2.お義兄様との勉強
季節は夏。
わたくしの誕生日が終わってからなので、学園は夏休みに近付いていたが、そのころにミレーヌ殿下が留学生として転校してきたという噂は聞いた。
授業が終わったわたくしは学園のサロンでダヴィド殿下とマノンお姉様とお茶をしていた。今日のお茶は桃の香りがして牛乳を入れるととても美味しい。
暑いのでお茶菓子はムースやゼリーなど食べやすいものが選ばれていた。
「マノンお姉様、ダヴィド殿下、ミレーヌ殿下が留学してこられたのは知っていますか?」
「聞いています」
「兄上から先に話を聞いていました。嫁いで来る国に慣れるためにこちらで教育を受けたいと申し出たようですね」
マノンお姉様もダヴィド殿下もミレーヌ殿下のことは知っていた。
ミレーヌ殿下はどこかのサロンに入れたのだろうか。
「ミレーヌ殿下のことをヴィクトル殿下から頼まれていたのですが、どのようにお過ごしか知っていますか?」
「隣国と貿易で関りのある、ブランシュ・バロー伯爵令嬢のサロンに入ったそうですよ」
「ブランシュ・バロー伯爵令嬢とその友人と仲良くしているようです」
「仲良くできる方がいたのですね」
それならばわたくしは出る幕がなかったと安心する。
ブランシュ嬢がどのような方かはよく知らないが、バロー伯爵家は隣国との交易が盛んな地域で、ミレーヌ殿下もブランシュ嬢とは知り合いのようだった。
「ヴィクトル殿下が心配していたようなことはなかったのですね」
「ヴィクトル殿下がどうなさったのですか?」
「ミレーヌ殿下を気にかけてほしいと言われていたのですが、わたくしはまだ二年生ですし、四年生のミレーヌ殿下とは関りがありませんし、どうしようと思っていました」
「アデライド嬢が落ち着いていて頼りになるからと言って、兄上は甘えすぎなのです」
「ヴィクトル殿下とは小さなころからの知り合いですし、お義兄様の親友ですから」
今度の人生ではわたくしはヴィクトル殿下と五歳のときから仲良くしていただいている。ヴィクトル殿下もそのときは十歳で、お義兄様のことばかり気にかけていた気がするが、クラリス夫人の奇行を止めるために協力したことで、わたくしとヴィクトル殿下の繋がりは強くなった気がする。
「頼られるのは嬉しいことです」
「アデライド嬢は兄上を甘やかしすぎです」
「そうですか?」
「アデライドはいいかもしれませんが、マクシミリアンお兄様が嫉妬するかもしれませんね」
「マノンお姉様、お義兄様はそんなことしませんよ」
そうは言ってみたが、お義兄様とヴィクトル殿下の卒業式のパーティーでヴィクトル殿下と踊ったときにお義兄様は面白くなさそうな顔をしていた気がする。もしかすると嫉妬していたのだろうか。
お義兄様はわたくしにとって大事な婚約者ではあったが、嫉妬されるというのは少し気恥ずかしい気がする。
「アデライドはマクシミリアンお兄様にどれだけ愛されているか知った方がいいですわ」
「あ、あい!?」
愛されているなどといわれてわたくしは挙動不審になってしまう。持っていたカップの中でミルクティーが跳ねて零れそうになってしまった。
「マノンお姉様はわたくしをからかって」
「真っ赤になってかわいいですこと。アデライドはマクシミリアンお兄様が大好きなのですね」
「そ、それは、お慕いしております」
婚約者なのだし、お義兄様のことはずっと大好きだったから、それは否定しない。お義兄様の方も、婚約してからわたくしに対する態度が甘くなってきている気がする。
「あーあ……アデライド嬢がマックスにとられてしまって、わたしは悲しいです」
「ダヴィド殿下まで変なことを仰らないでください」
「学園にいる間はアデライド嬢はわたしと友人ですからね。マックスにも妬かないように言ってくださいね」
「ダヴィド殿下!」
ダヴィド殿下にもマノンお姉様にもいいようにからかわれている気がして、わたくしは顔を真っ赤にして声をあげた。
それ以上からかうとわたくしが困ってしまうのに気付いたのか、マノンお姉様とダヴィド殿下は話題を変えてくださる。
「アデライドは夏休み前の試験の勉強はどうしましたか?」
「今、進めているところです」
「アデライド嬢は一年生から首席でしたからね」
その件に関して言われてしまうと、わたくしはずるをしたような気がして申し訳なくなる。
わたくしは十三歳、学園の二年生になってすぐのころまでの記憶があった。そのために学園で勉強した範囲を覚えていたし、試験で出題される問題もおぼろげながら覚えていたのだ。
その上に学園でもう一度勉強するのだから、当然成績が悪くなるわけがない。
