75 なんてことでしょう……
左手の指を動かすたびに違和感が……。
普段つけることのない指輪の感触が気になって仕方がない。
(なんていうか……落ち着かないです)
要の側にあるこの指輪が収められていたであろうケースを盗み見た。
それには誕生日プレゼントにしては高価すぎるのでは……と思うほどの価格の商品を扱うブランドのロゴが印字されてあった。
ケースと指輪を交互に見る。
それからきらりと光る小さな宝石を数秒ほど見つめた。
「こんな高価な指輪……。要が? いえ、そん訳ないですよね。小父さまに出してもらったんですよね、きっと」
「親の金で婚約指輪を買ってどうする」
動揺のあまり思っていたことが口に出てしまっていた。
その祀莉の独り言に被せるようにして要が答える。
“親の金で婚約指輪を買ってどうする”……つまりこれは彼自身が購入したということだ。
「でもどうやって? 安い物ではないですよね?」
「ちょっとした小遣い稼ぎに父親の仕事を手伝ってただけだ」
(この指輪、ちょっとの額ではなさそうですけど……!)
何でもないように言うが、どう考えても高校生が気安く買える品物ではない。
北条家の父親が太っ腹なのか、要がそれなりの働きをしたからなのか。
何にせよ、それが祀莉の指にはまっている。
(失くしたりなんかしたら大事ですよね……)
自分が普段身に着けている洋服や使っている物もそれなりの値段だが、それとは訳が違う。
色んな意味で重みのある指輪に気後れして、思わず外そうとした。
「ちょっと待て。なんで外そうとするんだ?」
第一関節まで引き抜いたところで、要が阻止するように祀莉の手首を掴み、説明を求めた。
「え? 失くすと大変なのでケースに戻しておこうかと」
「は?」
掴まれていない方の手をケースに伸ばすと、その手も要に掴まれた。
そのままくいっと引き寄せられて、目を合わせるように顔を覗き込まれる。
「指につけとかないと意味ないだろうが。それに、ずっとつけておけば失くさないだろ?」
「いえ、ずっとつけておく訳には……」
「ああん? さっきも言っただろ? 絶 対 外 す な よ」
「ぅ…………でも」
「…………」
「は、はい……っ」
反論を一切許さないと言わんばかりの顔で、凄むように見下ろされた祀莉は震える声で返事をした。
ひとまずは頷いておいた方が身のためだと本能が告げている。
外すのは自宅に帰ってからだ。
その後は失くさないように、使用人に頼んで金庫にでも保管しておいてもらおう。
要はこくこくと頷く祀莉から手を離して、上着を片付けるために部屋から出て行った。
その後ろ姿を見つめながら物思いに耽る。
(これって原作の方はどうなってたんでしょう?)
本来ならこの指輪は桜のもとに渡っていたはず。
婚約指輪はまだ早いにしろ、男除けのアクセサリーとして贈っていても変には思わない。
今回は祀莉が余計なことを言ってしまったから指輪になったが、実際は違ったのかもしれない。
(要なりに桜さんのために一生懸命考えたプレゼントがあったかもしれませんね……)
“クリスマスと誕生日が一緒”なんてできすぎた設定だ。
そんな美味しいイベントが原作にないなんてあり得ない。
告白的にはこのタイミングが最も素敵なシチュエーションだと思う。
(実際はどうなんでしょう。すごく気になります〜!!)
口元を緩めた瞬間、額に衝撃が走った。
「うきゃっ! 何するんですか!」
顔を上げると要の親指と中指が祀莉に向けられていた。
いわゆるデコピンをくらったのだった。
「今度は一体何を都合良く勘違いしていたんだ?」
「い、今は別に……」
ただ本当はどうだったのかな〜と想像に浸っていただけで……。
要は不審そうに祀莉を見ていた。
「なんとなく分かってきたぞ。お前が自分の世界に入った時は大抵碌なことを考えてない。顔がニヤけている時は特に」
「う……」
「確認だが、俺が好きなのはお前だ。分かってるな?」
「え……あ、ぅ……」
「分かってるな?」
「……分かりました。認めます……で、でも! わたくしはいずれ要は桜さんを好きになると思います!」
「あ、そう」
要は興味がなさそうに祀莉の訴えを流しながらも、再びデコピンを額に向けた。
祀莉は反射的に両手で額を隠して後ずさった。
(うぐぐ……絶対に桜さんとくっつけてみせるんですからね!)
