ってミレーヌ殿下を迎えに行った。
残されたわたくしはお義兄様と一緒にお弁当を買ってサロンに行く。
サロンの部屋の椅子に座ると、お義兄様がわたくしの顔を覗き込んできた。
「今日は授業が長引いたわけじゃないよね。他の二年生は来ていたようだし。何かあった?」
お弁当の包みを開きながら問いかけるお義兄様に、全て本当のことを言ってしまいたい気分になったが、わたくしはぐっと我慢した。
あの程度の嫌味、大したことではないし、わたくしがバルテルミー公爵家の養子だということには間違いない。五歳のときにその事実を知った瞬間は、ショックだったし、わたくしの実の両親がどこの誰とも知れないことに恐怖も感じていた。
でも、お義父様もお義母様もわたくしがお義父様の遠縁の娘だということを教えてくれて、本当の娘のように愛していることも伝えてくれて、わたくしは安心したものだった。
例え養子であってもわたくしは恥じることは何もない。
そう思っていたので、この件はまだお義兄様に伝える時期ではないと口を閉ざした。
「実は……サンドイッチが、大きいのです」
「え? サンドイッチが大きい?」
「はい。お昼のお弁当のサンドイッチは毎日大きくて食べにくいのです。量も多くて、お腹がいっぱいになりすぎます」
別の話題にわたくしが持って行くと、お義兄様はお弁当の包みの中に入っているサンドイッチを眺めた。今日はサラミとチーズと葉物野菜が入ったサンドイッチだ。
パンは分厚く、サラミもチーズも葉物野菜もたくさん入っていて、わたくしが食べるにはボリュームがありすぎる。
「わたしは食べにくいと思ったことがなかったから気にしていなかった。アデライドは体も口も小さいからね」
「そうなのです。このサンドイッチにはいつも苦労させられます」
わたくしが真剣な表情でお義兄様に相談すると、お義兄様はいいことを閃いたというようにエメラルド色の目を輝かせた。
「お弁当を持ってくるのはどうだろう?」
「厨房にお願いしたら作ってくれるでしょうか」
「夏場は傷む可能性があるから無理かもしれないけれど、これからの季節ならば大丈夫だと思うよ」
王都のバルテルミー公爵家のタウンハウスで作ってもらったお弁当を持ってくれば、お義兄様は満足する量を食べられて、わたくしは食べすぎずに、分厚いサンドイッチに困らされずに済む。
「いい考えだと思います」
「帰ったら早速厨房に相談してみよう」
お義兄様はこれで誤魔化されてくれたようだった。
後はヴィクトル殿下だ。ミレーヌ殿下が王立アカデミーの階段下に来ない理由をどう伝えているかにかかっている。
わたくしに言った通り、わたくしと一緒にいたくないから行かないと伝えたのであれば、ヴィクトル殿下とお義兄様は従兄弟同士で親友なので、すぐにお義兄様の耳に入ってしまうだろう。
何より、ヴィクトル殿下はわたくしが五歳のときから仲良くしていただいているので、ミレーヌ殿下のそのような態度に怒りを覚えるかもしれない。
ミレーヌ殿下とヴィクトル殿下のお邪魔はしたくなかったし、ミレーヌ殿下とはなんとか分かり合えないかと思っているので、今のところはミレーヌ殿下の話がヴィクトル殿下のお耳に入るようなことがなければいいと思ってしまう。
そんなことを考えているうちに昼休みは終わって、午後の授業の時間になっていた。
お義兄様を王立アカデミーに繋がる長い階段の下まで見送ってから、わたくしは午後の授業を受けた。
午後の授業が終わると、お茶の時間になる。
マノンお姉様とダヴィド殿下のいらっしゃるサロンに行ったわたくしは、二人に心配されてしまった。
「ミレーヌ殿下とブランシュ嬢に絡まれたのですって?」
「見ていたものがわたしに報告してきました」
学園内の廊下で起こったことなので、見ていた生徒もいたのだろう。ミレーヌ殿下とブランシュ嬢の話は既にマノンお姉様とダヴィド殿下のお耳に入っていた。
「わたくしが養子なのは間違いないですし、ミレーヌ殿下もブランシュ嬢もわたくしと仲良くしたくないのであれば仕方がないですね」
「アデライドは養子でも、伯父様と伯母様の大事な娘だということは誰もが知っているはずなのに」
「マックスの婚約者だということもですよ」
何も恥じることはないと言ってくれるマノンお姉様とダヴィド殿下に、わたくしも同じことを思う。
「どちらの態度が間違っているかは、そのうちに分かると思います。ミレーヌ殿下もこの国に来て日が浅いので、この国の貴族の事情を知らないのでしょう。もしくは、ブランシュ嬢が捻じ曲げて伝えているか……」
「ブランシュ嬢はどうしてそのようなことをするのでしょう」
「バルテルミー公爵家は、王弟の家系で、伯爵家ごときが口を出せる身分ではありません。口を出せるとしたら隣国の王女であるミレーヌ殿下くらいしかいない。ブランシュ嬢はミレーヌ殿下の威を借りてアデライド嬢を貶めたいのではないでしょうか」
許せないという表情で言うダヴィド殿下に、わたくしはそうかもしれないと思う。
最初に感じたのは、成績順が発表されるホールでのブランシュ嬢の敵意に満ちた眼差しだった。ブランシュ嬢がわたくしになにか恨みを持っていて、それをミレーヌ殿下の威を借りる形で晴らそうとしているのならば納得できる。
「ダヴィド殿下、マノンお姉様、わたくしはミレーヌ殿下とブランシュ嬢の出方を見たいので、しばらくはこの件はお義兄様にもヴィクトル殿下にも伝えないでおいてくれますか?」
「マクシミリアンお兄様とヴィクトル殿下に黙っているのですか?」
「それは、後で知られたときにこじれると思うのですが」
「お願いします。もう少し情報を集めたいのです。わたくしが養子なのは間違いないし、口で何か言われたくらい、わたくしは平気です」
わたくしがお願いすると、ダヴィド殿下とマノンお姉様は渋々わたくしのいう通りにしてくれた。
ミレーヌ殿下が何を考えているのか。ブランシュ嬢がどうしてわたくしを憎んでいるのか。
わたくしは情報を集めることにした。
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