前の人生の記憶がある上に真面目に勉強した結果、一年生のときには首席を取ってしまって、二年生で急に成績が落ちるのはおかしいと気付いて、今必死に勉強しているところである。
「マックスもずっと首席で、兄上が悔しがっていましたから、アデライド嬢もずっと首席なのではないですか?」
「そ、それは、どうでしょう?」
「勉強法を教えてほしいものです」
「じ、実は、わたくし、お義兄様に勉強を教えてもらっていて」
わたくしは必死に苦しい言い訳をする。
わたくしの前の人生での成績は上位十位以内には入れていたが、首席には届かなかった。このまま首席を続けるとなると相当の努力をしなければいけないことは確かだ。
「今度もお義兄様に教えてもらおうと思っているのです」
「マクシミリアンお兄様に教えてもらっていたのですね」
「マックスは首席だったから、教え方も上手でしょう。羨ましいです。兄上は王立アカデミーでの勉強が忙しいと言って、わたしに全然教えてくれません」
「そう! そうなのです! お義兄様も王立アカデミーに入学してから勉強が忙しくなったので、教えるのは難しいかもしれないのです。ですから、次の試験で首席を取れるかは分かりません」
必死に予防線を張っておくわたくしに、マノンお姉様とダヴィド殿下は「謙遜して」と笑う。
前の人生の記憶がもう役に立たなくなったわたくしは、首席を取れなくなってしまったらどうしようと内心、青ざめていた。
王立アカデミーと学園では終了時間が違うので、わたくしは帰りは一人で馬車に乗る。護衛もついているのだが、馬車の周囲に馬でついて回って、馬車の中には乗らない。
馬車から降りてわたくしは自分の部屋に帰ると、乳母のバズレールさんにお願いしておいた。
「お義兄様が帰ってきたらわたくしに知らせてください」
「心得ました」
お願いしてから、わたくしは真剣に教科書を捲って夏休み前の試験のための勉強に取り掛かる。
勉強をしていると、バズレールさんがわたくしに声をかけてきた。
「若様がお帰りになりました」
「ありがとうございます」
バズレールさんの言葉に、わたくしは教科書とノートを持ってお義兄様の部屋に向かう。お義兄様は着替えているようなので廊下で少し待っていたら、着替え終わったお義兄様がドアを開けてくれた。
「わたしに用があったのかな? 待っていてくれたようだね」
「お義兄様、わたくしに勉強を教えてくれませんか?」
「アデリーはとても優秀じゃないか。わたしが教えるところがあったかな?」
「二年生になって問題が難しくなっているのです。王立アカデミーで忙しいとは思いますが、教えてもらえると嬉しいです」
「それならば、勉強部屋に移ろう。アデリーをわたしの部屋に入れるのはよくないからね」
小さなころならともかく、わたくしも十四歳になっていたし、お義兄様は十九歳になっている。お互いの部屋に入るのは躊躇われる年齢だ。
家庭教師が来ていたころに使っていた勉強部屋に移ると、お義兄様は教科書を広げたわたくしに聞いてきた。
「どこが分からないのかな?」
「数学の文章問題と、語学が少し……」
「見せてごらん」
わたくしが詰まっているところをお義兄様に聞けば、お義兄様は分かりやすく教えてくれる。
「数学はこの公式を使えばいいよ。語学は、このように単語が並んでいると特別な意味が出るんだ。文法を見直してみて」
「はい、お義兄様」
お義兄様の教え方は丁寧で、わたくしは分からないところも理解できそうだった。
「お義兄様は王立アカデミーでどんな勉強をしているのですか?」
「人体について学んでいるし、ひとの発達についても学んでいる。ひとの精神や心理についても勉強しているよ」
「難しくはないのですか?」
「初めて触れる分野だから、とても興味深くて勉強していると楽しいよ」
お義兄様は学園でもずっと首席だったように、王立アカデミーでも素晴らしい成績を修めるようになるのだろう。それが目に見えるようだった。
お義兄様がクラリス夫人と結婚していたら、王立アカデミーに進学などしなかっただろうし、前の人生ではお義兄様は殺されてしまったので、未来がなかった。
それを思うと、お義兄様に未来があることがとても素晴らしく尊く思える。
「お義兄様、お勉強頑張ってくださいね」
「頑張るよ。ありがとう、アデリー」
エメラルド色の瞳を細めて微笑むお義兄様に、わたくしは胸のときめきを覚えていた。
読んでいただきありがとうございます。
感想、ブクマ、評価、リアクション等していただけると、作者の励みになります。
コミカライズ版もよろしくお願いします。