運命には逆らえない。
例え今は祀莉を好きだとしても、いずれは本能的に桜を好きになるに違いない。
そう信じて時を待とう。
要が柱に掛かっている時計を見上げた。
「そういや、才雅が来るって言ってたぞ。もうすぐじゃないか?」
「あら、そうなんですか?」
わざわざ迎えにきてくれるのだろうか。
昨日は自宅に帰らなかったので心配させてしまったのかもしれない。
大丈夫、今日はちゃんと帰るから。
(では帰る準備を……──はっ! その前にリビングを片付けなくては!)
テレビにはまだ再生したままのアニメが映されている。
収納ボックスも置きっ放しだ。
アニメを見ていたなんて弟に知られるのはちょっと恥ずかしい。
見つかる前に片付けてしまおう。
リモコンで映像を停止してプレーヤーからディスクを取り出した。
(久しぶりに見てれて嬉しいです。面白かったですし続きも見たいです!)
片付け終わった収納ボックスを名残惜しむように見つめた。
まだ副音声の方は見れていない……。
特典映像やおまけのショートストーリーも後回しにして本編を見直していたので、まだじっくり鑑賞できていない。
「要、お願いがあるのですが……」
「なんだ?」
「このDVDをお借りしても良いですか!? 自宅に持って帰ってじっくり見たいです!」
「え……いや、お前は──」
胸の前で手を組んだお願いポーズの祀莉に、要が何か言いかけたところで玄関で扉が開く音がした。
2人分の足音が祀莉たちがいるリビングに近付いてくる。
自然と会話は中断され、開かれたリビングの扉に注目した。
「ただ今戻りました」
「お邪魔しまーす」
入ってきたのは数時間前に出掛けた春江と、もうすぐ来ると聞いていた才雅だった。
マンションの前で会って一緒に部屋まで来たらしい。
春江が持っていたであろう買い物袋を、才雅が手伝って持っていた。
「半分持っていただいて助かりました、才雅様。どうぞごゆっくりなさってくださいね」
「はい。ありがとうございます」
会釈した春江は食材の入った袋を抱えてキッチンに向かった。
外は相当寒いようで、才雅の周りから冷たい空気を感じる。
お昼であれだけ寒かったのだ。
充分に防寒しなくてはいけないだろう。
「才雅、ありがとうございます。すぐに帰る準備をしますね」
「え? なに言ってるの?」
「……?」
迎えにきてくれたことにお礼を言うと、才雅が不思議そうに首を傾げた。
祀莉も同じように首を傾げる。
「迎えにきてくれたのではないのですか?」
「え? 父さんたちが帰ってくるまで姉さんはここに泊まるんでしょ?」
「はい……っ!? なんですかそれ! わたくしは自宅に帰りますよ!」
ここに泊まるなんてありえない。
確かに昨日はこのマンションに泊まったが、今日はちゃんと西園寺邸に帰るつもりである。
「今、うちの家は誰もいないよ? 留守番は何人かいるけど……。お手伝いさんもみんな旅行に行っちゃったし」
「え? でも残ってる人もいますよね?」
「行かなかった人は父さんたちが帰ってくるまでお休み。その間、姉さんは要兄さんのところにお世話になるって……え? 知らなかったの?」
「そんなの知りま——……ん?」
——祀莉のことは要君にも頼んでおいたから安心だろう……。
——えぇ、そうですよ。では行ってきますね。祀莉、要君の迷惑にならないようにね。
(もしかしてあれのことですか!?)
両親が出発する前に祀莉に言った言葉を思い出した。
自分のことを要に頼んでおいた、そして要の迷惑にならないように……と。
しかしあの言葉だけではそこまで理解することはできなかった。
(なんてことでしょう……)
残った使用人と一緒に西園寺家で年を越そうと思っていた祀莉は、しばらく思考停止していた。




